第28話 後顧の憂いなし



 スキル〈幸運の二重演奏〉を使った翌日、澪亜はちひろと登校の約束をしていた。


(次の電車で来るかな?)


 澪亜は両手で鞄を持ち、改札前の時計台で待っていた。


 純白の制服姿に亜麻色髪がまぶしく見えるのか、改札から出てくる生徒やスーツの人々が澪亜を必ず二度見して通り過ぎていく。


 八頭身のスタイルに母譲りの美貌が輝いている。

 有り体に言ってめちゃくちゃ目立っていた。


(視線を感じるような気が……あ、時計があるからだね)


 澪亜はちらりと上を見上げた。

 皆が時計台で時間を確認していると勘違いしたらしい。


 まだ自分の容姿に自信がなく、注目されているとは思っていない。


「モデルさん?」「美人なのに可愛い……」「なんか癒やされるなぁ」


 そんなつぶやきをして、駅の利用者が通り過ぎていく。


 改札担当の駅員は二十秒ほど澪亜に見惚れて「ぼーっとすんなよ」と上長からお叱りを受けていた。



 電車が到着して、改札口から学ラン、女学院の純白ブレザー、スーツ姿の人々が通過していく。皆が澪亜を見て驚いた顔をし、頬を緩めた。


 澪亜はそれに気づかず、黒髪で凛とした雰囲気を持つ女子生徒を探した。


(ええっと、どこにいるかな……あっ!)


「桃井さん――ちひろさぁん」


 言い間違えてすぐに訂正し、澪亜は笑顔で手を振った。

〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉がトリプルコンボで発動した。


 朝の気だるい改札前は、薔薇が咲いたようなゆったりした空気に変化した。


「澪亜さん……」


 定期券を改札にかざしたちひろは澪亜の笑顔を見て、頬を染めながらおでこを手で押さえた。


「おはようございます、ちひろさん」

「おはようございます、澪亜さん。あの、ここで待っていたのですか?」

「はい、そうですよ」

「なるほど、なるほど」


 ちひろは改札前の時計台を見上げた。

 これは目立つなぁと思うも、ニコニコと嬉しそうに微笑んでいる澪亜を見ているとダメとは言えなかった。


「あの、澪亜さん?」

「なんでしょう」

「もう少し自分の影響力を考えたほうがいいかと思いますよ?」

「影響力?」


(んん? どういうことだろう?)


 澪亜はよくわからずに小首をかしげた。


「いえ、いずれわかることです。それよりも行きましょうか」

「そうなのですね? わかりました、まいりましょう」


 素直にちひろの言葉を聞き、澪亜はちひろと並んで歩き出した。



      ◯



 教室に到着して、ガラリとドアを開ける。


 始業にはまだ三十分ほど時間があった。


「没落令嬢と貧乏人のご出勤だわ」


 田中純子が座っていた机から下りた。

 朝一でちひろをいびってやろうと思っているのか、にやにやと口を歪ませている。

 取り巻き三人組も後ろで半笑いを浮かべていた。


「おはようございます、田中さん」


 澪亜が笑顔で挨拶する。

 ちひろは何も言わずに席へ移動した。


 純子は夏休み明けから余裕な態度の澪亜が気に食わないのか、チッと舌打ちをし、メイクで三割増しにした顔にしわを寄せた。


「桃井委員長〜。パパから何か言われませんでしたかぁ? 会社がヤバいとかさぁ」


 くすくすと取り巻き三人組が笑う。


 純子たちが着席した澪亜とちひろを取り囲んだ。


(田中さん……もうやめたほうがいいのに……)


 スキル〈邪悪探知〉が反応している。純子の心で負の感情が渦巻いている。澪亜は彼女を不憫に思った。


「私、昨日すぐにパパに言ったんだよね。桃井さんがいじめるぅ〜って。そしたらパパが激おこでさぁ〜」


 猫なで声を出し、純子が両手を広げてひらひらと動かした。


「まあ」「それは怒るよね」「委員長はひどい人ですわ」


 取り巻き三人組が合いの手を入れる。


「……」


 ちひろは表情を消して話を聞いていた。


 純子はちひろが何も言い返せないと思ったのか、愉悦を感じてケラケラと笑った。


「それでさぁー、うちのパパったら、もう桃井さんのところとは取引をやめるって言い出しちゃって! 私言ったんだよ? そんなことしたら桃井さんちが倒産して貧乏になっちゃうよって」


 愉しくてたまらない、と純子が頬に手を当てる。


「でもパパが、私をいじめる子どもの親なんてろくでもないやつだーって聞いてくれなくて。多分なんだけどぉ〜、桃井さんの会社に悪評が出回ってるかもしれないわ。ごめんねぇ〜」


 わざとらしく謝罪する純子。

 取り巻き三人組が笑いをこらえている。


「桃井さんのパパ、今頃取引先に“捨てないでください”って泣きながら頭下げてるかもぉ〜。用済みになった愛人みたいにぃ〜」


 純子の言葉に取り巻き三人組がついにこらえきれないとギャハハハ、と笑い始めた。


「どうだった? ねえ、あなたのパパさんの顔、どんなだった? 教えてよ」


 純子がにやけた口元を隠そうともせず、ちひろに顔を寄せた。


「……」

「黙ってちゃわかんないよぉ。委員長さん困りまちたねぇ〜」


 赤ちゃん言葉で煽りに煽る純子。


(私、いつもこんなふうに言われてたんだ……)


 澪亜は冷静に観察し、自分がいかに心を攻撃されてきたのかを知った。

 ここまで黙っていたちひろがようやく口を開いた。


「田中さん。ごめんなさい」

「なぁに? 謝っても許さないけど?」


 純子はにやにやとちひろの反応を愉しげに見ている。


「いえ、そうではないのです。あなたが今言ったこと、全部私にとってどうでもいいことなので、その化粧臭い顔を近づけないでください。そう言いたくて」

「……はぁ?」

「私の家のことはどうぞお構いなく。田中家との取引がなくなって父も清々しています」

「なにぃ? 夜逃げの覚悟でも決まったの? ウケる〜」


 ちひろが強がっていると勘違いした純子がまた笑い始めた。


「ああ、説明しないと要領を得ませんか」


 無表情であったちひろが、純子へ鋭い視線を送った。


「あなたの家との取引など、どうでもいいのです。あなたのパパの会社が取引をやめようがやめまいが、うちには何も影響ありません」

「……何言ってんの? あんたバカなの?」

「バカでもわかるお話ですけれど?」


 ちひろが淡々と言うと、純子が声を張り上げた。


「だーかーらぁ! あんたの家はうちの会社が撤退したら大損害なんでしょ?! どうでもいいわけないだろ!」

「ハァ……」


 ちひろがため息を吐いて黒髪をかき上げた。


「有名アナリストが父の会社を大変評価してくださっているの。今朝、ウェブで記事が投稿されたわ。今は仕事が大量に入ってきて大忙しなのよ」

「……なんだと?」

「ですので、田中さんの会社との取引がなくなったぐらいで大騒ぎしません。猿でもわかる理屈ですよね? Understand?」

「――ッ!」


 帰国子女のちひろに理解したかと英語で聞かれ、純子はぎりぎりと歯を食いしばった。


 取り巻き三人組は純子のご機嫌をうかがうように薄ら笑いを浮かべている。


「ハッタリだろ?! 一晩でそんな運のいいことあるわけない!」


 駄々っ子のように純子が叫んだ。


 すかさず、ちひろがスマホを取り出してアナリストの記事を見せる。

 題名には『優良デザイン会社』と書かれていた。


 それを見た純子は苦虫を大量に口に入れたような顔をし、ガンと近場の机を蹴り飛ばした。


「あーあー! ホントつまんない! クソ! まじでクソッ!」


 純子は顔を真っ赤にした。


「もういい。冷めた。行こ」


 踵を返し、席にもどる純子。


 あわてて取り巻き三人組が「待って」「あいつムカつく」「ないわ」などご機嫌取りをしながら、後を追う。


 澪亜は一連の会話を聞き、難しく考え込んだ。


(田中さん……理解できない人だ……。昔に嫌なことでもあったのかな……?)


「まったく……あの女、根性がひん曲がってますね」


 ちひろがつぶやいている。


「澪亜さん、あの子ホントひどい女よね?」


 ちひろが苦い顔つきで言った。

 澪亜は視線をちひろへ戻した。


(それより、幸運のおかげでちひろさんに大事がなくてよかった。そう考えよう。会社の経営もこれで大丈夫だね)


「そうですね。肯定したくないのですが、否定する材料も見つかりません」

「澪亜さんに言われるってよっぽどな気がするけどね……」

「そうでしょうか?」

「そうよ」


 ちひろが笑みを浮かべ、大きく伸びをした。

 教室には次々と生徒が入ってくる。気づけば窓の外では生徒たちの楽しそうなおしゃべりの声が響いていた。


 純子とその取り巻き連中はチラチラと澪亜とちひろを見て、苦々しい顔つきをしている。


 今のところ、これ以上の攻撃はなさそうであった。


「んん〜。はあ……。これでやっと澪亜さんと堂々としゃべれますね」


 にっこりと笑みを浮かべ、ちひろが澪亜を見つめた。


「そうですね。本当によかったです」

「澪亜さんが家に来て、幸運が舞い降りたような気がします」

「ええ? そんなことないと思いますよ」


 言い当てられてしまい、ちょっとうろたえる澪亜。

 幸運値+7777のバフをかけました、とは言えない。


「幸運の女神……いや、どちらかと言うと澪亜さんは聖女っぽいわね……」


 ちひろは腕を組んで唸ると、顔を上げた。


「幸運の聖女! うんうん、そうね、それがしっくりくるわ」

「聖女、ですか?」


(ちひろさんってものすごく勘が鋭い人なのかな?)


 澪亜は「はい聖女です」とは言えず、控えめに笑った。


「そうです、聖女です。だって澪亜さんって美人で可愛くてお淑やかで、誰にでも優しいでしょう? 田中純子のこともあまり引きずってないみたいだし、もう聖女ですよ」


 ギアが入ってきたのか、ちひろがクールな黒い瞳を輝かせた。


「そうです。澪亜さんは美人で可愛くて、もう最強です。これずっと言いたかったんです」

「美人で可愛く……いえいえいえ、そんなことはありませんよ! 恥ずかしいからやめてください」

「いえいえやめませんとも。本当に思っているんですから! なんだかもう、今すぐ、ああああっと窓から叫びたいぐらいなんです。それくらい澪亜さんは可愛いんです」

「そそそ、そんなこと――ぁぅ――やめましょう――ね?」


 澪亜がぷるぷると首を振り、顔を赤くする。

 ついでに足をこすり合わせてちひろを上目遣いに見つめた。



「――ぁ」



 ちひろは心臓の音がトゥンクと鳴る音を聞き、自分の身体が宇宙空間に放り出される幻影を見た。


 この世界で最強破壊力・魅力値7000を持つ聖女の恥じらい&上目遣いに、ちひろの精神力がバーストしたらしい。


 体感で数秒、宇宙を浮遊して、ちひろは我に返った。


「脳みそから変なお汁が出たような気がしたわ……」


 ちひろはふうと息を吐いて額の汗を拭う――ちなみに汗はかいていない。

 そしてちらりと澪亜を見た。


「Oh……」


 澪亜はまだ恥ずかしいのかぷるぷるしてうつむいていた。

 ちひろは危険を感じてすぐに目を逸らした。


「鼻から牛乳が出てきそうね」


 よくわからないことを言っている学級委員長。


 ちひろは自分の身が持ちそうもないため、今後、澪亜に褒められる耐性をつけてもらおうと決意した。

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