第10話 ドワーフの金槌


 結局、聖水での洗濯は最高だった。


 ドワーフたちは口々に「油汚れ落ちたわ〜」とか「お父さんの匂いが消えた。嬉しい」と聖水洗濯にドハマリしている。


 室内の作業だと礼拝堂が汚れるので外で洗い、焚き火をして、浄化音符の即席物干し竿を作って衣類を干した。


「聖女さま、こっちにもほしいっす」

「はいはーい」


 澪亜はにっこり笑い、浄化音符で物干し竿を作った。


「こりゃすげえや」


 ドワーフが嬉しそうに洗濯物を干していく。

 色々と規格外な澪亜の存在に慣れてきたらしい。


 ドワーフはあるものをそのまま受け入れる、柔軟な思考の種族であった。


 作業が終わったドワーフたちは敷布を芝生に敷いてごろごろしたり、道具の手入れをしている。

 完全にまったりモードだ。


「なんかすまんな、自由なやつらで」


 アイテムボックスから椅子を出して座ったシュミットが言った。

 彼も旅の装備から普段着になっている。


「いいんですよ。皆さんがリラックスされていて、神殿さんも嬉しいと思いますから」


 浄化音符の椅子に座っている澪亜が答える。

 膝の上にはウサちゃんが乗っていて、左手でもふもふと撫でていた。


「そうかい」


 澪亜が長い脚を綺麗揃えて座り、背筋を伸ばしている姿が、ドワーフたちにはやはり伝説の聖女に見えた。


 その美しさもさることながら、やはり澪亜の持っている気品と優しさが彼らを惹きつけて止まない。


 意識をせずとも、誰しもが澪亜へ視線を向けてしまう。

 焚き火の不規則な炎が、聖女をより幻想的な存在に見せていた。


 シュミットが澪亜の笑みに頬をかき、まずは、と口を開いた。


「色々とありがとよ。俺たちは無事だったのはレイアのおかげだ」

「いえいえ、シュミットさま――シュミットがあきらめずに戦っていたから私の到着が間に合ったんです。私だったらあんなボロボロになるまで戦えるか……わかりません。また一つ、学ばせていただきました」


(みんな傷だらけだった。最後の最後まで戦っていた。だから、私の到着が間に合ったんだよね……)


 澪亜は頭を下げた。


(あきらめないって大切なことなんだ)


 シュミットは照れて「おう」とぶっきらぼうに返事をする。

 首肯した彼を見て、澪亜はふとあの状況が危険だったことをあらためて感じた。


(あれ? 事前に準備しておけばああならずに済んだんじゃ……?)


「そういえばですけど」

「なんだ?」

「シュミットたちの旅は、人数が少なかったのではありませんか?」

「そうだなー。実はな、冒険者の連中と来るはずだったんだが、居ても立ってもいられなくて俺たちだけで来ちまったんだ。ガハハハッ!」

「あの、シュミット……? 本当は冒険者さんと来る予定だったのですか?」


 澪亜が聞き捨てならないと、目を光らせた。


「え? そうだったんだけど……」

「まあ、まあ、それなのに皆さんで飛び出してきたのですか? 危険と知って?」


 目を細めてジトッとシュミットを見つめる澪亜。

 きゅう、とウサちゃんも鳴いた。


 まさか怒られるとは思っていなかったシュミットは喉の奥をつまらせた。


「せ、聖女さまがいるって聞いて、もう我慢できなくなって……」

「なんてことです。ダメじゃないですか。シュミットはリーダーですよね?」

「……いちおう」

「リーダーが勢いで動いてはいけませんよ。私のお父さまが言っていました。リーダーは常に冷静であれ、と」

「確かに……そうだな」


 ごつい身体つきのシュミットが肩を小さくして、うなずいた。


「心配ですよ。とっても。シュミット」


 澪亜は本気で心配しているのか、瞳をシュミットへ向ける。


(こんな素敵な方たちに何かあったら……大変だわ……)


「あ……おう……その……すまなかったよ……レイア」


 シュミットは母親に怒られる子どものように、所在げなく目を泳がせた。


「次は勢いで飛び出したりしないでくださいね? できますか?」

「できる。と、思う……」

「約束ですよ?」


 澪亜が身をかがめて、うつむき加減のシュミットを下から覗き込んだ。

 上目遣いに見られ、シュミットはできないとは言えなかった。


「ああ……うん、わかった、わかったよ。約束だ」

「約束です」


 シュミットは困り果てて顔を逸らした。

 仲間たちはシュミットの普段見ない様子に笑いを堪え、肘で互いを小突きあっている。


(よかった。シュミットなら約束を守ってくれるね)


 澪亜は安堵して身体を元の位置へ戻した。


「きゅう」


 ウサちゃんが「約束だよ」と鳴いている。


 シュミットはどうにもバツが悪いらしく頭をかき、髭を撫で、せわしない。

 終いには「あー、こりゃまいった」と言って周囲の爆笑を買った。


 澪亜はドワーフが笑っている理由がいまいちわからなかったが、楽しそうな皆を見て嬉しくなった。



      ◯



 洗濯物が乾くまでまだ時間がある。アイテムボックスから時計を出すと、十一時だった。


(まだ帰らなくてもいいかな……)


 澪亜はもう少し異世界にいようと思い、焚き火を囲んで、澪亜はドワーフたちから様々な話を聞いた。


 ドワーフの国について。

 魔物について。

 この世界について。


 中でもドワーフ族に伝わる聖女の伝承は興味深かった。


「伝承の聖女さまは超一流の聖魔法の使い手だ。でもそれだけじゃねえ。危機に瀕していた俺たちドワーフ族を守ってくれ、生きる希望を与えてくれたんだ」


 シュミットが熱弁をふるう。

 彼が十分ほど語ると、ドワーフたちから拍手と歓声が上がった。


 澪亜も笑みを浮かべて上品に両手を叩いた。


「大変素晴らしいお話でした。前任者の聖女さまは優秀なお方だったんですね」


(ドワーフ族を助け、食糧危機を救い、人の済む世界を発展させたなんて――歴史に名を残す人物だ。偉人だよ)


 澪亜は前の聖女は自分とは住む世界が違う、雲の上の人だと思った。


「で、ドワーフ族は聖女さまの使う道具を作る役割を与えられた」


 シュミットが自分の脇に置いてある槌をぺしりと叩いた。


「レイアがいま着ている装備も、伝説の鍛冶職人が作った物だぞ」

「まあ。ライヒニックさんですね?」

「鑑定で見たのか? そうだよ、ライヒニックはドワーフたちの憧れだ」


 周囲の仲間から、「ライヒニック!」と声が上がる。


「まあいずれ、俺がそれ以上の装備を作ってやるから、心して待っててくれ」


 シュミットが不敵に笑う。


(自分の好きなことをやってる人の顔だ。職人さんの顔……。お仕事か……私もいつかこんなふうになれるのかな)


 澪亜は「楽しみにしています」とうなずいた。

 そして、自身が直面しているモデル業が思い浮かんでしまった。


(それに比べて私は……せっかくジョゼフさんがお誘いしてくれたのに、まだ迷ってる……。了承したくせに……)


 人前に出て、写真を撮られる。

 大勢の人に見られる。


 そんな職業であるモデルの仕事が、どうしても自分に向いているとは思えない。

 まったく自信がなかった。


 表情を暗くした澪亜を見て、シュミットが「ん?」と声を上げた。


「どうしたレイア。何か悩みでもあるのか?」


 若くして弟子を持つシュミットは他人の表情の変化に敏感だ。

 気負わずに澪亜に質問する。


「いえ……」


 澪亜は顔を横に振った。

 だが、鞠江の言葉が脳裏に浮かんでハッとした。


(そうだ。おばあさまが、困ったときは色んな人の意見を聞くのも一つだって言ってた……)


 数秒ほど迷ってから、澪亜は意を決して顔を上げた。


「シュミット、実は私、悩んでいることがあって……少しだけ聞いていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろん俺たちでよけりゃ相談に乗るぞ。なあ!」


 シュミットが言うと、ドワーフたちが「おう」と快活に返事をする。

 澪亜にはドワーフたちのオープンな心のあり方が、まぶしく思えた。


「まあ……皆さん……すみません。ありがとうございます」

「で、悩みってなんだ? レイアでも悩みがあるんだな」

「はい」


 澪亜は自分がいる世界のことから、モデルの仕事まですべて話した。

 ほんの一ヶ月前まで自分がいじめられていたこともだ。


 ドワーフたちは田中純子に怒りを覚え、澪亜が耐え忍んできた数年間を思い、死んだ両親の話で泣いた。


 全員が豪快に泣くものだから、澪亜も涙が出てきた。


「きゅうきゅう」


 ウサちゃんが心配してくれ、癒やしのスキルが発動する。

 場が和んだ。


「それで、レイアはモデルって仕事をやれるのかわかんねえんだな?」


 涙の止まったシュミットが聞いた。


「そうです。あの……私なんかが、人前に出ていいのでしょうか……?」

「さあ……レイアの住む世界の仕事だから俺にはわかんねえけどよ、誰にでも初めてはあるもんだろ」

「初めて、ですか?」

「そうだ」


 シュミットが腰のポーチから、金槌を出した。

 傷だらけだがよく手入れがされていた。


「ドワーフ族はよ、鍛冶師の見習いを卒業すると親方から金槌をもらう」


 シュミットは軽く金槌を振ってみせる。

 ぶん、と音が鳴った。


「それで初めて金属を打つことができるんだよ」

「見習いでは打てないのですか?」

「そうだ。それまでは革製品とか、石製品で腕を磨くんだ」

「そうなのですね」


 澪亜はかつて家に料理人の話で「数年は料理させてもらえない」という話を思い出した。


 下積みとして雑用をこなし、厨房の仕事を覚えるのだ。


「初めて金属を叩くときはよ、誰だって緊張するんだ。で、必ず失敗する」


 シュミットが歯を見せて笑うと、焚き火を囲んでいるドワーフたちがうんうんと懐かしげにうなずく。


「それで、親方は言うんだ。“今の失敗は一万あるうちの一回だ”ってな」


 シュミットは金槌を指でくるりと回し、ふんと鼻から息を吐いた。


「失敗を恐れちゃあ何も生まれない。平たく言うと、失敗しないと成功もしねえってこった。だからよ、やりもしないで、できないかもって言ってるのはちょっと違うんじゃねえか?」

「……そうでしょうか」

「そうだぞ、レイア。やってみりゃいいんだ。で、思い切り失敗してこい」

「失敗を?」

「ああ」


 シュミットが金槌を振った。


「その失敗は人生で何万回あるうちのたった一回だ。だから大丈夫だ。気にせずやってこいよ。で、その、雑誌とやらができたら俺たちにも見せてくれ。どんな出来映えだって、かまわねえさ」


 他のドワーフたちも「見たい」と口々に言う。


(シュミット……皆さん……)


 澪亜はシュミットの言葉とドワーフたちの心に触れ、揺れている焚き火を見つめた。


 炎は不規則に、力強く燃えている。


 どんな苦境でもあきらめないドワーフたちのようだな、と澪亜は思った。

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