第26話 桃井家


 澪亜はウサちゃんと現実世界へ戻り、普段着に着替えた。

 電話をしようと居間に入ると、背筋を伸ばしてタブレットを操作していた祖母鞠江がウサちゃんを見て目を細めた。


「まあ、可愛いわねぇ! そのウサギ、どうしたの?」


 鞠江はピアノ教室の生徒さんである美容師に無料で切ってもらったのか、髪型が少し変わっている。目が見えるようになって、鞠江は生き生きとしていた。


 澪亜は鞠江にウサちゃんを紹介し、そのままウサちゃんをそっと渡した。

 ウサちゃんも鞠江のことを気に入ったのか、膝の上に抱かれても逃げたりしない。


 鞠江はウサちゃんが神殿で澪亜の帰りを待っていると知ると、眉を下げてウサちゃんの背中を撫でた。


「このウサちゃん、うちに住んでもらいましょうよ。異世界で一人ぼっちはかわいそうだわ」

「ありがとうございます。相談しようと思っていたので、嬉しいです」

「ああ、ごめんなさいね。可愛くって興奮しちゃったわ。電話使うんでしょ? 通話料がかかるから手短にね。貧乏っていやねぇ」


 そう言いながら、鞠江は楽しそうに笑っている。


 澪亜も笑みを浮かべ、下校時に教えてもらった桃井ちひろのスマホに電話した。

 ちなみに澪亜はスマホを持っていないアナログ女子である。単純に契約するお金がないのだ。


 数コールでちひろが電話に出た。


「お忙しいところ失礼いたします。藤和白百合女学院一年A組の平等院澪亜と申します。ちひろさまはいらっしゃいますでしょうか?」

『ああ、平等院さん――澪亜さん。ちひろです。どうしたのですか?』

 

 ちひろは受話器越しで嬉しそうな声を上げた。

 まだ名前呼びが慣れないのか、お互い初々しい。


「夕食前に申し訳ありません。大変不躾なお願いがあるのですが、いいでしょうか……。その、とても重要なことなのです」

『重要なこと?』

「はい。これからちひろさんのご自宅にお伺いしてもよろしいですか?」

『え? これから来てくれるんですか?』

「ご迷惑でなければ……はい」

『もちろんいつでもオーケーです。とっても嬉しいわ。それで、何か用事があるのかしら?』

「実は私の親友を紹介したいと思いまして、お友達になってくださったちひろさんにはぜひ紹介したいんです」

『そうなんですか? そんなに重要なお友達? 澪亜さんの友達なら大歓迎ですが……』

「ありがとうございます! 最近お友達になったウサギです」

『……ウサギ?』


 ちひろが驚いている。


「はい。もふもふでとっても可愛いんです。名前はウサちゃんです。ウサギのウサちゃんです」

『ふふふ……あははっ!』


 ちひろはウサギのウサちゃんというフレーズが面白かったのか、笑い始めた。

 澪亜の可愛いところを見つけてしまった、という笑いだ。


『澪亜さんって面白いんですね』

「……ぁぅ……ちょっと恥ずかしいです……今思えばウサちゃんというネーミングは子どもっぽかったかもしれません」

「きゅう」


 ウサちゃんが鞠江の腕の中で鳴いた。「気に入ってるよ」と言っている。


『笑ってしまいごめんなさい。そういう意味でなく、なんだかとても可愛かったから……。私も話したいことがあるのでよかったです。タクシーで迎えに行きましょうか?』

「いえ、ご住所をいただければ問題ありません。ご自宅にピアノはありますか?」

『ピアノ? 弾いてくださるの?』


 ちひろが興奮した声を上げた。


「はい。お近づきのしるしにぜひとも」

『ピアノはありますよ。私の姉がよく弾くので』

「よかったです」


 澪亜は安堵して息を吐いた。


 ちひろの家にピアノがなければアイテムボックスで持っていこうかと思っていたのだ。その場合はちひろに能力が露見してしまうので、最終手段である。


(まだ異世界の存在を伝えるのは早いよね……変な子だって思われたくないし……)


『楽しみです。澪亜さんがプロ並のピアニストだと風の噂で聞きました』

「そんな。おばあさまに比べたらまだまだです」

『比較対象がすごすぎですよ』


 ちひろが笑い、澪亜も笑顔になった。


 友人との電話も初めてなので気分が高揚する。


『では住所を伝えますね――』

「はい。よろしくお願いいたします」


 澪亜は受話器を持ち替え、ちひろの自宅住所をメモし、電話を切った。



      ◯



 ちひろの家は自宅から歩いて二十分ほどの場所だった。

 澪亜はウサちゃんを抱いたまま、制服姿でちひろの家に向かう。


「きゅう」

「そうですね。頑張りましょう」


 ウサちゃんがやったるで、と気合いを入れている。

 澪亜は微笑んでウサちゃんの背中を撫でた。


 日が沈んできたので、なるべく住宅街の大通りを歩く。純白の制服でウサギを抱いている姿はかなり目立った。すれ違う人が澪亜とウサちゃんを見て、ほっこりした顔で通り過ぎていく。


 ちひろの家に到着した。


(大きなお家ですね)


 一般的な一軒家の五倍ほど敷地が広い。

 塀が高く、自動シャッターの車庫があった。


 澪亜が以前住んでいた平等院家の豪邸と比べると大したことはないが、それでも十分に金持ちの住む家だ。


 インターホンを押すと、すぐにちひろが出てくれた。


『澪亜さん、お待ちしておりました』

「はい。突然の訪問で本当に申し訳ありません」

『いいんですよ。さ、どうぞ』


 ガチャリとロックが開き、澪亜は敷地内へ入った。


 庭を横目に玄関の前へ到着すると、ドアが開いて制服姿のちひろが出てきた。まだ着替えてなかったらしい。


「澪亜さん。こんにちは」


 ちひろの瞳が嬉しそうにつぶれ、澪亜も自然とほころんだ。


「ちひろさん、ごきげんよう」


 澪亜が言うと、ちひろは抱いているウサちゃんへと目が滑り、口角を上げた。


「かわいい。かわいいです。ウサギのウサちゃんですね?」

「ええ、そうです。とっても優しい子なんです」


 ウサちゃんが顔を上げ、ちひろと目が合った。

 ウサちゃんはじいっとちひろを見つめると、鼻をぴくぴくさせて「きゅう」と鳴いた。


 めっちゃいい子だね、と言っている。聖獣にはわかるらしい。


「そうなんです。ちひろさんは素敵な方なんですよ」


 澪亜がニコニコと笑って言うと、ちひろが頬を赤くした。


「澪亜さん、ウサちゃんに変なこと言わないでください。恥ずかしいから」

「まあ、本当のことですから」


 曇りのない澪亜の瞳に、ちひろは少々うろたえた。

 スキル〈癒やしの眼差し〉が効きすぎたのか、顔のにやけを我慢するのに必死だ。


「うんうん、澪亜さん、ありがとう、ありがとう。落ち着きましょう。ええ」

「はい、落ち着きましょう」

「とりあえず中へどうぞ」

「すみません。お邪魔いたします」


 広い玄関で靴を脱ぎ、リビングに通された。


 シックな家具で揃えられたお洒落な家だ。澪亜は鞠江と住んでいる今の家も好きだったが、こういった洗練された家もいいなと思う。


 大きなソファ席にはスーツ姿の男性が座っていた。


「私のお父さんです」

「まあ。突然の訪問、大変恐縮でございます。わたくし、ちひろさまと同じクラスの平等院澪亜と申します。こちらはウサギのウサちゃんです。二人でお邪魔させていただきます」

「きゅう」


 ウサちゃんを抱えたまま丁寧に一礼する澪亜。


 ちひろの父は澪亜の美しさと物腰に三秒ほどフリーズし、我に返って立ち上がった。


「ご丁寧にありがとう。ちひろの父、昌景です」


 ちひろの父、昌景はオールバックに洒落たツーピースのスーツを着ている。ウェブ媒体の広告にデザインを提供する会社の社長だけあって、本人もお洒落だった。年齢は四十代後半に見える。


「君の話はちひろから聞いているよ」

「まあ、そうなのですか?」


 澪亜はちひろを見た。


「ええ、まあ、そうですね。お父さん、余計なこと言わないでね?」

「そうかな? 澪亜さんと友達になりたかったんだろう?」

「お父さんっ」


 ちひろが恥ずかしがってぽかりと父の肩を叩いた。

 ははは、と父が笑う。


(仲が良さそう……お父さまも優しかったな……)


 澪亜は一瞬自分の父を思い出し、二人の姿に微笑んだ。


 スキル〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉がトリプルコンボで発動する。ウサちゃんもつられて〈癒やしの波動〉を発動した。


 ちひろと父は澪亜の雰囲気が変わったことに気づき、身体を弛緩させた。


「……ちひろがさっき言ってたこと、本当だったな……」

「でしょう? ものすごい癒やし効果だって……」

「悩んでいたのがバカらしくなってきた」


 父昌景がどさりとソファに腰を下ろし、思い切り背もたれに身を預けた。


「澪亜さんとウサギのウサちゃんもソファにどうぞ。ちひろ、悪いけど紅茶を入れてくれるかな」


 父に言われ、ちひろが快諾してキッチンへ向かう。

 澪亜は一言断ってから三人がけソファへ座った。ウサちゃんを膝の上に乗せる。


「きゅう?」

「まあ」


(鑑定したほうがいいって? そんなことウサちゃんが言うのは初めてですね……あまり勝手にステータスを覗くのは気が進まないけど……)


 ウサちゃんに言われて、澪亜は迷った。

 フォルテやゼファーのステータス鑑定をしなかったのも、相手を慮ってのことだ。


「きゅうきゅ」

「……わかりました」


 必要なことだよ、とウサちゃんに促され、澪亜は心の中で「鑑定」と唱えた。

 ちひろの父の横にステータスボードが現れる。


「新学期に色々あったみたいだね。でも、君のせいではないよ。これからもちひろと仲良くしてもらえると嬉しいよ」


 父昌景が笑みを浮かべた。

 澪亜は「はい」と笑顔でうなずく。


(ステータスは見えないみたいだね。異世界の人は見えるのかな? フォルテとゼファーに聞かないと)


 そんなことを思いつつ、澪亜はステータスを横目で見た。


――――――――――――――――――

桃井昌景

 ◯職業:取締役社長

  レベル1

  体力/10

  魔力/0

  知力/22

  幸運/5

  魅力/20

 ◯一般スキル

 〈礼儀〉ビジネス作法・習字

 〈剣道〉

 〈交渉術〉

 〈デザイン〉空間デザイン・WEBデザイン

 ●呪縛

 〈破鏡不照(はきょうふしょう)〉

――――――――――――――――――


 澪亜はステータスを見て、まず知力が高いことに驚き、最後の項目である呪縛に目が釘付けになった。


 ステータスボードを引き寄せて、〈破鏡不照(はきょうふしょう)〉を鑑定する。


『〈破鏡不照(はきょうふしょう)〉――失敗を元の状態に戻せない。再起困難になる。悪意ある者からの呪い』


 明らかなバッドステータスである。

 成功し続けるなら問題はないが、失敗をすれば二度と這い上がれないであろう。しかも、呪いであった。


(こんな呪いが現実世界にもあるなんて……再起困難……。もし田中さんがすでに動いていたら、まずい事態になりそう……)


「きゅう」


 ウサちゃんがまずいね、と探偵っぽくうなずいた。

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