第6話 駅前へ行こう


 さらに一週間が経過した。


 日課は続けており、ふくよかな体型から、スレンダー体型まで痩せた。


「痩せたね……本当にこれ、自分なのかな?」


 二階にある鏡の前に立って、自分を観察する。


 亜麻色の髪は母親ゆずりで癖のないストレート。


 鳶色の瞳は大きく、長いまつげに縁取られている。ぱちぱちとまばたきをすると星屑が舞いそうなほど可憐だった。


 腰はくびれ、足は細くて長い。

 太っていたときからそうだったが、澪亜は胸が大きかった。痩せて縮むかと思ったがそういうわけでもなく、身体が細くなって存在感が増していた。


 ともあれ、ジョギング、ヨガなどを継続的につづけてきたおかげか、健康的な理想体型だ。


(聖女の実のおかげだね……あの神殿を建てた方に感謝を……ありがとうございます)


 感謝を込めて祈る澪亜。

 気づかぬうちに聖女らしさが板についていた。


(それにしても……細くなりすぎてワンピースがだぼだぼだよ) 


 持っている洋服はすべてオーバーサイズになってしまった。

 下着は紐で結んだりして、ごまかしている。

 今着ているワンピースも鞠江から借りたベルトで腰にしぼりを入れていた。


「本当に……私なのかな……?」


 何度見ても、自分が自分だとは思えない。

 嘘みたいな美人だ。

 どこぞのファッション誌に出ていても違和感がないように思える。


(私がファッション誌に出るとか無理だけどね……恥ずかしいし……。そういえば、田中さんは読者モデルをやってるんだよね。すごいよなぁ……)


 いじめっ子の田中純子は人気雑誌の読モだ。

 一般高校生の間で、読モは最高ランクのステータスと言える。当然、純子は事あるごとに自慢して回っていた。目立ちたがりな性格の女子である。


 いじめっ子をすごいと評価できる澪亜のほうが、すごいような気もするが。


「澪亜〜、お勉強してるの〜?」


 階下からよく通る鞠江の声が響いた。

 鏡から目を離し、「いいえ」と返事をする。


 タンタンと軽快な足取りで古い階段を下り、居間に入った。


 痩せたおかげで身体が軽く、疲れづらくなった。レベルの恩恵も大いにあるだろう。


 鞠江が白濁した目を澪亜へ向け、ちゃぶ台の上に封筒を置いた。


「家賃の振込みに行ってくれる? これから町岡さんのレッスンが入っているのよ」


 鞠江はピアノのレッスンを週に三回、個別で開いていた。生活費の足しにするためだ。


「……はい。わかりました」

「気が進まないなら私が行くわよ?」

「いいえ。行きます。駅前におばあさまが行くのは危ないです」

「そんなこともないけどね。でも行ってくれるなら助かるわ」

「はい」


 明るく返事をして、封筒を手に取った。振込先は覚えている。


 正直、駅前に行くのは気が引けた。


 高確率で学校の同級生に会うのだ。純子は取り巻きの女子を引き連れて、駅前のカフェやカラオケにいることが多い。


 中学生時代、何度か見つかってお金を取られそうになった。


 笑顔を浮かべながらそんなことを考えている澪亜を、鞠江が見つめた。何か察したみたいだ。


「澪亜、あなた痩せたでしょう?」


 突然、鞠江が言った。

 目が見えないのによくわかるものだ。


「えっと……はい。とあることがあって、痩せることができました」

「そう。よかったわね。あなた、ずっと気にしていたものね」


 鞠江が手を伸ばしたので、澪亜はそっと握った。

 祖母の皺のある手は温かかった。


「どんな見た目でも、人間は心よ。そのことは忘れないでちょうだい。太っていようが痩せていようが、あなたは私の大切な孫娘なんだからね」

「おばあさま……」

「でもね……澪亜が痩せたのは喜ばしことだわ。だって、私が着ていたドレスが着られるものね?」


 そう言って、鞠江がお茶目な笑みを浮かべた。

 澪亜は瞳を潤ませながら微笑を返した。


「そうですね。おばあさまの着ていたドレス、いつか着てみたいです」

「あなたさえよければ、いつでもピアノのコンクールに着て出てもいいのよ?」

「いえ。お金がかかるので大丈夫ですよ。それに、プロになれるとも思いませんから」

「まあ、そんなことないのにねぇ」


 そう言いつつ、鞠江はなぜか澪亜の腰を触り、続いて胸に両手を置いた。


「あらら、私より大きいわね」

「おばあさま――」


 澪亜は恥ずかしがって、胸を両手で隠した。


「ドレス、入るかしらね?」

「もう、知りませんっ。いってきます」


 澪亜の恥ずかしがる声を聞いて鞠江がカラカラと笑った。

 湿っぽい空気にしないための、鞠江の気づかいであろう。


「いってらっしゃい。ナンパには気をつけるのよ」

「……そんなことされませんよ」


 玄関で靴を履きながら、澪亜が答えた。


 澪亜は自分に声をかける人などいないと信じているため、やや低めのトーンで答える。


「私が澪亜ぐらいのときは大変だったのよ。ラブレターが靴箱にたくさん入っていたわ」

「それはおばあさまが美人だからです」

「私の孫なんだから、あなたも美人に決まっているでしょう?」


 澪亜が落ち込むたびに、鞠江はこのセリフを言っている。もう何度目だろうか。


「その言葉は聞きあきましたよ。では、行って参りますね」

「いってらっしゃ~い」


 鞠江が楽しげに澪亜を送り出した。

 澪亜は丁寧に一礼して、古ぼけた玄関の戸をしめた。



     ◯



 駅までは徒歩で二十分。

 その間、妙に視線を感じた。


(なんだか見られているような気がする……自意識過剰かな?)


 背筋を伸ばし、澪亜は歩く。


 幼い頃に歩行訓練を受けているため姿勢がいい。

 歩き方一つで人の印象は変わる、と母がよく言っていた。


(お金を持ってること、気づかれてる……? そんなことないかな……いちおう移動させておこう)


 まったく見当はずれなことを心配し、肩掛け鞄に入れている家賃を、念のためアイテムボックスへと移動させた。鞄の中で移動させれば誰にも見られることはない。


(これでちょっと安心だね)


 ほっとため息をつく澪亜。


 澪亜が亜麻色のストレートヘアをなびかせ、長いまつ毛を下げれば、高貴な深窓の令嬢が世界を憂いているように見える。着ているチープなワンピースも高級品に見えるから不思議であった。


 通行人は澪亜を見ると、必ずと言っていいほど二度見し、見惚れていた。

 澪亜はそのことにまったくもって気づいていない。


「ちょっとあの人見て!」「ヤバッ。美人すぎ」「芸能人じゃない?」


 道路の反対側にいる女子中学生が澪亜を見て、黄色い声を上げる。


 あまりよろしくない行為だが、スマホで写真を取ってグループチャットに送信していた。


 痩せた澪亜は思わず写真を撮りたくなるぐらいの引力を有していた。


(ごぼうが余っていたから、帰りにニンジンを買おう。七十円以下だったらという条件付きで……)


 しかし、澪亜お嬢さまの脳内はすでにきんぴらごぼうでいっぱいだった。

 鞠江の年金とピアノのレッスン代でなんとかやっていけている状態だ。お金は大事である。


 常日頃、鞠江は「まとまったお金があれば増やせるのにね」とぼやいていた。

 その日暮らしでは投資も厳しかろう。

 鞠江の目が見えないことも投資のハンデになっていた。


(おばあさまに異世界のこと……相談してみようかな。秘密にしておくのはどうかと思うし……。それから、事情を話して、目に治癒の聖魔法を使ってみるというのはどうだろう……?)


 亜麻色のお嬢さまの思考は飛ぶ。


 駅へ向かうスーツの男性が澪亜を見つめて口を開け、すれ違った子連れの奥さまが澪亜の姿を見て驚いていた。


 お金をアイテムボックスへしまって安心したのか、周囲の視線には一ミリも気づかず、澪亜は駅前の銀行を目指す。ある意味大物かもしれない。


(駅前……誰にも会いませんように……!)


 澪亜の住む家の最寄り駅は、在来線が三種類重なる人気の駅だ。

 駅前にはビルが三つ建ち並び、多くの人が行き交っている。夏休みということもあって多くの若者がいた。



 銀行に到着し、そそくさと中に入る。

 冷房が心地いい。


(アイテムボックスさん――)


 鞄から取り出す振りをして封筒を取り出し、祖母のキャッシュカードを入れて大家の口座に家賃を振り込んだ。


(これでよし)


 今の平等院家にとって決して少なくない金額だ。

 支払うときは緊張する。


 自動ドアをくぐり、銀行から出ると、むわっとした熱気が身体にまとわりついた。


(暑いなぁ……でも不思議と汗はかかないんだよね。そういえば、息切れもしてないな)


 夏は澪亜にとって天敵だった。

 太っているせいか駅まで歩くと汗だくで、息切れもする。

 それが今では涼しいものだ。


(異世界に行けて本当によかったなぁ……聖女になれて幸運だよ)


 そんなことをしみじみ思っていると、スマホとにらめっこをしながら、困った顔をしている青年を見つけた。


(外国人の方……すごい美形)


 自分も美形なのだが、そんなことは欠片も思わない澪亜。


 青年は二十代半ばに見え、ジーパンに白シャツというシンプルな服装だ。スタイルがいいため、似合っている。金髪を爽やかに分けていた。どこかのモデルさんだろうか。


 困っている人を見つけると、どうにも声をかけずにはいられない澪亜は、青年へと近づいた。

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