第4話 聖水の効果


 鏡を通過した瞬間に声が聞こえた。


 澪亜はきょろきょろと周囲を見回す。

 いつもと同じ、鏡だけが置いてある白亜の部屋だ。


(びっくりした……異世界の事務員さんの声だね……。この世界の人はみんな聞き慣れているのかな? 個人個人にアナウンスするのは大変な仕事だろうけど大丈夫かな……?)


 脳内アナウンスの人を心配し始める澪亜。


 どういう仕組みなのかは知らないが、確かに一人ずつアナウンスするのは大変そうである。


 もっとも、この異世界に人がいるかもわからない状態だが、澪亜は神殿があることから多くの人が存在しているのだろうと考えていた。


(神殿を綺麗にしたら、森にも行ってみたいよね。それより……ステータスを確認してみよう)


 澪亜がステータス表示と念じると、ホログラムっぽいボードが現れた。

 出てきた数値に視線を落とす。


――――――――――――――――――

平等院澪亜

 ◯職業:聖女

  レベル8

  体力/200

  魔力/800

  知力/800

  幸運/800

  魅力/800

 ◯一般スキル

 〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン

 〈料理〉和食・洋食

 〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字

 〈演技〉役者

 ◯聖女スキル

 〈聖魔法〉聖水作成・治癒・結界・保護

 〈癒やしの波動〉

 〈癒やしの微笑み〉

 〈癒やしの眼差し〉

 〈鑑定〉

 〈完全言語理解〉

 〈アイテムボックス〉

 〈テイム〉new

 〈危機回避〉new

 〈邪悪探知〉new

――――――――――――――――――


 レベルが1から8に上がっている。


 ゲームなどまったくやったことのない澪亜であったが、掃除をしただけで上がるものでもなさそうだと思った。


 理系分野も得意な澪亜だ。

 体力以外が百ずつ上がっていることにすぐに気づき、ボードのレベル部分を鑑定してみた。


 すると、履歴らしきものが出てきた。


『デビルコックローチを二十三匹退治。レベル8へ――』


(デビルコックローチ……昨日部屋に放り込んだ殺虫剤が効いたんだよ! でも……デビルってついてるし、悪そうな生物だね……。そういう生物を退治するとレベルが上がるのかな?)


 そんな予想を膨らませつつ、例の部屋の扉の前に立った。

 ごくりと喉を鳴らしてゆっくりと開ける。


(飛んでくるとかないよね……?)


 お嬢さまらしく、へっぴり腰にはならないが腰が引けている。


 そろりと扉の隙間から顔を覗かせるも物音はせず、静かなものであった。


 澪亜は肩の力を落として、持ってきた懐中電灯を鞄から出した。


(アレの残骸が……よかった、なくなってる。どこに消えたんだろう)


 部屋は六畳ぐらいの大きさだった。


 デビルコックローチの姿はなく、部屋の奥にはファンタジー映画に出てくるような武器や防具が飾られている。


(おっきい剣が一本、弓が一つ、鎧、ローブが一つずつ……)


 澪亜は懐中電灯を上向きになるよう置いて、剣を持ってみることにした。


 普段ならこんなことはしないが、やはり異世界に来たことで冒険心が大きくなっているのだろうか。


 丸い手で剣の柄を持ってみるも、拒絶されているような感覚がした。


「んんん……」


 引っ張ってみてもびくともしない。

 ぷはぁと息を吐いて、手を離した。


「力がないからなぁ……筋トレしたほうがいいかも」


 全然見当違いのことを考えている澪亜。

 鑑定を使ったらどうでしょうお嬢さま、と提案したいところだ。


 弓のほうも試してみたが、これも使えそうになかった。


(使えなくてもいいよね。私が使えるはずもないし、使うのは怖いし)


 剣と弓を眺めながら、澪亜は腕を組んだ。


 しばらく武器と防具を眺めていると、床からじわりと黒い物体がにじみ出ていることに気づいた。


(汚れかな? なんかイヤ〜な気配がするかも……)


 後ずさりして様子を見ている間にも、黒い物体はじわじわと湧き出ている。


(そうか。鑑定――)


 鑑定の存在を思い出して、スキルを使ってみる。黒い物体の横にボードが現れた。


『瘴気――ララマリアの世界を蝕む悪しき元素』


(ララマリア? この世界の名前かな?)


 澪亜はボードを見つめる。


(瘴気が世界を壊そうとしているんだったら大変だよ。神殿も悪くなっちゃいそう。急いでどうにかしないと)


 澪亜は懐中電灯を取り、バケツを持って水受けに溜まった水を汲んで、聖水を作った。


 聖水の効果である『悪しき者が触れると浄化される』という言葉を思い出したのだ。


 聖水を水筒へ移し、床の継ぎ目から出てこようとしている瘴気にふりかけた。


(効くかな?)


 結果、めちゃくちゃ効いた。

 瘴気がみるみるうちに消えていき、聖水のかかった床がにわかに発光し始めた。


(床がちょっと光ってる? 綺麗になってくれたの? それなら、聖水で打ち水をしておこうかな)


 部屋の端から端まで、聖水をふりかけた。


 武器と防具にも念のためかけておく。またしても黒い煙がもくもくと上がって霧散した。


「まあ……お部屋がピカピカで明るくなりました」


 先ほどまでの薄暗い部屋が嘘みたいに、蛍光灯の明かりをつけたかのような光で満ちていた。イヤな雰囲気も消えている。


『おめでとうございます。瘴気を浄化いたしました。レベルが上がります』


 突然、女性の声が脳内に響いた。


「――」


 今度は悲鳴を我慢できた。

 深呼吸してからステータスを確認すると、レベルが8から13まで上がっている。


(瘴気を浄化してもレベルが上がるんだね。へえ……不思議だなぁ……)


 ステータス欄にある項目を検証するのは後回しにして、イヤな雰囲気のする場所を、聖水で浄化していくことにした。


 バケツに聖水を作り、水筒に入れて、まいていく。

 礼拝堂の隅っこや、椅子の下などに頑強な瘴気がいたので、聖水で退治していく。


(隣の部屋も見てみようかな……またGがいたら……)


 武器と防具のあった部屋の隣、女神らしき女性の後ろ姿が彫られている扉の前に立ち、水筒を構えて、「3、2、1」とカウントする。気持ちは突入する警察官だ。


(いきます!)


 扉を勢いよく開いた。


 例の音は聞こえない。その代わり、かなりの瘴気が床や壁にこびりついていた。


 独特な嫌悪感が胸の内に広がっていく。

 聖女スキル〈邪悪探知〉が反応しているらしい。


(黒い瘴気がいっぱいだよ。よし)


 ぱしゃぱしゃと地道に聖水をふりかけていく。

 聖水は瘴気と一緒に蒸発するので、床が水浸しになることはない。


 天井には勢いをつけて、「えい」と可愛らしい掛け声で水筒をスイングして、聖水をふりかけた。太っているが運動神経はいい。二、三回失敗したらコツをつかんできて、誤射がなくなってきた。


 汚れがみるみる落ちていくので爽快感がある。

 澪亜は聖水の水筒打ち水に、すっかりハマった。


(瘴気が消滅して壁がピカピカになるのが素敵。魔法みたい)


 実際魔法なのだが、澪亜は魔法みたいだと喜んでいる。


 部屋全体を浄化すると、ここが寝泊まりする寝室だとわかった。ベッドと布団が敷いてある。布団は長年使っていないにもかかわらず、なぜか清潔そうだった。


 ぽんと叩くと、シーツの手触りがした。


(全然汚れてない……これも魔法の力かな? 魔法ってすごい技術だよ)


 使う予定はないものの、せっかくなのでベッドと布団も浄化しておく。


(お部屋のお掃除は完了だね)


 浄化したおかげで部屋全体が明るくなり、本棚の背表紙が見えるようになった。


 本棚を眺めてみる。


(ララマリアの歴史、浄化魔法学、聖水作成の極意……異世界の本って感じだね)


 読もうか悩んだが、やめておいた。

 ひとまずは神殿中の瘴気を浄化することに専念しようと方針を固めた。


(長丁場になりそうだね)


 澪亜は礼拝堂へ戻り、バケツに水を汲んで聖水作成のスキルを使った。



      ◯



 目に見える箇所の大まかな浄化が終わるまで、六時間ほどかかった。

 一度、現実世界へ戻って昼食休憩を挟んでいる。


 神殿はみちがえるような輝きを取り戻していた。


(初めて見たときも素敵だったけど、今はもっと輝いているね。神殿さんも喜んでくれているといいな)


 澪亜はピアノに設置された椅子に座り、ふうと一息ついた。

 ステータスを確認してみる。


(さっきから何度もレベルアップしてたんだよね)


 ということで、ステータス表示と念じた。


――――――――――――――――――

平等院澪亜

 ◯職業:聖女

  レベル35

  体力/1200

  魔力/3500

  知力/3500

  幸運/3500

  魅力/3500

 ◯一般スキル

 〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン

 〈料理〉和食・洋食

 〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字

 〈演技〉役者

 ◯聖女スキル

 〈聖魔法〉聖水作成・治癒・結界・保護

 〈癒やしの波動〉

 〈癒やしの微笑み〉

 〈癒やしの眼差し〉

 〈鑑定〉

 〈完全言語理解〉

 〈アイテムボックス〉

 〈オーバーテイム〉new

 〈危機回避〉

 〈邪悪探知〉

 〈絶対領域〉new

――――――――――――――――――


(レベル35……すごいのかわからないけど……、なんだか身体が前よりも軽いかも)


 試しにジャンプしてみた。

 五cmぐらい浮いた。


(ううっ……気のせいだったよ……)


 ちょっとヘコむ澪亜。

 鞄に入れてあった百円均一の腕時計を見ると、夕方になっていた。


(もうこんな時間……。ピアノを軽く弾いて、今日は帰ろう。おばあさまが心配しちゃう)


 礼拝堂にあるピアノの蓋を開け、五曲弾いた。

 数分するとヒカリダマが集まってきて、もっともっととせがんでくる。


 後ろ髪引かれる思いであったが、明日弾くと約束をして、異世界を去ることにした。


「帰ろう」


 ヒカリダマの浮いている礼拝堂を見上げる。

 ステンドグラスには夕日が降り注ぎ、淡い色合いの影が礼拝堂に落ちていた。


 異世界にも夕日があるんだなと澪亜はぼんやりと思い、感謝を込めて一礼する。


 バケツを手に持とうとして、スキルの検証をしていないことに気づいた。


(そうだ……気になってたスキルを使ってみよう。アイテムボックスって名前なんだけど、箱が出てくるのかな?)


 念じると使い方がわかる。


「アイテムボックス――」


 澪亜が唱えると、大きな白い玉が現れた。

 入れたい物の近くへ玉を移動させればいいらしい。


「こう、かな?」


 バケツよ入れと念じながら玉を移動させる。

 すると、バケツが神隠しにあったように、瞬時にかき消えた。


「まあ。消えちゃった……」


 上品に手で口元を隠し、驚く澪亜。


「出すときも念じればいいんだね」


 出すのも同じで、パッとバケツが出現した。


(あ……白い玉を出さなくてもいいんだ。最初だから出てきてくれたのかも……)


 面白くて何度か試してみる。これは便利だ。

 手ぶらで登校、なんてこともできそうだった。


(教科書はアイテムボックスの中にしまっておこうかな。また砂を入れられたらイヤだし……ハァ……)


 先日のことを思い出して、胸に暗い感情が吹き荒れる。


 だが、亡き父の『どんな苦難でも前向きに考える』という言葉を思い出して、顔を左右に振った。


(素敵な異世界に来れたんだから、私の周りにもきっと幸せが増えるよね。うん)


 澪亜は明るい未来を想像して、笑みを浮かべる。


 明日はアイテムボックスに勉強道具を入れて持ってこようかなと考えつつ、澪亜は鏡の部屋に戻った。

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