第12話 見知った顔
澪亜は嬉しげに近づいてくるフランス人らしき女性を見て、にこりと笑みを浮かべた。
『はじめまして。わたくし、平等院澪亜と申します。フランス語で大丈夫でしょうか? 英語のほうがよければそちらでも――』
「……」
金髪の女性は澪亜の正面に立つと、返事をせずに澪亜をじっと見つめた。
まるでこの世で初めてダイヤモンドを見つけた探検家のように、瞳を輝かせている。
『え……あのぅ……どうされました?』
(えっと、どうしたんでしょうか? やっぱり制服がダメだったのかな……?)
澪亜はちょっと不安になってきて、上目遣いに女性を見上げた。
彼女は身長百七十cmほどで、手足が長く、上下黒の服に身を包んでいる。顔つきは、はっきりした二重に横長の瞳、口角がくいっと上がっていて、仕事がデキるチャーミングな女性、という印象だ。
(さすがファッション関係の人だね……気後れするよ……)
じっと見つめられる澪亜はたまったものではない。
何か言ってくれないかなと五秒ほど待っていると、彼女が大げさな手振りで『オーララ! 神よ!』と両手を広げた。
よくわからないがフランス語だったので、フランス人で正解らしい。
「アハハ……」
(どうしよう〜……)
澪亜は笑うしかなかった。
女性はもう一度澪亜を見て、やっと冷静になってきたのかうなずいた。
『ごめんなさい。あなたを見て、神はいたんだなって驚いていたの。あ、フランス語だととても助かるわ』
『制服でこちらにお伺いしたのはまずかったのでしょうか?』
『え? そんなことないわよ。とても似合っているわね』
女性は二歩下がると、両手の人差し指と親指で額縁を作って、澪亜をその中に収めた。
『ああ、なんてこと。すごい。素敵だわ!』
彼女の興奮は収まらないみたいだ。
『はい。とっても素敵な制服だと私も思います』
澪亜が微笑んでうなずいた。
思い切り勘違いしている。
女性は指で作った額縁を下げて澪亜に近づくと、笑みを浮かべた。
『私はジョゼフが作ったPIKALEEブランドのブリジットよ。写真家で企画運営もやってるの』
『まあ。本日はよろしくお願い申し上げます』
澪亜は丁寧に一礼する。
『あなたが噂のレイア姫ね?』
『まあ、まあ、ジョセフさんが言っていたのですか? やめてと言ったのに』
澪亜が顔を赤くすると、ブリジットがアハハと楽しそうに笑った。
『ジョゼフが姫と言いたくなる気持ちがわかったわ。半信半疑だったんだけどね』
『お冗談がお好きなのですね、ジョゼフさんは』
『冗談というか変わってるのは間違いないわね』
ブリジットは肩をすくめると、澪亜の手を取った。
「え?」
『さ、行きましょう。もう他のモデルを撮り始めているの。あなたで最後だわ』
『は、はい!』
ブリジットに手を引かれるまま、澪亜は歩き出した。
◯
ブリジットとエレベーターに乗り込み、撮影スタジオがある階で下りた。
緊張はもちろんだが、澪亜は困った顔でブリジットを見上げた。
『あの、ブリジットさん?』
『なんでしょうレイア?』
『なぜ手を握ったままなのでしょうか?』
澪亜は自分の手を見た。ブリジットにしっかりと握られている。
『それはあれよ、ジャバザハットに姫を攫われないためよ』
そう言いつつ、ブリジットは握った親指で澪亜の手をすりすりと撫でている。
愛しくてたまらないといった感じであった。
『あのSF映画の……同じ名前ですけれど……フランス人の方は冗談がお好きなのでしょうか?』
さすがに子どもではないので、手をずっと繋がれるのは恥ずかしい。澪亜は頬が熱くなってくる。
スタジオに到着するとブリジットが手を離し、重い扉を開けた。
(これが雑誌の撮影現場……テレビで見たままだ)
室内は天井が高く、照明器具が吊ってある。
スタジオの奥には白い幕の張られたスペースがあり、今もモデルの子がポーズを取っている。カシャ、カシャとカメラのシャッター音が響いていた。
(ピリッとした空気が……ああ、緊張してきた……)
撮影を見ている関係者が難しい顔で話している。
(皆さん、すごく真剣だ)
撮影が終わった画像をタブレットで見て、何かを話し合っているらしい。パンツスーツの女性は雑誌の担当さんでは、と澪亜は予想した。
『レイア、私が撮るから安心してね』
ブリジットが皆から澪亜の姿を隠すようにして、控室へと連れて行く。
『ご挨拶はよろしいのでしょうか?』
『いいのいいの。もう言ってあるから大丈夫よ』
ブリジットがいたずらっ子のような笑みを浮かべる。そんな表情も魅力的だ。
小声で『みんなをびっくりさせてやりましょう』と鼻を膨らませた。
どうやら澪亜をいきなりお披露目する魂胆らしい。よほど気に入られたみたいだ。
澪亜は聞こえておらず、『わかりました』と素直にうなずいて、撮影現場を横目に通過して、奥の控室へ入った。
『誰かいるーっ?』
ブリジットの呼びかけに、スタッフが一名やってきた。
若い日本人女性のスタッフだ。ネームプレートを首から下げている。
「はじめまして。平等院澪亜と申します。本日はよろしくお願いいたします」
すぐに澪亜は挨拶をした。
「はじめまして……!」
スタッフ女性は澪亜を見て数秒固まると、ブリジットに素早く近づいた。
『彼女が、ジョゼフさんの?』
フランス語でブリジットに言う。
『そうよ』
「はえ〜。よくこんな子見つけたなぁ〜。礼儀正しいし、なんかお淑やかだし」
ほえー、はえー、という驚きが止まらないスタッフさん。
『いい子でしょう? カメラで写したらもっと素敵よ』
『私も撮影しているところを見たいです!』
『他のモデルさんの案内は終わらせてからね』
ブリジットが笑って言うと、澪亜に向き直った。
『私は撮影準備をしてくるから、澪亜は二番目の部屋で待っていて。この子が服を着せてくれるから』
『かしこまりました』
澪亜が首肯する。
『え?! ブリジットさんが撮影するんですか?!』
スタッフさんが驚いた。
それもそのはず、ブリジットは有名なフォトグラファーで、ジョゼフに懇願されて社員になった人物だ。気に入ったモデルしか撮らないことでも有名で、カメラに関してはとにかく気ままな性格であり、撮りたいときに撮るタイプだった。彼女の実力を知っているから、ジョゼフもそれでいいと言っている。
『もちろんよ。この子を撮らないで誰を撮るの?』
『そうですね。うん、たしかにそうです』
二人は納得し合っている。
澪亜は事情を知らないので会話に入らず、緊張をほぐそうと深呼吸をしていた。
『じゃあレイア、あとでね』
『はい。わかりました』
ブリジットが控室から出ていった。
見届けた女性スタッフが笑顔で澪亜を見つめた。
「ご挨拶が遅れました。小笠原です。よろしくお願いしますね、レイア姫」
小笠原と自己紹介をしたスタッフが澪亜に挨拶する。
彼女はボブカットで背が低い。シンプルな服を着こなしていて、洗練された雰囲気を持っていた。
澪亜は丁寧に一礼した。
「よろしくお願いいたします。初めてなのでちゃんとできるかわかりませんが精一杯やらせていただきます。あと、姫はおやめくださいませ。分不相応な呼び方で……その、恥ずかしいので……」
(皆さん冗談がお好きなのですね。ジョゼフさんにもう一度言っておかないと)
何度も姫、姫と呼ばれるのは恥ずかしい。
スタッフの小笠原が「なんか癒やされるな〜」と言いながら、二番目の部屋を開けた。
「こちらで待機していてください。あとで来ますからね」
そう言って、小笠原は出ていった。
大部屋にはモデルらしき女の子が数名椅子に座っている。
その中に、見知った顔があった。
(田中さん……?)
いじめっ子である田中純子が、椅子に深々と背を預け、足を組み、スマホを操作していた。
学校と変わらない不遜な態度だ。
今日もプロにやらせたのかヘアスタイルをばっちり決めている。決めすぎなぐらいだ。
澪亜が挨拶しようか、それともそっとしておこうか考えていると、純子がスマホから顔を上げた。彼女は澪亜を見つけて怪訝な表情を作り、眉間を寄せた。
「なんであんたがここにいんの?」
純子が不機嫌そうに顔をしかめた。
「ごきげんよう、田中さん」
(挨拶はすべての基本……お父さまの教え……)
澪亜は父の教えを思い出し、笑みを浮かべて会釈した。
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