第19話 祖母の秘密
澪亜は祖母鞠江の両目を治癒魔法で完璧に治療した。
目が見えるようになった鞠江のはしゃぎように、澪亜は「まあ」と楽しそうに笑った。聖女装備は恥ずかしいので普段着に戻している。
「この家オンボロねぇ。澪亜見てよ、窓枠が歪んで隙間があるわ! ほらほら、貧乏人が成り上がる映画があったじゃない? たしかインド映画よ。私たち、いつの間にか映画の主人公になっていたのねぇ」
鞠江が家をぐるりと見回して笑っている。
背があまり高くない祖母の背中は、少女のように見えた。
ずっと豪邸に住んでいた鞠江にとって、今の家は面白いらしい。
この家は鞠江が若い頃、その場のノリで土地と一緒に買ったものだ。買っていたことをすっかり忘れていて、平等院家が奪われた際に思い出し、避難してきた、という経緯がある。
平等院家を罠にハメた夏月院家の連中も、鞠江名義のこの家には興味を示さなかった。
澪亜は鞠江の言っている映画の内容を思い出し、自然と笑みがこぼれた。
「アカデミー賞を取った作品ですね? 懐かしいです」
「そうね。あの映画、貴彦が好きだったわねぇ」
「ええ、お父さまが何度か観ていましたね?」
「あ、そうそう。そうだったわね。あの子ったら倍速で見るのよねぇ。時間がないとか言って。あれはやめてほしかったわ」
「私とお母さま、おばあさまに言われてからは、シアタールームでお一人で観ていましたよ」
「あら、そうだったのね?」
二人は昔を思い出して笑い合った。
澪亜は、大きな屋敷に両親がいて、鞠江がいて、仲のいい使用人がいる光景を思い浮かべた。今となっては夢物語のように感じる。
「澪亜、鏡を見に行きましょうか? 久々に見たいわ」
「はい。行きましょう」
彼女の誘いにうなずいて、澪亜は鞠江と二階へ上がった。
物置部屋になっている一室に入ると、雑多なダンボールや、近所の人にもらったハンガーラックがある。中央では世渡りの鏡が光彩を放っていた。
(綺麗な鏡だね……)
異世界への扉を繋いでくれた鏡に、澪亜は感謝の念を送る。
この鏡が自分の人生を変えてくれた。どん底にいた自分を救ってくれた。
「懐かしいわねぇ……」
鞠江が鏡にそっと触れた。
一瞬、異世界へ引き込まれるかと思ったが、そんなこともなく、鞠江の長い指が鏡の表面をなぞっていく。
「澪亜。あなたが異世界に行って聖女になったという話を聞かされて、私は全然驚かなかったわ」
「え? そうなのですか?」
「そうねぇ。私もレディの秘密、教えてあげるわね」
鞠江が鏡から指を離し、うふふと笑った。
「実は…………あなたのおじいちゃんはね、異世界から来た人だったのよ?」
「えっ?!」
(ど、どういうこと?!)
これにはお上品な澪亜も驚きで大きく口を開けた。
鞠江は澪亜の驚きぶりに満足したのか、うんうんとうなずいて身体を澪亜へ向けた。
「この鏡でこっちの世界に迷い込んできた人だったのよ。それを私がたまたま保護して、恋仲になってねぇ……。婿養子にするときはそれはもう揉めに揉めたわ。でも優秀な人だったし、魔法も少し使えたからね。スキルっていうのも使えたみたいよ? どこに行っても商談成立だから、さすがに先代のおじいさまも口出ししなくなってねぇ」
「おじいさまが魔法とスキルを……」
「ええ。秘密にしていたのよ」
鞠江の夫、つまりは澪亜の祖父は異世界人であった。
(衝撃の事実だよ。おじいさまがカリスマ性を持っていたのは異世界で職業を持っていたからかな……? みんながすごい人だって言ってた記憶があるし……)
「たしか“神官”という職業だと言っていたわ。澪亜が異世界に行ったこと、聖女であることと関係があるのかもしれないわね」
「この鏡は、聖女の資格がある者、もしくは女神の加護がある物のみが使えるそうです。おじいさまにも加護があったのでしょうか……」
「へえ。そんなルールなの? 神話みたいでおもしろいわね。でも、三十年くらいは鏡が使えなかったみたいよ? だからずっとこっちの世界にいたの」
「そうなのですか?」
「あ、ちなみに言っておくと、おじいちゃん、まだ死んでないからね?」
「ええっ! ビルの爆発事故に巻き込まれて……お葬式も……!」
澪亜が六歳のときに、祖父の譲二は他界している、はずであった。
「向こうの世界が危機なんですってよ。それで他界したように工作して、貴彦に家の権利を譲渡して向こうの世界に行ったわ。鏡も使えるようになっていたみたいだし、また帰ってくるとは言っていたけど……」
(おじいさまが……生きてる……しかも異世界にいる……)
澪亜は優しかった祖父譲二を思い出して、あたたかい気持ちが胸に広がった。
「おばあさま。実は私も向こうの世界を救うお手伝いをすることになりました。おじいさまを探してみたいと思います!」
「まあ、まあ、そうしてちょうだい! ずっと帰ってこないから文句の一つでも言ってやりたいのよ。……ああっ……いけないわ……あの人、夏月院家のことを聞いたら怒るでしょうねぇ」
鞠江が気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「おじいさまって怒るんですか? いつも笑顔のイメージがありますけど」
「怒ったら怖いのよ。とんでもなく」
「そ、そうなのですね……」
(温厚な人が怒ると手がつけられないって言うしね……)
澪亜は優しい目をしていた譲二が怒る姿を想像し、身震いした。
「とりあえず話はこんなところね。私もずーっと秘密にしてたから、話し始めると止まらないわ。続きは夕飯のときに話しましょう」
「はい、わかりました」
鞠江の笑みを見て、澪亜は素直にうなずいた。
◯
ピアノのレッスンを鞠江から受け、夕食を食べて、澪亜は二階にある自室へ入った。
鞠江の話を聞いて異世界での目標ができた。
それについてまとめようと思い、勉強机の椅子に座る。
(魔の森に街道を作る。おじいさまを探す。異世界ではこれを目標に活動しよう!)
澪亜はアイテムボックスからノートを取り出し、勉強机に広げて、得た情報を書き記した。
メモをつける習慣は母から教わったものだ。
ご近所さんに譲ってもらった扇風機がブウゥンと音を立て、澪亜の亜麻色の髪を揺らしている。
「あとは……現実世界の目標、だよね……。ハァ……夏休みもあと二日で終わりか……」
澪亜は机に両肘をついて、手で頬を押さえた。
あまり褒められたポーズではないが、考えると気が重いのだ。姿勢も崩れる。
いじめっ子である田中純子のことを考えれば考えるほど、胃がキリキリと痛み、気を抜けば弱気になってしまう。
澪亜は席から立ち上がり、古めかしいタンスの戸を開けて、聖水で真っ白になった藤和白百合女学院の制服を見つめた。
純白のセーラー服とブレザーは清廉潔白の象徴だ。
蹴られた痛み。茶色い足跡。制服は白く綺麗になったが、心の傷はまだ残っている。
それでも、田中純子にやり返してやりたいとか、そういった発想にはならないところが澪亜らしい。
「……」
澪亜は田中純子の他に、もう一人のクラスメイトのことを思い出していた。
何度もフォローしてくれ、自分の立場があやうくなるのも忘れ、助けてくれた人物だ。
彼女との関係も、自分の勇気がなかったせいで踏み込めなかったことに気づいた。
しばらく制服を見ていると、ドアがノックされ、鞠江が入ってきた。
寝巻き姿の鞠江は風呂上がりらしく、頭にタオルを巻いている。
「目が見えるっていいわね。シャンプーとリンスを間違えないもの」
「まあ、そうですね」
澪亜はお茶目に言う鞠江を見て、くすくすと笑った。
「何か迷っているんでしょう? ピアノの音に雑念が混じっていたわよ」
「……先ほどのレッスンですね?」
「澪亜……あなたはあなたなのよ。他の誰でもないの」
鞠江が優しく目を細めて、両手を胸の前で広げた。
「誰に何と言われようとあなたの存在は否定されない。あなたが自身が損なわれることはないわ。あなたが世界に存在している事実は、揺るぎようがないものね」
「……」
「世界は広いわよ。もし逃げたくなったらいつでも言いなさい。学校をやめて、二人でどこか遠くへ行きましょう」
笑みを浮かべて鞠江が言った。
「いえ……まだ、やり残していることがあるんです」
「そう。じゃあしっかりやらないとね?」
「はい。そうですね。ありがとうございます、おばあさま」
澪亜は気づかってくれる鞠江に感謝して頭を下げた。
「いいのよ。困ったらいつでもおばあちゃんに相談なさい。目が見えるおばあちゃん、最強よ?」
「ふふふ、そうですね」
澪亜は鞠江と笑みを交換した。
鞠江がウインクを飛ばし、部屋から出て、ドアを静かに閉めてくれた。
「ふう……そうだね……勇気を出そう」
(いつも私を助けてくれた委員長……桃井ちひろさん……。友達になりたい……!)
澪亜は勉強机へ戻り、ノートに『現実世界の目標/桃井ちひろさんとご友人になる』と書いた。
異世界と現実世界を行ったり来たりして過ごした、澪亜の夏休みは終わる。
窓の外で鳴く鈴虫が夏の終わりを告げていた。
聖女になった澪亜を見て同級生たちがいったいどんな反応をするのか、それは、もう間もなくわかることであった。
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