第12話 異世界人の誘い
落としそうになった皿をわたわたと両手で動かし、澪亜は皿を並行を保つことに成功した。ラップがかかっているのだが、思い切り傾けたらどうなるかわからない。
「ふう。危なかったです」
澪亜はほっとため息をついて無事なおにぎりを見下ろした。
ウサちゃんも「きゅきゅう」と安堵している。可愛い。
剣士とエルフの二人は驚かせてしまったことに気づき、すぐさま膝をついて頭を垂れた。
「た、大変失礼をいたしました! 聖女さまが実在していたことに驚き、つい声を上げてしまいました……!」
男性剣士が謝罪する。
赤髪を短く切っているスポーツマンのような青年だ。太い腕にはいくつもの古傷があった。今はシャツに綿のズボン姿であった。
「申し訳ございません聖女さま。お助けいただき、なんとお礼を言ってよいのか……光栄の極みでございます」
女性エルフが涼やかな声で言った。
どうにか平静を保とうとしているが、澪亜の神々しさに緊張しているのか長い耳が震えている。
彼女には例の部屋にあったシャツとスカートを穿いてもらっている。彼女が眠っている間にお着替えをした次第だ。
澪亜はひざまずいた二人に面食らい、すぐに自分も両膝をついた。
「そんなかしこまらないでください。私はただの学生です。お顔をお上げになってくださいませ」
ご令嬢らしい上品な言葉づかいに、二人はかえって恐縮してしまう。
澪亜が困っていると、ウサちゃんが胸に飛び込んできたので、皿を片手に持ち替えてキャッチした。
「ウサちゃん?」
ウサちゃんがスキル〈癒やしの波動〉を使う。
澪亜はじんわりと心があたたかくなって緊張がほぐれ、笑みをこぼした。
「うふふ、ありがとう」
澪亜からも〈癒やしの波動〉が出る。
「どうか立ち上がってください。あちらでお話しいたしましょう?」
どうやらスキルが効いたらしく、剣士とエルフも笑みを浮かべた。
「はい」
「かしこまりました」
澪亜は礼拝堂にある長椅子へ二人を誘導し、自分はピアノの椅子を持ってきて腰を下ろした。
太ももの上に皿を置き、ウサちゃんを両手で抱いた。
(異世界の人……剣士さん! エルフさん! ファンタジー!)
映画好きの澪亜は俄然テンションが上がってきた。
澪亜がじっと見つめていると、二人はどうにも恥ずかしくなってきたのか、そわそわし始めた。彼らは押しも押されぬ有名冒険者なのだが、聖女の瞳には勝てないらしい。澪亜の鳶色の瞳が瞬くたびに、吸い込まれそうになっている。
「あ、あの、聖女さま? どうかされましたか?」
たまらずエルフが聞くと、澪亜がパッと背筋を伸ばした。
(いけない……私、失礼にもじろじろ見てしまった……)
「申し訳ございません。こちらで人に会うのが初めてなので、見つめてしまいました」
「そうなのですか……?」
「はい。えっと、お二人はなぜここに来られたのでしょうか?」
聞きたかったことを質問してみる。
すると、今度は剣士が口を開いた。
「まずは自己紹介をさせてください。俺はSランク冒険者のゼファーです。このたびは助けていただき本当にありがとうございました!」
ゼファーが立ち上がり、頭を下げた。
ハキハキとしたしゃべり方に澪亜はにっこりと笑みを浮かべる。昔の家で雇っていた庭師の青年もこんな話し方で、頼もしい感じがしたものだ。
Sランク冒険者ゼファーは澪亜が微笑んでいるのを見て、ちょっと顔を赤くした。澪亜の大きな瞳が弧を描いている。美人には耐性があると自負していたが、聖女の魅力には抗えそうもなかった。
次に女性エルフが自己紹介をした。
「あらためまして、お助けいただきありがとうございました。同じく私もSランク冒険者です。名前はフォルテと申します」
椅子から立ち上がり、優雅に一礼するフォルテ。
金髪と長い耳が特徴的な女性だ。絵画から飛び出してきたような美しい顔つきをしている。
そんなフォルテも頬が少し赤い。
澪亜の魅力はとどまることを知らないらしい。レベル55、魅力値6500(+8900)は伊達ではないようだ。
澪亜も皿とウサちゃんを持って立ち上がり、律儀に礼を返して二人を見つめた。
「ご丁寧にありがとございます。私は澪亜と申します。この神殿でピアノを弾いていましたら聖女という職業を授かりまして、僭越ながら神殿の浄化や掃除をしております。こちらはフォーチュンラビットのウサちゃんです」
「きゅっ」
澪亜が紹介すると、ウサちゃんが前足を上げた。
スキル〈癒やしの波動〉が発動して三人の顔つきがほっこりとゆるむ。
澪亜がうながして全員が椅子に座ると、剣士ゼファーが澪亜を見つめた。
「聖女レイアさま、俺たちは予言を信じて魔の森を越えてきました。占いおばばの予言だと、魔の森の奥地にララマリア神殿があり、そこに聖女さまがいると……。まさか伝説の聖女さまが本当にいらっしゃるとは思いもせず……」
そこまで言って、彼は感極まったのか瞳をうるませて口の端を引き結んだ。
ここに来るまでに様々な苦難があったようであった。
隣にいるフォルテがうなずいて、きりりと表情を引き締めた。
「聖女さま、世界はこのままでは闇に覆われ、悪しき瘴気に飲み込まれてしまいます。どうかお願いです。私たちにお力をお貸しいただけないでしょうか? 少しで結構です。聖女さまの浄化のお力を私たちに……お願いいたします……」
「……わかりました。私のできる範囲であればいくらでもお手伝いいたします。詳しいお話をお教えくださいませ」
澪亜は困っている人を見ると放っておけないタイプだ。
快く承諾した。
(できる限り……手伝おう。私に生きる意味をくれた世界だもの。神殿に出逢えて、ウサちゃんとも会えた……感謝してもし足りないよ……)
澪亜は目を閉じて、祈りを捧げる。
自分の人生は闇に包まれていた。自尊心を奪われ続け、祖母とピアノの二つのおかげでどうにか沈没せずに浮いていた難破船に過ぎない。
それが、異世界へ来れたおかげで、こんなにも幸せな気持ちになれた。
聖女という職業を偶然にも手に入れ、魔法まで使えるようになった。太っていた身体も今ではスレンダー体型だ。毎日が晴れやかで楽しい。
何か新しいことが起こる。小さな幸せを見つけられる。
そんな人生になりつつあることを、澪亜は感じていた。
今の自分なら学校にも胸を張って行けそうだった。
「……」
しばらく祈ってから目を開けると、ゼファーとフォルテも両手を組んで祈っていた。
澪亜は微笑むと、ウサちゃんを抱いたままおにぎりの皿を持ち、二人に近づいた。
「目をお開けください。お話はお聞きいたしますよ。それより……お腹は減っていませんか?」
ゼファーとフォルテが目を開けて、どちらからともなく目を合わせた。
「あ……お恥ずかしながら……」
「減っています……」
二人は頭を下げた。
「おにぎりを握ってきました。お米を食べたことはありますか?」
ゼファーとフォルテは白い三角のおにぎりを見て、首を横に振った。
「ではこちらを食べてくださいませ。それから――アイテムボックスさん――聖水作成」
澪亜はアイテムボックスから神殿にあったコップを取り出して、聖水作成を唱えて聖水を波々とコップへ注いだ。
「……聖水、ですか?」
「こ、こんな高価なもの……いただけません!」
ゼファーが驚き、フォルテが悲鳴に近い固辞をする。
「聖水は高価なのですか?」
「ええ、それはもう! 世界中を探しても一瓶残っているかどうかわからないです」
「私は出し放題ですよ。お二人のお洋服も聖水で洗ってありますからね」
ニコニコと楽しげに笑う澪亜。
聖女とはこうも優しいのかとゼファーとフォルテは感動し、澪亜の〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉のトリプルコンボが発動したせいもあって、顔がふにゃりとだらしなくなった。
さすがにこうなると断れなくなり、二人はコップを手にとって聖水を飲んだ。
「――ッ!」
「――これは!」
口に含んだ瞬間、生命力の輝きのような熱さが全身を駆け巡る。
二人は砂漠の遭難者のように、コップへかぶりついて聖水を一気飲みした。
「美味い――美味い!」
「美味しいわ! なんて甘美な味なのかしら!」
「ああああっ! 俺、スキルが解放されたぞ!」
「わ、私もよ!」
二人はコップを置いて、自分の身体をあらためた。
澪亜は「まあ」と両目を開いて微笑み、コップへまた聖水を注いだ。
「聖水を飲むとそんな効果があるのですね? 私のときはありませんでしたけど……どんなスキルでしょうか?」
「俺は〈絶対両断〉です」
「私は〈絶対貫通〉ですよ」
「なるほど、剣と弓にふさわしいスキルですね。なんだか強そうです」
「あまり乱発はできないみたいですが……これは剣士最高峰のスキルですよ!」
「弓使いにとって最高のスキルです! ありがとうございます、聖女さま」
二人の喜びようといったら念願のプレゼントをもらった子どものようであり、澪亜は微笑ましく思ってしまい、スキル〈癒やしの微笑み〉が止まらなかった。
二人が落ち着くのを待ってから、おにぎりをすすめた。
これも二人は「美味しい!」と大はしゃぎで、感謝しながらもぺろりと食べてしまった。
澪亜は足りない様子を見て家庭菜園から野菜を持ってきて盛り付けし、自分とウサちゃんも参加し、ぽりぽり、サクサクと四人で野菜を食べた。
それから、二人から異世界についての説明を受けることになった。
主に説明上手のフォルテが話をしてくれた。
(へえ……異世界には冒険者ギルドという施設がある。派遣会社を国が経営している形かな? お二人は超腕利きの冒険者で、王国の指名を受けてララマリア神殿と聖女を探しに来たと……そういうことなんだ)
澪亜は聞きながら、ノートにメモをしていく。
二人はノートとペンに驚くも、話を続けてくれた。
聖女は世界に一人もいない伝説の職業――
ララマリア神殿も伝承にだけ残っている神殿――
魔の森とは、広大な面積で世界を分断している森――
(この神殿は魔の森のほぼ中心部にあるんだね……。それなら、皆さんにここを拠点にしてもらって、他の国々に行けるようにできたら便利になりそうだけど……)
澪亜はざっくりと世界地図をノートに描く。
世界には人間、エルフ、ドワーフ、獣人、ピクシーの住む五つの国があるらしいが、魔の森のせいで船でしか交易ができない。戦争など起きようはずもなく、協力して魔物の脅威から身を守っているのが現状らしい。物資の移動がはかどれば、魔物を間引くことができるとのことだ。
「聖女レイアさま……俺たちとパーティーを組んでくれませんか?」
「どうか、お願いします。一緒に行動をしてください……!」
話し終えたゼファーとフォルテが頭を下げた。
(困りました……学校があるのでお二人についていくわけにもいかないし……)
澪亜は悩み、むうと小首をかしげた。
ウサちゃんも澪亜の腕の中で、きゅうと首をひねった。
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