第18話 祖母への告白


 剣士ゼファー、エルフのフォルテと別れた澪亜は、聖女装備のまま現実世界へ戻った。


「ふう……」


(これからおばあさまに異世界のことを話そう。聖魔法を使うなら、聖女装備のままのほうが数値が高いからね。恥ずかしいけど誰にも見られないから大丈夫)


 澪亜は決意を胸に秘め、鏡のある部屋から出て、階段を降りる。


「おばあさま、いらっしゃいますか?」


 居間に入ると、鞠江は座椅子に座ってタブレットでニュースの動画配信を聞いているようだった。


「あら澪亜、もう勉強はいいの? めずらしく早いじゃない」

「はい。勉強はその……」

「まあ、してなかったの? あなたもついにサボタージュに目覚めたのね……ふふっ」


 祖母鞠江はチャーミングな女性だ。

 澪亜がサボってると聞き、叱るどころか笑っている。


「人生にサボりも大切よ。あなた、頑張りすぎるところがあるから」

「そんなこと……私はダメな人間ですから人より頑張らないといけないんです」

「こらこら、そんなこと言わないの」


 鞠江が白濁した瞳を澪亜へ向け、手招きをした。


(おばあさま……)


 澪亜は近づいて、ちゃぶ台の向かい側へ座った。


「それで、何か話があるんでしょう?」

「……どうしてそう思うのですか?」

「そりゃあ、あなたのおばあちゃんだもの。なんでもわかるわ」

「まあ……おばあさまに隠し事はできませんね」


 澪亜が神妙になって背筋を伸ばすと、鞠江はにっこりと笑みを浮かべてタブレットの電源を落とし、澪亜を見つめた。


「私はね、あなたが隠し事をしてくれて嬉しかったの」

「……そうなのですか?」

「ええ。澪亜を赤ちゃんのときからずっと見守ってきたけど、初めてあなたは私に隠し事をしたわ。それがね、おばあちゃん、嬉しいの」


 鞠江は本当に喜んでいるのか、笑みを浮かべている。


 澪亜は自分の行動が祖母にとってお見通しであったこと、それでも受け入れてくれ、何も言わずにいてくれたことに胸が熱くなった。


「夏休みに入ってから澪亜の声がどんどん明るくなって、毎日が楽しそうで、おばあちゃんはとっても嬉しいのよ。あの子たちが死んでから、あなたには悲しい思いをさせてしまったわ……。学校も行くのがつらかったんでしょう?」

「……はい。とてもつらかったです……」


 澪亜はいじめっ子の純子に蹴られた背中の痛みを思い出し、義妹である夏月院家の春菜、芽々子の冷たい視線を脳裏に浮かべた。見えないナイフで胸を刺されたような、鈍い痛みがじわりと心に広がっていく。


「澪亜は新しいやりがいを見つけたのね? 友達もできたの?」

「はい――。素敵な友達がお二人と一匹、できました」


 澪亜はフォルテとゼファーの爽やかな笑顔を思い出し、ウサちゃんのもふもふを脳内再現した。自然と鈍い痛みが消えていく。聖女になった補正もかなり働いているのか、以前に感じた絶望感はほとんどなくなっていた。


「それはいいことねぇ。お二人と一匹さんにはなんてお礼を言えばいいのか……菓子折りを持っていかないとね……貯めておいたへそくりで日本橋のデパートに行きましょうか……」


 常に気丈である鞠江がしゃべりながら喉を震わせ、いつしか瞳から涙をこぼしていた。


 彼女はポケットから上品にハンカチを取り出し、ゆっくりと押し当てた。


「おばあさま……」


 澪亜も瞳が燃えるように熱くなって、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。


(神さま……こんなにも素敵なおばあさまと一緒に住まわせてくださって、ありがとうございます……おばあさまが私のおばあさまで……本当に嬉しいです……)


 澪亜は立ち上がって祖母に近づき、ひざまずいてぎゅっと抱きついた。


「あらあら。澪亜はいつになっても甘えん坊ねぇ」

「はい。甘えん坊です……」

「可愛い子……誰よりも大切な孫だわ……」


 鞠江も澪亜を抱きしめる。


 彼女は澪亜の赤ん坊であった頃から、転んで大泣きしたときのこと、ピアノを練習して発表会で一位を取った澪亜の笑顔、社交デビューしてうまく馴染めなかったことなどを思い出して、涙が止まらなかった。


 澪亜が成長し、明るくなってくれたことが何よりも嬉しい。


(おばあさま……こんなに喜んでくれるなんて……。異世界の神殿には何度感謝してもしきれないよ……)


 しばらくお互いの体温を交換すると、鞠江が何かに気づいたのか、澪亜の身体を触り始めた。


「お、おばあさま? その、くすぐったいです」

「あらぁ? こんな服うちにあったかしら?」


 聖女装備の手触りと、ばっくり開いた背中のラインに指を滑らせ、鞠江が首をかしげた。


 澪亜はさっと鞠江から離れた。


「実はこれからお話しすることと関係があります」

「あらそうなの? サボタージュが秘密じゃなかったのね?」

「はい。実はですね……おばあさまの姿見に触れたとき、不思議なことが起きまして……まったく別世界、異世界に移動したんです」

「……鏡から、異世界に?」


 鞠江が白濁した目をぱちくりさせる。


「そうなのです。荒唐無稽な話かもしれませんが、鏡で移動した先には神殿があり、そこで私は聖女という役職につきました」

「神殿、聖女……」

「その世界で魔法が使えるようになりまして……その、嘘だと思っていただいて大丈夫なので、一度だけおばあさまの目に治癒の魔法を使ってもいいでしょうか?」


 澪亜の申し出に、鞠江は黙り込んだ。


(やっぱり信じてもらえるはずないよね……こんな映画みたいなこと、現実に起きるはずがないもの……)


 ファンタジー全開の聖女装備に身を包んだ澪亜が、ちゃぶ台の前で正座して縮こまった。


 祖母は何を考えているのか宙へと見えぬ視線をさまよわせ、澪亜へと戻した。


「いいわよ。やってちょうだい」

「……いいのですか?」

「ええ。澪亜が嘘をつくはずないものね」


 鞠江がにこりと笑い、顔を向けた。


「もっと顔を突き出したほうがいいかしら? 目は閉じる?」

「はい。光が急に見えるようになるとつらいかもしれません。閉じてくださいませ」

「わかったわ」


 鞠江がまぶたを閉じた。

 澪亜は緊張から眉間にしわを寄せ、何度か深呼吸をし、杖を構えた。


(目が見えなくなって一番つらかったのはおばあさまだ……絶対治ると信じて……聖女の力を信じて……魔法を使おう……)


「聖魔法――治癒」


 澪亜が魔力を練り上げるとヒカリダマがいくつも出現し、鞠江の瞳へと吸い込まれていく。


 必死に両目が治るイメージを繰り返して、治癒魔法の手応えがなくなるまで魔法を使い続けた。


 やがて、ヒカリダマが弾けるようにして飛び散って消えていく。


(これでいいはず……どうだろう……?)


 澪亜は恐る恐る口を開いた。


「おばあさま、お加減はいかがでしょうか……?」

「澪亜、どうしましょう。光が……見える気がするわ……」

「本当ですか?! ゆっくり目を開けてみてください。そおっとです」

「わかったわ……」


 鞠江が重い蓋を押し上げるように、まぶたを上げていく。

 完全に開けきると、鞠江が声にならない声を上げた。


「ああっ……ああ……奇跡だわ……」


 鞠江が澪亜の頬をそっと両手で挟んだ。


「澪亜……あなたこんなに大きくなって……若い頃の私にそっくり……」

「おばあさま……!」

「見えるわ……見たくて見たくて仕方がなかった、澪亜の顔が見えるわ……!」


 白濁していた鞠江の瞳が、美しい鳶色に戻っている。

 そこからはとめどなく涙が溢れ出ていた。


「ああっ、おばあさま!」


 澪亜は鞠江の胸に飛び込んだ。


 おばあさま、おばあさまとつぶやきながら、何度も顔を胸にこすりつける。


(よかった! よかった! ありがとうございます。聖女の力を授けてくださり、ありがとうございます。私に役割を与えてくださり、本当に感謝申し上げます……!)


 澪亜は嬉しさから感謝の祈りを捧げた。


 異世界に行ったこと、聖女になれたことで、自分の人生にまた一つの幸せが舞い降りた。


 鞠江と澪亜はしばらくの間、抱き合い続けて喜びを分かち合った。

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