第23話 決意と行動
やめてくださいと言われた純子は、澪亜に握られていた拳を振り払い、つかんでいた桃井のブレザーを突き押すようにして離した。
「――!」
桃井委員長が驚いてよろける。
隣にいた澪亜が素早く右腕で抱きとめ、今一度、純子を見つめた。
「田中さん……もうやめてください。あなたは何のためにこのようなひどい行動をするのですか? 誰のためにもなりません。きっと……自分自身のためにもなりません」
澪亜は純子の行動を疑問視し、心配しているだけだ。
「……」
曇りのない視線を全身に浴びて、純子は心の核心部分を突かれた気がし、何も言えずに奥歯を噛み締め、澪亜を睨んだ。
澪亜の目を見たクラスメイトたちも、自分が今まで澪亜を助けず見て見ぬふりをしてきた事実を提示された気がし、恥ずかしくなってきた。自分自身が問われている気がした。
数秒の間が空いて、背後にいた取り巻き連中が声を上げた。
「元デブスが何様?」「説教とか笑えますわ」「黙れよ」
何も感じないのか、彼女たちがくすくすとわざとらしく笑い出す。
それを聞いて純子がどうにか息を吹き返した。
「没落令嬢のブタが何偉そうに言ってんの? やめてくださいでやめるわけないよねぇ? そんなこともわからないんですかぁ?」
純子は言っていて調子が戻ってきたのか、口の両端をにやにやと上げた。
「クソな両親からなんにも教わってないとか笑えるんですけどぉ〜。ああ、バカだから死んだんだっけ? 家丸ごと乗っ取られるとかマジで笑える〜」
ケラケラと純子が笑う。
取り巻き連中も追随して笑い出す。
純子と取り巻き連中の女子三人は、この言葉で澪亜がどれだけ傷つくかを知っている。言葉の凶器をおもちゃのように使って楽しんでいた。
「……」
澪亜はスキル〈邪悪探知〉が純子に反応しているのを感じながら、桃井を抱いている右手に力を込めて、純子を見つめ返した。
「私はあなたがやめるまで言い続けます。決めたことを最後までやり通す、あきらめない――それが平等院家の教えです。他の方に手をあげることも許しません」
(お父さまにはあきらめない心を教えてもらった。お母さまには人に優しくし、愛を与えることを教えてもらった……。私には勇気が足りなかった。だから、もう、逃げない……!)
澪亜の毅然とした態度に、純子、桃井委員長、取り巻き連中が目を見張った。
今までの澪亜はなんとなく惰性で「やめてほしい」「よくないことだ」と言い返してきたが、今回は心持ちがまったく違う。異世界で得た自信と、父の言葉を胸に、堂々と背筋を伸ばしている。
聖女の補正も効いているのか、言葉の重みは、弱者のそれではなかった。
「ハァ? 許すとか――誰に向かって言ってんだよ!」
純子がたまらず平手打ちを繰り出した。
隣にいる桃井が「あ」と声を上げる。
澪亜は冷静に動きを見て、空いている左手で純子の平手打ちを止めた。
手首をつかんで、純子の目をじっと見つめる。
「暴力はよくありません。やめてください」
(本当は手首をつかむのもしたくないけど)
「――ッ」
純子は手を引こうと力を入れる。
だが、澪亜の左手はびくともしない。聖女レベル60の身体能力は圧倒的だ。
「ふざけんなっ。離せ!」
いつでも殴れる存在だった澪亜があっさりと自分の腕をつかんでいる。
この状況が許しがたく、純子は顔を真っ赤にして手を振りほどこうと動かす。
「……」
澪亜がパッと手を離すと、純子は反動でふらついた。
相手の手首が痛くならないよう、澪亜は離れる瞬間に治癒をかけた。
「……こんなことしてタダで済むと思うなよ」
「もうやめてください。誰のためにもなりません」
「さっきからうるせえんだよ」
つかまれた手首が気になるのか、左手でさすりながら純子が澪亜を睨んだ。
「――」
鳶色の目がじっと純子を見つめている。
美しい瞳に怒りや悲しみは浮かんでいない。
慈悲を乞いたくなるような深い何かが見え、純子は気圧されそうになって「チッ」と舌打ちをしてどうにか心の平衡を保とうとした。
それでも自分の気持ちが動揺しており、それを認めることもできず、プライドをかき集めて次の言葉をひねり出した。
「……後悔させてやる」
純子は澪亜に肩を抱かれている桃井へと視線をずらし、にやりと口を歪めた。
「すぐに貧乏人だ。バカが」
若い女性がする表情とは思えない仄暗い顔をし、純子が吐き捨てるように言って背を向ける。鞄を手に取って、そのまま教室を出ていった。
取り巻き連中の三人があわてて後を追う。
四人が教室からいなくなり、ようやく空気が軽くなった。
クラスメイトたちも緊張がとけて、各々のグループごとに集まって始業式のある体育館へ向かう。
「田中さん……なぜあんなことを……」
どうして他人を傷つけねば気が済まないのか。何があそこまで彼女を駆り立てるのか。澪亜には理解できなかった。
「……平等院さん?」
「桃井さん。お怪我はございませんか」
澪亜は自然な手付きで桃井の背中をさすった。
「え……ええ、大丈夫です。あなた、護身術を習っているの?」
「どうやら私、目がいいようです」
「そうなんですね……」
「桃井さんに怪我がなくてよかったです」
「それよりも……そろそろよろしいでしょうか? 役得な気はするのですが、皆さんの目が痛くなってきました」
澪亜が桃井の顔を覗き込む。
表情は凛々しいままだが、ずいぶんと顔が赤くなっていた。
なんだろうと澪亜は小首をかしげて教室を見回すと、二人の様子を横目で見ていたクラスメイトたちが顔をそむけた。
(あっ――)
澪亜はずっと桃井の肩を抱いていることにやっと気づいて、手を離して顔を真っ赤にした。
「その……申し訳ありません……。つい、背中を撫でてしまい……」
(ウサちゃんを抱いている癖がこんなところで……恥ずかしい……。桃井さんに申し訳ないです……)
「ええ、ええ、大丈夫ですもちろん。オーケーオーケー、落ち着いてください。Be Cool」
桃井委員長はクールな表情はそのままに、やたらといい発音でビークールと言って、何度も制服のしわを直した。
「Be Cool」
澪亜もネイティブの発音で言い、席に腰を下ろした。
桃井が深呼吸をして平常心を取り戻すと、彼女も椅子に座って持っていたスマホを澪亜へ見せた。
「もう少しで決定的な映像が撮れました」
スマホの動画は澪亜が横入りしたので、肝心なところが真っ暗になっていた。
「……桃井さんが叩かれるのを黙って見ているわけにはまいりません」
「平等院さん……かばってくれて、嬉しかったです。ありがとうございました」
桃井委員長がにこりと笑みを浮かべた。
「そう言っていただけて嬉しいです。やっと……桃井さんのお役に立てました」
「そんなことを気にしていたんですか?」
桃井が黒い瞳を澪亜に向けた。
「私は自分の好きなように行動してきただけです。いつもいつも中途半端な手助けしかできず……私こそ恥じるべきでした……」
桃井がつぶやいてスマホをポケットにしまった。
(田中さんの最後の言葉……もしご家族の会社に何かあったら……)
「気にしないでください、平等院さん」
澪亜の視線に気づいた桃井が言った。
「我が家の教育方針は、信念を貫く、です。お父さまならきっと私と同じことをします。だから、今まで黙っていたのがおかしかったんです……。どうかしていました」
そう言ってくれた桃井の表情は晴れやかだった。
一学期、彼女は彼女なりに葛藤していた。澪亜を助けたかったが、父親の会社が危ない。そのせいで、澪亜との関係を踏み出せず、中途半端な状態で夏休みを迎えてしまった。そのことを後悔していたのだ。
澪亜は心配と感謝の思いが膨らんでいく。
「ありがとうございます。でも、あまり目立つことはしないでください。私なら大丈夫ですからね? 今までも耐えてこれましたから」
そう言ってはにかむ澪亜の笑顔を見て、桃井委員長はちょっと頬を赤くした。
クラスメイトもなぜか頬を染めていた。
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