第27話 幸運の二重演奏
澪亜がステータスを見ていると、ちひろが紅茶を運んできた。
「澪亜さん、お砂糖とミルクはいりますか?」
「ありがとうございます。ストレートでいただきます」
高級なカップに入った紅茶からは湯気が上がっている。
ちひろは父と自分の分もテーブルに置くと、ソファに腰を下ろして、小さく息を吐いた。
「実は澪亜さんが来るまで、私もお父さんも、冷静ではありませんでした」
「そうなのですか?」
「実は、田中純子がもう手を回したみたいで、お父さんの会社との取引を中止したんです」
ちひろの言葉に、父昌景がカップを手に取り、うなずいた。
「一度頭を冷やそうと思って家に帰ってきたんだ。ああ、心配しないでほしい。前々からちひろに田中さんのことは聞いていた。こうなる可能性も考慮して動いてはいたんだ」
昌景がゆっくりと紅茶を飲んだ。
「澪亜さんとウサちゃんのおかげで癒やされたよ。冷静に事を受け止められそうだ」
癒やしのスキル、トリプルコンボのおかげだろう。
(田中さん……なんてことを……)
澪亜は純子の去り際の表情を思い出した。
人を貶めようとする仄暗い表情――
平等院家を乗っ取った夏月院の人間も同じ顔をしていた。
「きゅう」
澪亜が考え込みそうになったところでウサちゃんが鳴いた。
耳をぴくぴく動かして、澪亜の手にすり寄る。可愛い。
「ウサちゃん、ありがとう」
澪亜はウサちゃんをもふもふと撫でた。
「澪亜さんには伝えておきますね」
ちひろが長い足を揃え、ソファから身を乗り出した。
「父の会社の状況は、かなり悪いです。田中と関連のない会社との取引を増やしている最中でしたので、不完全なところを攻撃されたようなものです。今回の件でほとんどの取引先が離れていくと思います」
「そんなことに……」
「すでに強引な契約破棄がいくつか出ているそうです」
ちひろが言うと、昌景がカップをソーサーに置いた。
「はっきり言うと、ここで食い止めないとうちはボロボロになる。まあ、澪亜さんが気にすることじゃないけどね。また再起すればいいだけだ」
(呪縛スキル〈破鏡不照(はきょうふしょう)〉……再起は厳しい。スキルの強力さは私がよく知っている)
澪亜は様々な聖女スキルを使ってきた。
どれも嘘偽りのない効果がある。
昌景が会社経営者らしく、澪亜とちひろをゆっくりと見つめ、落ち着いた声で言った。
「確率は低いけど一発逆転の方法がある」
「そうなの?」
ちひろが笑みを浮かべた。
「ああ。運がよければ、有名アナリストに記事を書いてもらえそうなんだ。うちの会社が候補に入っていると言っていた。彼はいい会社の記事しか書かないことで有名だ」
「じゃあ今、連絡を取っているところなのね?」
「いや、連絡待ちだよ」
昌景はソファに深々と背を沈めた。
「神のみぞ知る、だ」
アナリストとは企業の評価をする専門家のことである。
有名なアナリストにこの会社はいいぞ、と評価をもらえば、会社の評判は格段によくなるだろう。投資家からも注目され、いいこと尽くしだ。
(運が必要……私にもお手伝いできそうだね……。ウサちゃん、予定通りやりましょう)
真剣に話を聞いていた澪亜はウサちゃんを見た。
ウサちゃんが「きゅう」と鳴く。
なんとなく澪亜の雰囲気から察したらしい。
澪亜はつとめて笑顔を浮かべ、昌景とちひろへ視線を移した。
「あの、少々お時間をよろしいでしょうか?」
スキル〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉が発動し、昌景とちひろの表情が弛緩した。ちひろはどうにかキリッとした表情を作ろうとしている。
「私から縁起の良い曲をお贈りしたいのですが、ピアノをお借りしてもいいでしょうか?」
「先ほど電話で話していた……もちろんですよ」
ちひろが笑顔でうなずき、立ち上がった。
「お父さん、澪亜さんはプロピアニストのおばあさまから直々に指導を受けているの。とてもお上手なんですって」
「それはいいね。景気づけに一曲お願いするよ」
ちひろの言葉に昌景が口角を上げた。
彼もちひろも音楽鑑賞が趣味だ。
ちひろはリビングにあるピアノへ手を差し伸べた。
「ありがとうございます。私に何かできることがあればと思って……曲を弾くことしかできませんことをお許しください」
(少しでもお役に立てれば嬉しいな……)
澪亜はウサちゃんを抱いたまま立ち上がり、ウサちゃんをピアノの上にそっと置いた。
「きゅっきゅう?」
「そうですねぇ……」
ウサちゃんから何を弾くのと聞かれて、澪亜は逡巡し、昌景とちひろを見た。
二人とも嬉しそうな顔で曲を待っている。
「ショパンの英雄ポロネーズを弾こうかと思います」
「素敵ですね」
「はい。ポーランドの曲で、婚礼やお祭りでも使われる曲ですね。ちひろさんのお父さまが人生の新しい転換期を迎える――そんな意味でぴったりだと思います」
純白の制服に白いウサギ。
亜麻色の髪の澪亜が姿勢よくピアノの前に座る。
黒い鍵盤の前に座る澪亜は絵画から飛び出してきた聖女のようであった。
ちひろも昌景も、澪亜が嬉しそうに話す姿に見惚れた。
「では、弾かせていただきます――ウサちゃん、準備はいいですか?」
そんな二人の反応には気づかず、澪亜は小声でウサちゃんに聞いた。
きゅうとウサちゃんが鳴いた。
スキルの準備はオーケーのようだ。
(スキル〈幸運の二重演奏〉――対象者、桃井昌景さん、桃井ちひろさん。……よし、うまくいったみたい。あとは曲を弾けばいいんだね)
澪亜はすうと息を吸い込んで鍵盤に長い指を落とした。
そこで、ふと思いついた。
(ヒカリダマさんが出てくるとさすがにまずいかも……)
「ヒカリダマさん……お二人に見えないよう姿を消すことはできますか?」
小声で誰もいない宙に聞いてみる。
すると、一瞬だけ窓ガラスの光が屈折して澪亜の視界がキラリと光った。
どうやらできるとのことらしい。
「きゅう」
ウサちゃんもうなずいている。
澪亜は笑みを浮かべ、もう一度深呼吸をして、演奏を開始した。
美しい旋律が部屋を満たした。
澪亜の指が魔法のように鍵盤を走り、力強くも気品のある音色がリビングに響き渡る。
愛と勇気を彷彿とさせる英雄ポロネーズは澪亜にぴったりの曲であった。
ちひろと昌景は思わず「あぁ」と声を漏らし、背筋に言いようのない興奮した感情が走るのを感じた。
(お二人に幸運を――!)
澪亜が祈りながら演奏をする。
ウサちゃんが曲に合わせて「きゅう」と鳴いている。
不可視のヒカリダマがいくつも浮かんでウサちゃんとの共同スキル〈幸運の二重演奏〉が発動し、ヒカリダマは球体から大きな星型に変形した。
(お星さまが二つ、大きくなっていきます!)
曲が終盤に差し掛かると、星が回転し始め、澪亜が最後の和音を鍵盤で奏でて曲を終わらせると同時に、昌景とちひろの身体へ飛び込んだ。
「きゅう」
ウサちゃんが鳴くと、ぶつかった星がバァンと弾けてバラバラと二人の身体に小さな星が降り注いだ。
スキル〈幸運の二重演奏〉が付与された。
――パチパチパチパチ
「素敵! 素敵です澪亜さん!」
「素晴らしい演奏だ。泣きそうだよ!」
ちひろは興奮した様子で、昌景は涙をこらえて拍手をしている。
二人の拍手は止まらない。
澪亜の演奏が二人の胸を打った。日常生活では感じることのできない感動が、二人の胸の内に広がっていた。
(恥ずかしいけど……嬉しい……)
澪亜はこんなにも喜んでくれる二人を見て、自分の胸に手を置き、立ち上がって丁寧に一礼した。
ウサちゃんもきゅうと頭を下げる。
今まで父と母、祖母の前でしか弾いてこなかったので、二人の反応が新鮮だった。
澪亜はまた一つ、自分ができることを見つけられたような気がし、頬が熱くなってくる。
「お聴きいただきありがとうございました。あの、お二人の拍手が、とても嬉しいです」
恥ずかしそうに頬を染め、はにかんで澪亜が言った。
ちひろと昌景はそんな澪亜を見て思わず顔をほころばせ、デレデレした表情を作って頭に手を置いた。
まったく同じ反応をしているのが親子らしかった。
「い、いやぁ、だって素敵だったもの。ねえ、お父さん?」
「最高の演奏だったよ。もう澪亜さんのファンだよ」
「……!」
「……!」
二人は互いのだらしない顔を見て、ハッとした。
なんてひでえ顔だ。そう思ったらしい。
二人はすぐさまキリリとした表情に戻し、澪亜を見つめた。表情筋との戦いであった。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、本当に嬉しいです」
ニコニコと澪亜が白い歯を見せる。
世界が平和になりそうな笑顔に、二人は「くっ」と言って表情筋をさらに引き締めた。
澪亜はまた一礼して、ウサちゃんを抱き上げた。
「きゅう」
ウサちゃんの催促に澪亜はうなずいた。
(効果が出ているか――鑑定)
――――――――――――――――――
桃井昌景
◯職業:取締役社長
レベル1
体力/10
魔力/0
知力/22
幸運/5(+7777)
魅力/20
◯一般スキル
〈礼儀〉ビジネス作法・習字
〈剣道〉
〈交渉術〉
〈デザイン〉空間デザイン・WEBデザイン
●呪縛
〈
◯付与
〈幸運の二重演奏〉――時間制限アリ
――――――――――――――――――
昌景の幸運値に+7777が付与されている。
成功だ。
さらに澪亜はこっそりと浄化魔法を唱え、黄金の音符を出現させた。
こちらも二人の目には映らないようお願いしている。
(浄化音符さん――いってください!)
バラバラと音符が飛んでいき、昌景の身体に吸い込まれていく。
父と娘は表情筋を引き締めるのに忙しい。
(うっ……浄化を拒絶しているみたいです……もっと音符を――)
さらに魔力を注入していく。
昌景の身体が見えなくなるほど、音符が渦になって昌景を取り囲む。
しばらく押したり引いたりの攻防があり、黄金の音符たちはジャ~ンと和音を響かせて空中に霧散した。
(ああっ! 音が鳴ってしまいました……!)
浄化音符から音が出ると思わず、澪亜はうろたえた。
(ど、どうしましょう!?)
「また弾いてくれるのかな?」
澪亜がピアノを鳴らしたと勘違いしてくれた昌景が顔を向けた。
「いえ、いいピアノなので確かめたくなって……」
(よかった。勘違いしてくださって……)
「そう。また弾いてくれてもいいんだよ?」
「お父さん、もう夕食の時間だよ? 澪亜さんに悪いでしょう」
「それもそうか」
ちひろの言葉に昌景が笑う。
澪亜は素早く鑑定を使った。
――――――――――――――――――
桃井昌景
◯職業:取締役社長
レベル1
体力/10
魔力/0
知力/22
幸運/5(+7777)
魅力/20
◯一般スキル
〈礼儀〉ビジネス作法・習字
〈剣道〉
〈交渉術〉
〈デザイン〉空間デザイン・WEBデザイン
◯付与
〈幸運の二重演奏〉――時間制限アリ
――――――――――――――――――
「きゅう!」
「よかった悪いスキルが消えていますね」
ウサちゃんと目を合わせ、澪亜が笑った。
(でも、呪いってあったよね……。この世界も怖いな……)
そんなことを考えながら、澪亜はちひろの幸運値も見てみる。
(ちひろさん、ごめんなさい。ステータスを見せていただきます)
心苦しいが、効果が出ているかの確認は必要なので、澪亜は「鑑定」と唱えた。
――――――――――――――――――
桃井ちひろ
◯職業:学生
レベル1
体力/5
魔力/0
知力/10
幸運/4(+7777)
魅力/18
◯一般スキル
〈礼儀〉令嬢作法
〈剣道〉
〈不退転〉
◯付与
〈幸運の二重演奏〉――時間制限アリ
――――――――――――――――――
こちらも成功であった。
ちひろにもバフをかけたのは澪亜の優しさだろう。
家族に幸運な者が多ければ、いいことも起きやすいのでは? という推測も含まれている。
ちなみに、現時点で桃井昌景と桃井ちひろは全人類で最強のラッキー親子となった。
聖女の澪亜ですら幸運値は6000だ。
それがバフで+7777。
ゼファーとフォルテがこの場にいたら「今こそ宝くじ売り場へ!」とアドバイスするに違いない。
(よかった……これでアナリストの方からご連絡が来ればいいけど……)
澪亜がホッとし、ちひろと昌景が澪亜の演奏のどこがよかったか言い合っていると、携帯電話が鳴った。
「ああ、すまないね」
昌景のスマホに着信があった。
彼はポケットからスマホを取り出し、画面を見て驚愕した。
「お、おおっ! ごほん……オーケーオーケー、落ち着いて。落ち着いてくれ」
「私たちは落ち着いているわ、お父さん」
父の動揺ぶりにちひろが言った。
いつもの自分であると言ってあげたい。
「例のアナリストからの電話だ!」
その言葉に、澪亜とちひろは顔を見合わせ、目を輝かせた。
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