第2話 お昼休みの一幕


 授業が終わり、昼休みになった。


 クラスメイトは仲良しグループで集まって、食堂へ向かったり、持ってきた弁当を広げている。


 澪亜は節約弁当を鞄から出し、自分の机をちひろの机へ、そっとくっつけた。


「あの、ちひろさん……一緒に食べてくださいますか?」


 まだ恥ずかしさがある。澪亜は少し上目遣いで言った。

 ちひろはニヤける顔面を表情筋で押さえつけて、にこやかにうなずいた。


「もちろんです。そのつもりで私もお弁当を持ってきました」

「ありがとうございますっ」


 癒やしのトリプルコンボが発動する。


「……可愛い」


 小声で言いながら、ちひろは自分の脇腹をつねって表情をキープし、弁当を出した。


 二人は先ほどの授業内容を話しながら準備をする。


 弁当の蓋を開けようとしたところで、田中純子グループが近くの席へ陣取り、わざとらしく弁当を広げ始めた。


「ああ、週末にあるティーンズの撮影めんどくさぁ〜い」


 純子が猫なで声で言うと、取り巻き連中が「うらやましい〜」「すごいですわ」「読モとかあこがれる」など囃し立てる。


「でも呼ばれてるからいかないとさぁ〜。私のファンも待ってるしぃ」


 純子はスマホをポケットから出して机に置いた。SNSにある自身のアカウントを見てほしいのか、プロフィール画面にしている。


 登録者数は一万人だ。

 抜け目なく気づいた取り巻き三人組が登録者数の多さにも歓声を上げた。


 純子はふふんと顎を上げて、澪亜を見た。


「どこかのお嬢さまはスマホ持ってないらしいよ? 高校生でスマホ持ってないとかありえなくない? 江戸かよ」


 純子がガン、ガン、と澪亜の座っている椅子の脚を蹴る。


(江戸ですか……たしかに江戸時代にスマホはありませんね)


 澪亜はきゅうりの漬物を上品に口へ入れ、蹴られている椅子を微弱な結界魔法でガードした。澪亜は何も感じず、蹴っている側も違和感を覚えない、という絶妙な魔力操作だ。


(練習したかいがあったね。防御するにしても相手を傷つけないようにしないと……)


「ちょっと。澪亜さんの椅子を蹴らないで」


 ぶらぶらさせている純子の足に気づいたちひろが、非難の目を向けた。

 それでも純子はやめない。


「貧乏人が何か言ってるけど聞こえなーい」


 純子が豪華な弁当を開いて言うと、取り巻きがケラケラと笑った。


 ちひろの眉間にしわが寄っていく。


「小学生じゃあるまいし――」

「ちひろさん、大丈夫ですよ? 何も感じませんので」


 澪亜が背筋を伸ばしたまま言った。


 この言葉を聞いた純子は我慢ならなかったのか、「はあ?」と声を上げ、背後から澪亜の胸ぐらをつかんだ。


「あんた調子乗ってんね? ただのブスなのに?」


 純子は腕をひねり上げて澪亜の顔を無理矢理自分へ向けた。


(また……邪悪探知が反応してる……)


 まったく痛くないが、制服にしわがつくのは気になる。


「田中さん、手を離してください」

「私に指図するな。あんたはぴーぴー泣いてればいいんだよ」


 澪亜の鳶色の瞳と、黒目のカラコンを入れた純子の視線がぶつかる。


(わからない……なぜ私にひどいことをするんだろう……)


 澪亜の瞳には疑問だけが浮かんでいる。


 純子は怯えず自分を見つめてくる澪亜に苛立った。そして、内心で焦っている自分に気づいて余計に腹が立ってくる。


 自分より下だと思っていた澪亜に、どんな攻撃も効かなくなってしまった。

 お手軽なサンドバッグが勝手に鉄塊へと変わったような気分だ。


「ホントむかつくなおまえ」

「――田中さん」


 離してくれないので、仕方なく澪亜が手を伸ばそうとしたときだった。


 パァン、と純子の手の甲に何かが打ち下ろされた。


「いたぁっ!」


 純子は澪亜から手を離した。


「やめなさい。これ以上は担任に報告します」


 ちひろが箸の入れ物を片手で構えている。

 剣道有段者だけあり、堂々としていた。


「あんたねぇ……ふざけんなよ?!」

「口で言っても聞かないからです。クラスメイトの胸ぐらをつかむなんて、同じ藤和白百合女子の学生と思いたくないわ」


 ちひろが箸の入れ物を机に置いて、ため息をついた。


「あなたが澪亜さんに謝るなら、私も今叩いたことを謝罪します」

「……ぜってーあんたんちを潰すからな」


 純子が手をさすりながら、ちひろを睨んだ。

 取り巻き三人組は息を潜めて成り行きを見ている。


「どうぞご自由に。ああ、うちの会社、来年の収益が三倍になるそうです。田中さんにはありがとう、と言わなければなりませんね。我が社から撤退してくださって、ありがとう、ごきげんよう」


 純子は言葉を失い、くそっ、と吐き捨てて立ち上がった。


(ちひろさんに助けられたよ……。こういうの、私は苦手だな……)


 澪亜は早く終わってほしいと黙り込んでいる。


「白ブタ、これを見ろ」


 純子は標的を澪亜に変え、自分のスマホを突きつけた。


「あんたと違って私は人気者なの? わかる? 読モでファンが一万人いるの」

「はい。そうみたいですね?」


 SNSに疎い澪亜は小首をかしげ、うなずいた。


「それに比べてあんたはどう? 没落貧乏ご令嬢、ばあさんは目が見えない、両親はバカで死んだ。ハッ、クソ底辺じゃん。身の程を知れ」


 言葉の凶器を振りかざして純子が汚く笑った。

 ちひろは純子のあまりの言いように怒りが込み上げ、反撃の許可をもらおうと澪亜を見た。


「……」


 澪亜は顔を伏せた。

 純子の言葉が、他人を傷つけるための攻撃手段だと理解している。


(おばあさまは治癒魔法で目が見えるようになった。お父さまとお母さまは立派な人たち。私は知ってる。知らない田中さんに言われても、真実は変わらない)


 澪亜は言い返すことなく静かにしていた。


 また打ち据えてやろうと身構えたちひろ、ショックを受けると予想していた純子は、澪亜を見て何も言えなくなった。静謐な神社で大声を出すのは憚られる――そんな特殊な緊張感を澪亜が発していた。


「……」


 澪亜は両手を膝の上で揃えて、静かに口をつぐんでいる。


「……調子乗るなよ」


 純子はそう言って、弁当を回収して教室から出ていった。

 取り巻き三人組も後を追う。


 田中グループが教室から消え、ちひろが深い溜息をついた。


「はぁ〜……。あの女、澪亜さんを妬んでるんだわ」

「妬んでいる?」


 澪亜が小首をかしげた。


「そうです。それよりも澪亜さん、もう少し言い返したほうがいいです。あの手の連中は弱い者を攻撃して自分のアイデンティティを保とうとする、弱者です」

「言い返す……」

「はい。言い返してください」

「うーん……私にはできそうもありません」


 ちひろは肩を落とした。


「澪亜さんは優しすぎます。ああ……でも……そんな澪亜さんだから、私はずっと友達になりたいと思っていたのかもしれませんね」


 ちひろが言いながら、腕を組んで勝手に納得している。

 澪亜はまた一つ認められたような気がし、頬を赤くした。


「それなら、私はずっとこのままでいます。ちひろさんとはずっとずっとお友達でいたいですから……」


 澪亜は言ってしまってから恥ずかしいと思ったのか、もじもじと足をこすり合わせ、ちひろを見つめた。


「え? あ…………ぁ」


 ちひろは脳内で「アカァン」と叫んで、自分の身体が爆発でぶっとんで粉々になり、ハート型のスライムに変化する光景を幻視した。スライムたちはもぞもぞと集合して人間のちひろへと戻る。


 この間コンマ一秒。


 ちひろは軽く咳払いをして、「私もです」と胸を張って言った。


 言われた澪亜は嬉しくなって、

「まあ! まあ!」

 と両手で口をお上品に押さえた。


「ずっとお友達でいましょうね?」


 大輪のひまわりのごとく、澪亜が笑った。


 ちひろは「アカァァァン!」とまた脳内で爆発した。今度は正気に戻るまで、少々の時間を有した。


 飛び火したのか、教室にいたクラスメイトたちも顔を赤く染めていた。

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