第20話 新学期
九月になり、新学期がスタートした。
澪亜は昨日新調した純白の制服に身を包んだ。
(サイズが合わないことに気づいてよかったよ……。お店にサイズの合う既成品があったのも幸運だね。これも聖女の幸運値と、加護のおかげかな?)
聖女になる前の初期幸運値は10だ。
現在の幸運値6000と〈ララマリア神殿の加護〉+2000のステータスが効いたのかもしれない。
(うん、どこにもしわはない、かな?)
澪亜は鏡の前で制服を確認し、顔を鏡に向けたまま左右に腰をひねった。
純白のセーラー服に、夏用のジャケット、スカート。
胸ポケットに刺繍された校章のシンボルが澪亜の胸に押し上げられている。
痩せて本来のあるべき姿になった澪亜は、どんな場にいても称賛される、美しい女子高生に見えた。
セミロングの亜麻色の髪と、鳶色の瞳が、藤和白百合女学院の制服と見事に調和し、澪亜の整った顔立ちを最大限引き出していた。膝下のスカートから出ている足も細くて長い。
(不安だけど、大丈夫。私は聖女だもの。ウサちゃん、フォルテ、ゼファー、おばあさまに新しい勇気をもらった……だから、大丈夫。うん)
澪亜は一つうなずいて、鞄を手に取った。
部屋を出ようと鏡に背を向けて、また振り返った。
「……ちょびっとだけ勇気をもらおう」
澪亜はさっと鏡を通って異世界に行き、裏庭で日向ぼっこをしてたウサちゃんをもふもふして、また現実世界に戻ってきた。
「これでよし」
ウサちゃんに〈癒やしの波動〉をもらい、緊張がほぐれた。
タンタンタン、と軽やかに階段を下りて玄関に行くと、鞠江が今から廊下へと顔を出した。
「新学期ね」
「はい。新学期です」
「ナンパには気をつけるのよ」
「ありがとうございます。ナンパはされませんのでご安心ください」
澪亜は自分の容姿への自信がゼロである。
鞠江の言葉を軽く聞き流して、そんなことあるわけないですよ、と言いたげな目を向けて靴を履いた。鞠江は「そのうちイヤでも気づくわね」とつぶやいて含み笑いをしている。
「それでは、行ってまいります」
「はーい。いってらっしゃい」
澪亜は二学期の始まる女学院へと向かった。
◯
藤和白百合女学院の向かいには、日本屈指の進学校である男子校がある。
二つの学校の最寄り駅からは、白のセーラー服と、黒の学ランが改札口から次々に出てくる。登校時間には白の制服と、黒の学ランが同じ方向に向かう光景が日常であった。
「あー、眠い」
そんな中、一人の青年がつぶやいた。
(学校だる……アプリ作ってたら徹夜かぁ……)
改札から出て学校に向かう、名門校の男子高校生が大きなあくびをして、鞄を持ち直した。
彼は自主制作でアプリ開発を趣味にしている前途有望な生徒だ。
(勉強、勉強、むさい男のみの校舎……男子校にしたの失敗だわ……マジで共学にすればよかった)
彼は前進する黒と白の学生服を横目で眺めながら、気だるげに歩く。
日々の生活は楽しいが、いかんせん女っ気がない。
そのせいで趣味のやる気がいまいち出なかった。
美人の多い向かいのお嬢さま校との合コンを期待していたが、そんなものあるわけもなかった。
(白百合の女子、ガードが硬すぎだろ)
まず女子校との接点がない。
加えて男子校は勉強特化の学生が多いため、女の子とのコミュ力レベルが低かった。ナンパなんてできるはずもなく、可愛いJKを横目に見て目の保養をするだけだ。
だらだらと道を歩いていると、背後に奇妙な感覚を覚えた。
すさんでいる彼の心に優しく語りかけてくるような、そんな不可思議な波動を感じる。
今まで味わったことのない奇妙な感覚に彼は何気なく首をひねった。
(なんだ……?)
振り返ると、ちょうど後ろを歩いていた、藤和白百合女学院の女子生徒と目が合った。
「あ…………っ」
思わず彼の口から声が漏れた。
目の合った女子生徒が、あまりにも美しかったからだ。
大きな鳶色の瞳、小さなピンク色をした唇。亜麻色の髪はさらさらで歩くたびに揺れている。姿勢がよく、スタイルも抜群だ。歩く姿でお淑やかさと育ちの良さが見て取れた。
「……」
一見すると高貴な人物に見えるも、どこか人懐っこさを覚える雰囲気に、説明し難い感情が彼の全身を駆け巡った。
しばらく見つめていると、彼女がこてりと小首をかしげた。
(やばっ……俺、見すぎ……!)
彼が目を離そうとした瞬間、慈愛の眼差しが彼を射抜いた。
彼女は大きな目を細め、誰しもが安心するような微笑みを浮かべた。
「おはようございます」
鈴の鳴るような声で、彼女が言った。
彼はひねっている首をそのままに、全自動的に前へ進む。
思考停止して何度もまばたきをした。
(俺? 俺に言ってる?)
数秒して気づき、あわてて口を開いた。
「おお、おはようございます!」
大きな声で返事をしてしまい、彼は恥ずかしくなって目をそらした。
近くにいた生徒がちらりと彼を見る。
(ダサっ。俺ダサっ! 挨拶焦るとかクソダサぁ!)
やっちまったと顔をそむけると、彼女は「まあ」と目を見開いて口元を手で隠し、そのあとに「元気な方ですね」と笑みを浮かべ、「おはようございますっ」と語尾をちょっと上げる口調で返してくれた。
このとき、彼の中にあった恥ずかしさ、気だるさは秒でかき消えた。
続いてリラックス効果なのか、次から次へと趣味のアイデアが浮かんでくる。
「ごきげんよう」
彼女はそう言うと、横断歩道を渡って女学院の校門をくぐった。
(あれは……天使……いや、聖女か……?)
その少女が聖女であることを彼は知らないし、彼女がスキル〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉をオート作動させていることを知る由もない。ちなみに言うと、彼女自身もわかっていない。
(見るだけで幸せになる子っているんだな……あの子のこと、聖女と呼ぼう……!)
数十秒のやり取りであったがこの出来事は、彼に鮮烈な印象と記憶を残し、その後、彼の人生に大きな影響を与える。彼が聖女をモチーフにしたゲームアプリで日本中に名を轟かすのは、もう少しあとの話である。
(聖女……聖女か……あの子にぴったりだな)
彼はこの幸福感を誰かと分かち合いたくて、近場にいた大して仲の良くないクラスメイトに声をかけた。
「おい、女子校に聖女がいるぞ――」
「はあ?」
怪訝な顔をするクラスメイトを尻目に、彼は女学院へと振り返る。ちょうど校舎へと消えていった亜麻色の髪を眺め、彼は足取り軽く男子校の校門をくぐった。
今日はいい一日になりそうだった。
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