第5話 聖女の実


 鏡で異世界と現実を行ったり来たりし始めてから、二週間が経過した。


 澪亜の高校一年生の夏休みは、異世界を中心としたルーティンが出来上がっていた。


 まず祖母鞠江と朝食をし、異世界に移動。

 ひたすら神殿を掃除&浄化。

 お昼前に戻って昼食の準備をし、鞠江とランチを食べる。

 その後、ピアノレッスンを受けてから異世界に行き、ヒカリダマのためにピアノを演奏する。

 また神殿を掃除&浄化。

 夕方頃に家へ戻り、近所の商店街で買い出しをして、夕食。

 その後、ランニング、ヨガ、勉強。時間が余れば習字の練習――。


 こんな具合である。


 どこのお嬢さまだと言いたいところだが、澪亜は家が没落して貧乏なだけで心優しきお嬢さまであった。


 そして、この二週間で決定的に変わったことがある。

 それは――


「痩せてるよね……?」


 そう、異世界に行っているおかげなのか、健康的に痩せ始めたのだ。


 軟式ボールみたいに丸かった顔に、ゆるやかなカーブを描く顎ができていた。まぶたに乗っていたお肉たちはどこかへ逃げ出し、本来の大きな瞳が現れている。


(お肉が減ってる……よね?! よね?!)


 自分のお腹をつまむ。厚みが半減していた。間違いない。

 今はちょっとふくよかな女子、といった印象だ。


 最近、商店街のおじさんやおばさんに、「澪亜ちゃん、痩せたねぇ」「綺麗になったねぇ」と言われることが多く、曖昧に返事をして逃げている。言われ慣れていないため、恥ずかしい。


(鏡……見たいけど怖い……)


 まだ、自分の身体を確認していない。

 鏡を見て、やっぱりそんな痩せてなかった、とがっかりするのが怖かった。


 それに、痩せたところで母や祖母のように美人であるはずもないし、と自己否定している。


 澪亜はとにかく自分の容姿に自信がなかった。

 ともあれ、痩せた事実は嬉しい。


(なんで急に痩せたんだろう……。ステータス、見てみようかな)


 今日も異世界の礼拝堂に来ている澪亜は、定位置のピアノの椅子に腰をかけ、むうと小首をかしげた。


 ステータス表示と念じると、ボードが現れた。


――――――――――――――――――

平等院澪亜

 ◯職業:聖女

  レベル45

  体力/1200

  魔力/4500

  知力/4500

  幸運/4500(+2000)

  魅力/6500

 ◯一般スキル

 〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン

 〈料理〉和食・洋食

 〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字

 〈演技〉役者

 ◯聖女スキル

 〈聖魔法〉聖水作成・治癒・結界・保護

 〈癒やしの波動〉

 〈癒やしの微笑み〉

 〈癒やしの眼差し〉

 〈鑑定〉

 〈完全言語理解〉

 〈アイテムボックス〉

 〈オーバーテイム〉

 〈危機回避〉

 〈邪悪探知〉

 〈絶対領域〉

 ◯加護

 〈ララマリア神殿の加護〉

――――――――――――――――――


 浄化の成果か、レベルが45まで上昇している。

 魅力の数値が6500と高い。


 また、加護という項目が現れており、〈ララマリア神殿の加護〉が追加されていた。


 鑑定をすると『ララマリア神殿の加護――心清らかな聖女のみに与えられる加護。幸運に大幅な補正が入る。あなたの幸せを願う』と書かれていた。


(うーん……ダイエットが成功した要因になっているスキルではないんだよね……)


 ダイエット関係のスキルは存在しない。


「アイテムボックスさん――」


 澪亜は手慣れた様子でアイテムボックスからメモ帳を取り出して、開いた。

 アイテムボックスの便利さは人を駄目にするレベルだ。


(本当に便利だよね。でも、あまり頼らないようにしないとな……なくなったときにショックが大きそう)


 澪亜はできた女の子であった。

 宝くじで十億円が当たっても身持ちを崩さないタイプである。


 細くなった指で、ぺらりとメモ帳をめくる。


 スキルの検証もある程度済ませており、鑑定結果をメモしておいた。澪亜は習字の段位持ちである。達筆だ。あとなぜか、敬語で書かれている。


―――――――――――――――

 一般スキルについては書かれている通りです。どうやらプロ並の技術があると、スキルとして表示されるみたいです。役者になった記憶はないのですが、聖女になったときにこの世界特有の補正が入ったのかもしれません。


 〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン

 〈料理〉和食・洋食

 〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字

 〈演技〉役者


 聖女スキルは謎が多いです。

 一つずつ詳細を書いておき、後で検証いたしましょう。


◯聖女スキル

〈聖魔法〉聖水作成――水を聖水に変化させます。

     治癒――怪我や病気を治せるそうです。おばあさまに試してみたいです。

     結界――球体の結界を出して瘴気の侵入を防ぎます。

     保護――困っている人を保護できるそうです。よくわかりません。

〈癒やしの波動〉――聖女の身体から癒やしオーラが出てるらしいです。

〈癒やしの微笑み〉――微笑むと癒やしのオーラが出るらしいです。

〈癒やしの眼差し〉――優しい瞳で見つめると癒やしのオーラが出るそうです。


 癒やし系のスキルは本当によくわかりません。私と話していて癒やされることなどあるのでょうか? 少なくとも、私自身はそうは思いませんし、他の方に聞くのは恥ずかしくてできません。ですので、検証は保留です。


〈鑑定〉――念じて指定したものを鑑定する。できないものもあります。


〈完全言語理解〉――どの国も言葉でも理解できます。ロシア語やアラビア語で試してみたところ、完全に理解できました。すごいです。英語、フランス語、ドイツ語は喋れるのですが、それ以外の言葉がすぐに理解できるのはお得ですね。でも、勉強はしっかりとしましょう。テストで文法問題が出題されて答えられないと悲しいです。


〈アイテムボックス〉――便利です。アイテムボックスさんとお呼びしましょう。


〈オーバーテイム〉――動物や魔物をテイムできるみたいです。テイムとはペットにすることでしょうか? 直訳は飼いならす、従える、などです。この世界に魔物がいることを知って怖いです。魔物がGのような生物ばかりだったらどうしようかと危惧しております。


〈危機回避〉――危険を察知して回避するスキルです。今のところ反応はありません。


〈邪悪探知〉――悪いオーラを感じ取るスキルです。これはなんとなく、肌で感じると言えばいいのでしょうか。瘴気が近くにあると、胸の真ん中あたりがもやもやしてきます。おそらく、その感覚がスキルの効果かと考えております。


〈絶対領域〉――着ている服を保護するらしいです……。風が吹いたりしてスカートがめくれても、中が見えなくなるみたいです。大変助かるのは間違いないですが、一体なんのためにあるのでしょうか?

 

◯加護

〈ララマリア神殿の加護〉――幸運に補正が入ります。

――――――――――――――――



 澪亜はメモを読み返し、礼拝堂の天井を見上げた。


(うーん……レベルが上がると痩せるのかな? 不思議な世界だよね……)


 自分の予想を脳内で反復させる。


 礼拝堂の内部は澪亜の頑張りで、本来の姿を取り戻しつつあった。

 瘴気は同じ場所から何度も湧き出してくる。

 そのため、根気よく聖水をまいていった。


 さらに室内を覆っていた蔦を除去し、聖水で全体を浄化している。白亜の神殿にステンドグラスの光が落ちて、美しい景色を作り出していた。


(この世界に来て他に何をしたっけ? お掃除、ピアノ、浄化……他に変わったこと……あ、ひょっとして……)


 澪亜は椅子から立ち上がり、中央にある桃色プチトマトの前に向かった。

 今日も葉からはぽたぽたと雫が落ちて、瑞々しい実がなっている。


(毎日一個ずつ食べてるけど、まだ鑑定をしてなかったね。もっと鑑定する癖をつけたほうがいいかもしれない)


 澪亜がゲーム好きな女子であったら、いたるところで鑑定を使っていたかもしれない。便利なスキルはどんどん使うべきであろう。


 早速、桃色プチトマトを鑑定してみる。

 念じると、実の横辺りにボードが出現した。


『ララマリアの果実――甘く、時にほろ苦く、青春の味がする。聖女の素質がある者以外が食べると酷くにがく感じる。溜まっている魔力をほどよく循環させる。一度食べれば効果が永遠に継続する。聖女候補は潜在魔力のせいで太っていることが多く、この実を食べると痩せる。そのことから聖女の実とも呼ばれている』


 澪亜は説明文を見て、脳天をハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。


(聖女の素質があると……潜在魔力で太ってしまうの? 私が太っていたのってそのせい? どういうこと? 昔から聖女の素質があったということかな……?)


 自分がもとから聖女の素質があると知り、空恐ろしい気分になった。


 今までやってきたダイエットの効果がなかったことも証明され、腰から力が抜けた。


 澪亜は背後にあった礼拝堂の長椅子に力なく座った。


「……そっか……だから何度ダイエットしても効果がなかったんだ……」


 やりきれない気持ちがどっと押し寄せてきた。


 しばらく礼拝堂のステンドグラスを眺めていると、次第にこの世界に出逢えたこと、聖女の実を食べた幸運を感じ、「ありがとう」という感謝の気持ちが湧いてきた。


 ゆっくり立ち上がり、深呼吸をしてから、水受けの前に立った。


 自分の顔が好きではない。


 でも、どれくらい痩せたのか気にならないと言えば嘘になる。


 もう今までの自分にお別れを言うときが来たのかもしれない。そんな決意をして、澪亜は水受けを覗き込んだ。


(すごく……痩せてる……!)


 水受けに映る自分は、以前の太っていた自分とはまったく別人だった。

 瞳が大きく、輪郭も女性らしくなっている。


 嬉しくて涙が出てきた。


 これでデブと言われずに済むし、いじめられることもなくなるかもしれない。祖母と二人で出かけても、きっとみじめな気分にはならないだろう。


 ぽろぽろとこぼれる涙をハンカチで拭き、試しに笑ってみる。


 雫が落ちてきて波紋を作る。ちょっと見づらいが、笑った自分は亡くした母に似ているような気がした。


(お母さま……)


 澪亜は優しかった母を思い出し、あきるまでずっと水受けに映る自分を眺めていた。

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