第7話 フランス人とお話


 澪亜は青年に声をかけた。

 とりあえず、話しかける言葉は英語にしておいた。


『こんにちは、何かお困りですか?』


 自分でもびっくりするぐらい流暢な英語が口から飛び出した。

 前から英語は上手いほうであったが、今はネイティブのそれである。


 スキル、完全言語理解のおかげだった。


 青年が振り返り、澪亜を見て一瞬固まった。


 彼の背が高いため、澪亜を見下ろす格好になっている。ちなみに澪亜の身長は163cmだ。


 青年の反応が薄いため、澪亜は話しかけてはいけなかったかと心配になり、上目遣いに彼を見上げた。


『あのぉ……道に迷ってらっしゃるんでしょうか? ご迷惑でなければお教えいたしますが……』


 ひかえめなトーンで再度尋ねてみる。

 青年は数秒間澪亜を見つめ、息を吹き返したように右手を胸に当て、白い歯を見せて笑顔を作った。


『失礼。女神かと思ってね。心臓が止まるところだったよ。声をかけてくれてありがとう。英語は苦手で……フランス語は話せるかな?』


(女神? 何かの比喩表現かな。英語はとてもお上手だけど……)


 澪亜は軽く小首をかしげて、青年に笑顔を向けた。


『はい。大丈夫ですよ』


 ご要望があったので、フランス語に切り替えた。

 こちらも流暢な言葉が滑り出てくる。


『ああ、よかった……』


 どこぞの俳優も逃げ出しそうな笑みをこぼし、青年が「j'étais soulagé」とつぶやいている。

 フランス人の彼は結構お困りだったようだ。


 銀行に用事のある通行人が、澪亜と青年をまぶしそうに見ながら自動ドアをくぐっていく。


 傍から見ると、イケメン金髪外国人と、亜麻色の髪をしたご令嬢が話しているように見えるのだ。撮影だろうかとカメラを探している人もいる。


 青年は澪亜を街路樹の木陰へ促し、スマホの画面を見せた。


『有名なお茶屋があると聞いてこの街に来たんだ。この店なんだけど……』

『ああ、ここですね。有名なお店ですよ。でも、予約制なので飛び入りするのは難しいと思います』

『そうか、それは残念だよ……予約制だったなんてね……』

『でも、頼めば庭園は見せてくれるかもしれません。よかったら案内しましょうか?』


(フランスから来て、日本の文化に触れてくれるなんて……嬉しいな)



      ◯



 その後、澪亜は彼をお茶屋まで案内し、見学できないか店員にかけ合った。


 彼がSNSに店の詳細を投稿してくれるならオーケーと許可をもらい、せっかくならと二人で店内の庭園を回った。


 青年はいたく感激したのか、しきりにスマホで写真を撮り、フランス語で「綺麗だ」と何度も言っている。


 そんな青年を見て、澪亜は何も言わずにニコニコと微笑んでいた。

 ふとスマホから視線を外した青年と目が合う。

 澪亜が口を開いた。


『とっても楽しそうですね』

『ああ。有意義な時間だね』


 その笑顔につられるようにして、彼も笑みを浮かべる。自然な笑顔だった。


『なんだか……君といると癒やされるよ。木漏れ日の落ちる森にいるみたいだ。誰かに言われない?』


 庭園の枯山水へ視線を戻し、彼が言った。


『いえ、初めて言われました』

『ハハハ、覚えておくといいよ。君は存在しているだけで人を幸せにするね』

『……そんなことありませんよ』


 澪亜は彼の言う言葉がお世辞だと思って、うつむいた。

 嬉しい反面、いじめられていた記憶が澪亜の脳裏をかすめ、自己否定へとつながっていく。


 それでも、澪亜はこんなことじゃあお父さまに笑われてしまう、と顔を上げた。聖女能力のおかげか、立ち直りは早い。


『あの、ありがとうございます。そんなこと言われたのは初めてなので、嬉しいです』


 そう言って、自分の正直な気持ちを伝えた。

 こういうところが澪亜らしい純粋さだった。


 彼女の心の美しさはもちろんあるが、聖女スキル〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉がトリプルコンボで発動している。


 本来なら気難しい青年の心を簡単に解きほぐしていた。


『君はなんというか……もっと自分に自信を持ったほうがいいよ。君が地面を見つめているのは似合わない』


 青年は真剣な眼差しで澪亜を見つめた。


 フランス人である彼の碧眼が澪亜をとらえ、澪亜はこくりとうなずいた。彼の気づかいが心にしみた。


『そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名前はジョゼフ。君の名前は?』

『私の名前は澪亜です』

『オーララ! 僕の大好きな映画に出てくる姫さまと同じだね。よろしく、レイア』

『はい、よろしくお願いいたします。ジョゼフさま』

『さまはいらない。ジョゼフでいいよ、レイア姫』


 ジョゼフがウインクをする。

 澪亜は目をぱちくりさせて笑い、『私も姫はいりませんよ』と笑った。


『僕が結婚していなければ君にアプローチしていたのに。残念だよ』

『そういうことは言わないほうがいいですよ? 奥さまが悲しみますから』


 澪亜は冗談だと思っているのか、ころころと笑って忠告する。


 ジョゼフはいまいち澪亜に自分の伝えたい「君は美しい」という気持ちが響いてないのにがっかりするも、目の前にいる亜麻色のお嬢さまの純粋さに心があたたかくなった。


『そういえば君は学生かい?』

『はい、そうです』

『学校はこの辺? 実は近々日本に住むことになってね。君さえよければ妻を紹介したいんだけど、どうかな?』

『それは嬉しいです。私は藤和白百合とうわしらゆり女学院に通っていますよ。ファミリーネームは平等院です』

『ビョウドゥイン?』

『ビョウドウインです。ビョウ、ドウ、イン』

『ビョウ、ドウ、イン。なるほど。日本語の発音は難しいな』

『日本語、もし機会があればお教えしましょうか?』

『ああ、ぜひ教えてほしいよ』


 澪亜はジョゼフと話しながら、お茶屋を出た。

 ジョゼフはスマホをタップして、何枚かの写真をSNSに投稿した。


『本当にありがとうレイア。君に会えてよかったよ』


 ジョゼフは満足そうだ。澪亜も日本の文化に触れてもらえて嬉しかった。


(誰かの役に立てるっていいよね……)


 そんな小さな幸せを噛み締め、彼を駅まで案内していると、駅前のカラオケ店から田中純子とその取り巻きが出てくるのが見えた。


 澪亜は背中に氷を落とされたみたいに全身がひやりとして、足を止めた。


『どうしたんだい?』


 ジョゼフが顔を覗き込んでくる。


『い、いえ、あの……なんでもありません。大丈夫です』


 どうにか返事をして、歩き出した。


 田中純子は流行最先端の服に身を包み、大きな声で笑っていた。気の強そうな顔つきは健在で、ナンパしてきた男がブサイクすぎて笑った――そんな会話で盛り上がっている。


 澪亜はなるべく純子のほうを見ないようにしながら歩き、彼女たちとすれ違った。


「うわっ、超イケメン!」「外国人やばぁっ!」「付きあいてぇ〜」


 彼女たちの前を通りすぎると、取り巻きの女子たちがそんなことをつぶやいた。


 純子だけチラチラとジョゼフを見ながら「あれくらいならモデルにいるし」とうそぶいている。


(気づかれなかった……?)


 澪亜は安堵のため息を小さく漏らした。


 もしジョゼフといるところを見られたら何を言われるかわかったものではない。紹介しろとか、そんな流れになるのが容易に想像できた。


 実のところ、澪亜の存在ははっきりバレていたのだが、痩せすぎて別人になっていたせいで気づかれなかった。外国人の連れと思われてたらしい。澪亜はその辺、ちょっとヌケている。


『あの子たち、知り合いかい?』

『はい。クラスメイトなんです』

『ふぅん……あまり君とは合わなそうだね。だから避けてたんだ』

『そ、そうですね』


 ジョゼフはそれだけ言って、あとは話を掘り返してこなかった。

 他愛もない会話をして、ジョゼフと駅の改札まで歩いた。


『また君に会いに来るよ』


 そう言って、ジョゼフは澪亜に一枚の名刺を差し出した。

 受け取って名刺を見ると、名前の横にデザイナーと書かれていた。


(ファッションデザイナー?)


『またね。レイア姫』


 ジョゼフは颯爽と改札を抜けていった。

 澪亜は後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、名刺をアイテムボックスへしまい、歩き出した。


(ジョゼフさん……いい人だったなぁ。またお話できると嬉しいな)


 澪亜は小さな幸せをくれたジョゼフに笑みを浮かべ、感謝した。


 改札前で、聖女スキル〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの波動〉が発動する。


 澪亜の知らないところで、喧嘩をしていたカップルがいい感じの雰囲気になって仲直りし、部下の失敗にイラついていた駅員が一瞬で上機嫌になった。


 澪亜のおかげで、駅前周辺にプチ平和が訪れた。


 これから改札を通ろうとしている人々は、澪亜を見て、驚いたような顔をし、その美しさに自然と笑みを浮かべている。


(あっ。もうこんな時間。八百屋さんの特売が終わっちゃうよ)


 何も気づいていない澪亜は、急ぎ足で自宅へと足を向ける。

 彼女の頭はきんぴらごぼうでいっぱいになった。

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