第3話 礼拝堂をお掃除
朝食を食べてストレッチをし、掃除用具を手に持った。
(神殿にお返しをしなきゃね!)
今日から学校がないので気分爽快だ。
ひとときの安らぎと、不思議な魔法の力をくれた神殿に感謝をし、澪亜は自分の体型を見ないように、正面ではなく横から鏡をくぐり抜けた。
ぬるりとした独特な感覚が全身に走る。
「よかった。問題ないみたい」
そう言って鏡を振り返る。
一瞬、太っている体型の自分が見えて、すぐに目をそらした。
今は楽しいことだけを考えよう。そう言い聞かせて、澪亜は手に持ったバケツに入っている掃除用具を確認する。雑巾、スポンジ、ハサミ、洗剤、軍手がバケツに収まっていた。百円均一で買った肩掛け鞄には学校指定のブレザーとスカートが入っている。
部屋を歩き、扉を開けて礼拝堂に入った。
礼拝堂には静謐な空気が流れていた。二度目であるのに、その美しさと佇まいにため息を漏らしてしまう。この場所はかけがえないものだ。そう感じ、澪亜は目を閉じて感謝を伝える。
(ありがとうございます。私を受け入れてくれて、感謝いたします)
澪亜は頭を垂れて、祈りを捧げた。
(よし、お掃除をしよう)
数十秒祈り、中心部にある鳥の像へと向かい、桃色のプチトマトっぽい果実を眺めた。
「あっ……昨日食べたところに実がなってる」
昨日、澪亜が取った部分に、瑞々しい実が一つできていた。一日で育つとは成長が早い。
そろりと手を伸ばし、澪亜は実を食べた。
弾けるような甘みが口いっぱいに広がり、思わず頬を手で押さえてしまう。
「美味しいです」
めくるめく心地の香りが鼻孔を抜け、身体に活力が湧いてくる気がした。
「ありがとうございました」
果実へ律儀に一礼し、澪亜は水受けに溜まっている水をバケツに汲んだ。
半分くらいを満たして手をかざし、聖水作成と唱える。
パッとヒカリダマが出現してバケツの水が聖水へと変化した。
「ええっと、鑑定って言えばいいのかな――?」
声に出してみると、ボードが現れた。
「あ、出てきた」
『聖水――聖女レイアの作った聖水。飲んだ者の心を癒やし、体力を持続回復させる。悪しき者が触れると浄化される。物を本来の姿へと戻す』
「うん、聖水になっているね。では、失礼させていただきます」
肩掛け鞄からブレザーとスカートを取り出し、聖水につけてみた。
しゅわしゅわと炭酸の弾けるような音が響き、黒い煙が吹き出てきた。
「きゃあ! か、火事? 燃えちゃったの?!」
煙は断末魔を上げるかのように空中でうねると、あっさり消えた。
実はこれ、いじめっ子である田中純子の悪意が澪亜の制服に付着していた。人間が執着した物には、こうして悪意が付与されることが稀にあった。
ブレザーとスカートが浄化され、田中純子が再び制服に執着する可能性は低くなった。
(黒い煙、消えたね……よかった。でもしゅわしゅわはまだ消えていないみたい)
そんなことを知らない澪亜は、バケツを覗き込んだ。
バケツの中で気泡が浮かんでは消えていく。
澪亜は着ていたワンピースの袖を腕まくりして、両手を入れて制服を揉み洗いした。
ある程度洗ってからじゃぶんと取り出すと、ブレザーがピカピカに白くなっていた。
「まあ! とっても綺麗になってる! 聖水ってすごいんですね……。このまま干しておきましょう」
澪亜は肩掛け鞄から持ち込んでいたハンガーを取り出して、礼拝堂の窓枠にブレザーとスカートをかけた。外からの風が気持ちよく流れ込んでいる。
小鳥が一羽飛んできて、窓枠に止まった。
「あっ、小鳥さん。可愛い……」
虹色の身体をした小鳥だ。
窓枠に落ちている小さな木の実をついばみ、こてりと首をかしげている。
澪亜も小首をかしげ、微笑んだ。
小鳥はタッタッタと窓枠を軽快に跳ねると、飛び去っていった。
「気をつけてくださいね〜」
小鳥に声をかけ、手を振る澪亜。
森の方向へと消えていった小鳥を目で追い、室内に視線を戻した。
「礼拝堂の窓、半分は開いたままだね」
礼拝堂をぐるりと眺める。
(帰るときに閉めたほうがいいかもしれない。外がどうなっているかも気になるし……。小鳥さんの好きな木の実は外に出しておいてあげよう)
窓から見える外の景色は、大自然、といった様相だ。
広大な芝生広場の奥に森が見える。
野外探索は後回しにし、まずは神殿の掃除へと戻ることにした。
バケツにふたたび聖水を作り、まずは鳥の像を磨いていく。
(この像、どんな鳥なんだろう。像になるくらいだからきっと崇拝の対象になっているんだろうけど……さっきの小鳥とは全然違うね)
像はくちばしが長く、羽が大きい。
止まり木で休憩しているポーズだが、羽が下まで伸びていた。
隅々まで拭くと、像が真っ白になった。
(綺麗になると満足感があるよね)
澪亜は満足げにうなずいて、一度休憩することにした。
礼拝堂にあった古ぼけた椅子に腰をかけ、肩掛け鞄から水筒を取り出した。聖水を新しく作って飲みながら、ぼんやりとステンドグラスを見上げてみる。
一人の人間が、大きな鳥から何かを受け取っている光景が描かれているみたいだ。真ん中から下の部分が蔦に覆われていて見えない。
(こっちの宗教なのかな? 大きな鳥が神さまってこと?)
ステンドグラスを見上げ、澪亜は知らない世界の常識に思いを馳せる。
ゆくゆくはステンドグラスや壁も綺麗にできればと思った。
(休憩終わり。ちょっと神殿を探索してみようかな)
実は気になっていた箇所があった。鏡のある部屋のほかに、まだ三つの扉があるのだ。
どの扉にも精緻な彫刻がなされていて、ファンタジー要素満載だった。
(変な生物とか出てこないといいけど……)
まずは一番左の扉を開けることにした。
ドアノブに蔦が絡まっていたので、持ってきていたハサミでどうにか切った。枝切り鋏があればいいのだが、今の平等院家にとって、買いたくても買えない一品だ。当然、家に戻ってもない。
(ふう……よし……)
蔦を取り除き、澪亜はゆっくりとドアノブを開けた。
暗い部屋だ。中が何も見えない。
(怖いなぁ……もうちょっとドアを開けて……)
ギギギと蝶板の擦れる音がして、室内に礼拝堂の光が入り込んでいく。
すると、背筋が冷たくなる音が聞こえた。
全人類のレディが大嫌いな、カサカサという、あの音だ。
「――ッ!?」
澪亜は即座にドアを閉めた。
見えた。確かに黒光りするアレが見えた。
足元に彼奴らがいないか必死に確認する。
(よかった、いない……)
一呼吸したあとの澪亜の行動は早かった。
一度自宅に戻り、薬を霧状に噴出するG退治のグッズを異世界に持ち込んだ。ちょうど特売で買った予備があったのだ。
誘拐犯の立てこもる部屋に突入する警察のごとく、脳内で「3、2、1」とカウントして例のドアを開けて、G退治グッズを部屋に放り込んだ。
バタン、とあわててドアを閉める。
「大丈夫、大丈夫……神殿を浄化しなきゃ」
謎の使命感が湧き上がり、澪亜は拳を握る。
ひとまず、その日は疲れたので、掃除用具を持って自宅に戻ることにした。
鏡を通過して現実世界へ戻る。
二階の鏡がある部屋で一息つくと、祖母鞠江の声がした。
「澪亜、お勉強していたのー?」
お隣さんと話をしていたのか、階下の玄関口から聞こえてくる。
「いえ、お掃除をしておりました〜」
「ありがとう。手を怪我しないようにね。掃除ぐらいなら私もできるからねー」
「はぁい」
澪亜は答えて、日課をこなすことにした。
ピアノ、ジョギング、ヨガ――
腹のお肉は以前として不退転であった。
頑固な職人のごとく、澪亜の腹部に居座り続けている。
だが、長年付き合い続けてきた自分の身体だ。澪亜はそのちょっとした変化に気づいた。
(あれ……? ちょっとだけ減ってる……?)
むにむにと何度かお肉をつまんでみる。確かに、ちょっとばかり減っている気がした。
澪亜は嬉しくなってきて、笑顔になった。
(努力は続けよう! いつか実を結ぶ日が来るよね!)
むんと両手で拳を作り、明日の希望へと思いを馳せた。
どんなダイエットにも抵抗してきたお肉たちだ。何度もあきらめかけたが、父と母の言っていた“継続は力なり”、という言葉を信じて今までずっとダイエットを続けてきた。
(鏡で異世界に行ってから毎日がとっても楽しいな。感謝しかないよ)
その日、澪亜はいい気分で眠りについた。
◯
翌日、朝食を済ませて鏡をくぐると、脳内に女性の声が響いた。
(おめでとうございます。聖女・レベル1からレベル8に上がりました。ステータスで確認ができます)
「ひゃあ!」
いきなり声が響いて、澪亜は持っていたバケツを取り落としそうになった。
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