第14話 フランス流忖度
澪亜が小洒落た部屋のセットに入ると、スタジオ中が一斉に澪亜を見た。
「ブリジットさんが撮るのか!」
人気ファッション誌“ティーンズ”現場監督らしき男性が、声を上げた。
ブリジットがご機嫌な様子で澪亜の背中へ手を当て、澪亜に一歩前へ出るように言った。
(プロの方に注目されて……ううん、大丈夫)
『この子はレイア。コーナーの表紙を飾ってくれるモデルよ!』
ブリジットがフランス語で高らかに宣言する。
すかさず小笠原が通訳した。
「こちらの天使みたいに可愛い清楚な女性は平等院澪亜さんです。ジョゼフさんが泣いてモデルになってくれと懇願し、どうにかオーケーをもらった期待の超新星でもあります。コーナーの表紙は彼女がつとめてくれます」
明らかに文章量が合っていない翻訳だ。大丈夫だろうか。
(情報が増えているような気がするけど……)
「勝手に電話番号とか渡したらただじゃおきません。ともブリジットは言っております」
全然言っていない。
(そうか。小笠原さん、私のために脚色してくださったんだね……私もしっかりしないと!)
「平等院澪亜と申します。モデル業は初めてでございますので、不手際があれば何なりとお申し付けくださいませ」
姿勢良く一礼すると、亜麻色の髪が肩からこぼれてスポットライトでキラキラと輝いた。
現場監督の男性が目を見張って、ブリジットと澪亜に駆け寄った。
「おおお、おお! 長く現場にいるけど――おおおおっ! この子は! おおおっ!」
この人、おおしか言っていない。澪亜の魅力値で脳みそがバグったか。
「よろしくお願い申し上げます」
澪亜が一礼し、男性へ微笑みを送った。
癒やしのスキルがトリプルコンボで発動し、スタジオに和やかな空気が流れた。
「ご丁寧にありがとう」
現場監督は興奮した様子で名前を言い、ブリジットに「さすがジョゼフさんだ」と伝えて、セットの前に陣取った。
気づけばすべてのスタッフが集まってきていた。
「あの子やばいな……」「オーラがすげえ」「癒やしだ」「スタイルも絶妙なバランスだ」「コンテスト優勝者とかじゃないの?」
そんな話し声が聞こえてくる。
(ウサちゃん、シュミット、ドワーフさんたち、おばあさま……私、がんばります)
注目を一斉に浴びて緊張するも、澪亜は心を落ち着かせた。
『じゃあ撮るわね。まずは本棚の前に立ってみましょうか?』
『わかりました』
ブリジットが嬉々として指示を出す。
澪亜が移動しようとした、そのときだった。
「ちょっと! その子がそっちのセットで撮るってどういうことよ!?」
純子がズカズカと音を立ててセット内へ入ってきた。
場の空気が一気に凍りつく。
ブリジットが嬉しそうな顔を消し、ゆっくり振り返った。
「私を撮りなさいよ。なんでそいつ――その子を撮るのか説明して!」
純子は澪亜が特別扱いを受けている状況に怒り、顔を真っ赤にしている。
なぜ自分が十把一絡げで、澪亜が特別なんだ。そんな不満を隠そうともしない。
『ねえ、この子なに?』
『例の子です。親が企業の社長でスポンサー。雑誌側が断れないっていう』
ブリジットの質問に、小笠原がフランス語で答えた。
『はあ……日本ってそういうの多いわよね』
ブリジットが深いため息をつく。
(田中さんが読者モデルをやってるのって……お父上さまお力だったの? 学校だとそんなこと一言も言ってなかったけど)
澪亜は衝撃の真実に驚いた。
ちょっと考えればわかりそうなものだが、モデルという未知の職種だけあって、思いつかなかった。
(それでも、実力がないと続けられるものじゃないよね)
澪亜は割と肯定的に解釈した。
「フランス語でしゃべってんじゃないわよ。どうにか言いなさいよ」
純子がメイクで整えた顔を険しくし、ブリジットと小笠原に詰め寄る。
あまりの暴虐さに、現場監督や雑誌の編集者が肝を冷やした。
ブリジットは名が売れている。怒らせるのは得策ではない。
『この子なんて?』
ブリジットが顔をしかめた。
『私を撮れって言ってますね』
『バカなの? この私が、性格の悪い女を撮るわけないじゃない』
『はい。そう言って差し上げては?』
『そうね』
ブリジットが無表情に純子を見た。
フランス人である彼女の表情が消える様は、場に緊張感をもたらした。
文化の違いもあってか、日本人スタッフたちは、怒らせたらどうなるかわからず、黙り込んでしまった。
『あんたに切るシャッターはない。消えて』
ブリジットが冷たい口調で言った。
純子は小笠原を見て「通訳してよ」とぶっきらぼうに命令する。
わがまま娘の純子の態度を見て、小笠原は何か思いついた顔つきになって、営業スマイルを浮かべた。
「申し訳ありません。これから撮影します。ブリジットはそう言っています」
「ふん。最初からそうすればいいのよ」
純子は口元がにやにやと上がるのを抑えられないらしく、澪亜を見下した目で見た。
(小笠原さん、違うこと言ってる……?)
澪亜はフランス語と日本語の相違が気になった。
一方でスタッフたちは忖度したブリジットの広い心に感謝した。
スポンサーである純子の父親を怒らせるわけにはいかないからだ。
「じゃあ撮って。なんだか無理を言ったみたいでごめんないさねぇ〜。でも、皆さんも私のほうがふさわしいと思うでしょう? あら、ここでいいかしら?」
純子は愉しくてたまらないと、本棚の前でポーズを決めた。
ざまあみろと澪亜に口パクで言っている。
ブリジットは撮る気がないのか、カメラを構えようともしなかった。
小笠原は営業スマイルを浮かべている。
「ねえ、撮らないの? あなた、有名なフォトグラファーなんでしょ?」
(田中さん、周りのことを考えなさすぎだよ……皆さん困ってるのがわからないのかな? ブリジットさんの機嫌を損ねてしまっているし……)
場の空気を読めば、誰だって純子が無理を言っているのがわかる。
澪亜は見かねて一歩前へ出て、鳶色の瞳で純子を見つめた。
「田中さん。こういうことはよくないと思います」
「……は? はあ?」
純子は一気に不機嫌になり、表情を固くした。
いつか言った言葉。
いつも投げかけた言葉。
澪亜はどれだけひどいいじめを受けても、田中の行いを良しとはしなかった。
クラスメイトが横暴な態度を取っているのを見過ごせなかった。
「皆さんお困りですよ。お顔を見てわかりませんか?」
澪亜がセットの外にいるスタッフたちを振り返った。
皆が言いたいことを言えない、そんな表情をしている。
「撮影にも順序があるのではないでしょうか? 企業のお仕事は綿密なスケジュールが組まれているはずです。あまりご無理を言って予定変更をしては皆さんのお仕事に支障が――」
「うるっっさいわね!」
純子が言葉を断ち切るように、声を張り上げた。
スタッフたちが怪訝な表情を作る。
純子はしまった、という顔になって、すぐに笑顔を張り付けた。
さすがに怒鳴り声を上げるのはよろしくないと思っているらしい。いや、そもそも行動がよくないのだが。
「このフランス人が撮ると言っているんだから撮らせればいいのよ。初めて現場に来たあなたが気にすることじゃないわ」
純子の言い方に、スタッフたちは完全に白けた。
ブリジットをこのフランス人呼ばわりし、自分は現場の先輩気取り。純子の評価は地に落ちたと言っていい。
一方、小笠原がブリジットの裾を引いて、つま先だちになって耳打ちをした。
ブリジットは眉間にしわを寄せたが、ニヤリと口角を上げた。
『さ、お嬢さん。そこでいいわ。撮ってあげるわね!』
急にご機嫌になって、カメラを構えた。
「ほらね! だから言ったでしょ!?」
純子が勝った、と顔を歪ませて澪亜とスタッフを見た。
そしてポーズを取る。
『はいはい、いいわよ〜』
ブリジットがカシャリとシャッターを切り始めた。
スタッフたちも「よかった」「話のわかる人だ」「なんか申し訳ないな……」「撮りたくなくても撮ってくれるんだな」とブリジットを評価し、純子を止められない自分たちを恥じた。
純子がそれなりのポーズを決めて、姿勢を変えていく。
背の高さが彼女のいいところであろうか。
『素敵ね〜』
ブリジットが笑顔でシャッターを切り続ける。
(何か、変だな……違和感がある……)
澪亜は説明できない、引っ掛かりのようなものを感じた。
ブリジットと純子の姿がどこかおかしいような気がする。
「……」
「……」
五分ほど経過すると、スタッフたちも不気味に感じ始めた。
こだわり派で通っているブリジットがここまでご機嫌だと、裏があるのかと思ってしまう。
有名な俳優に撮影を頼まれ、にべもなく断った人物とは思えない。
「――ッ!」
さらにシャッターが十数回切られた。
そこで、現場監督がとあることに気づいた。
(あ――!)
澪亜も彼の視線の先にある“そこにあってはいけないもの”に気づいて、パズルの最後のピースがはまるような、閃きがあった。
(ブリジットさん! そんなこと……! 田中さんは気づいていない?)
澪亜はちょっと焦った。
(どうしよう……。でもこれは……黙ってたほうがいいよね……。ブリジットさん、笑ってるけど物凄く怒ってる気がする……)
『もういいわよ』
ブリジットが笑顔でぽんと純子の肩を叩く。
「あらそう。ご苦労さま。雑誌のいい場所に掲載してね」
鼻高々に純子が言って、手をひらひらさせながらセットから出ていく。
澪亜とすれ違う際に、
「引き立て役になってくれてありがとう」
と言った。
(……何も言えないなぁ……)
ブリジット、純子、スタッフたちの気持ちが入り乱れている。澪亜はいたたまれなくなって、目を閉じた。
純子は澪亜をやり込めたと達成感を覚え、スタジオの奥にある関係者用の椅子へ勝手に座った。
スマホでSNSを開き『次のティーンズでコーナーの表紙になるかも〜。有名なフォトグラファーに撮ってもらった♡』と書き込み始める。もう現場に興味はないらしい。
『バカな子ね』
金髪を跳ね上げ、ブリジットがやれやれとため息を吐いた。
現場監督がすかさず歩み寄り、彼女のカメラを見て、頭を下げた。
「お気遣い感謝いたします。痛快でした。メルシー・ボク。メルシー」
たどたどしいフランス語だが、彼の誠意はブリジットに伝わった。
『こちらこそ』
ブリジットはカメラを撫でる。
彼女仕様にカスタマイズされたカメラレンズには、キャップがついたままであった。
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