第2話 聖女への転職
澪亜は立ち上がり、両手を広げて全身を確認する。
一瞬、身体が熱くなって光っていたように思えるが、今は収まっていた。
(なんだったんだろう……)
周囲を見回してみる。
半分が草に覆われた礼拝堂は静寂に包まれていた。
先ほどまでヒカリダマがたくさんいたのが、嘘みたいだ。
『ステータスを表示いたします。女神が測定する生命数値です』
「ひゃあ!」
いきなり脳内に声が響いて、澪亜は跳び上がった。身体が重いので二ミリぐらいしか跳んでいないが。
すると、目の前に半透明のボードが登場した。ホログラムのように宙に浮いている。
「え? なにこれ?」
澪亜はボードを恐る恐る触ってみる。するりと手がすり抜けた。
『ステータス表示と念じれば、いつでも閲覧可能です』
「そうなんですね? あの……貴方さまは神さまでしょうか?」
澪亜が尋ねても何の返答もない。
しばらく待ってみても、声が聞こえることはなかった。
(あの声は事務員さんなのかな? 必要なことだけ伝えてくれるみたい。不思議なこともあるものだね)
天の声は事務員ではないと思うが、彼女が言うのならそういうことにしておこう。
(ステータス……漫画とか、ゲームのこと? よくわからないな……)
お嬢さま育ちの澪亜には馴染みの薄い言葉だ。
庭師であった青年がゲームの話をしてくれた記憶が微かにある。
澪亜はボードへ視線を落とした。
――――――――――――――――――
平等院澪亜
◯職業:学生
レベル1
体力/1
魔力/1
知力/10
幸運/10
魅力/3
◯一般スキル
〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン
〈料理〉和食・洋食
〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字
〈演技〉泣き我慢
↓
平等院澪亜
◯職業:聖女
レベル1
体力/20
魔力/100
知力/100
幸運/100
魅力/100
◯一般スキル
〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン
〈料理〉和食・洋食
〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字
〈演技〉役者
◯聖女スキル
〈聖魔法〉聖水作成・治癒・結界・保護
〈癒やしの波動〉
〈癒やしの微笑み〉
〈癒やしの眼差し〉
〈鑑定〉
〈完全言語理解〉
〈アイテムボックス〉
――――――――――――――――――
右側にもとのステータス。
左側に新しいステータスが表示されているらしい。
職業が学生から聖女に変わっていた。
(職業が聖女に変わっているみたい……面白いなぁ……元々の体力が1なところがリアルでつらい……)
ちょっとヘコむ澪亜。
(一般スキルの“泣き我慢”……私が何度も我慢してきたからだよね……このステータス、すごいよ。本物なのかな?)
気を取り直し、まじまじとボードを眺める。
聖女に変更されてからステータスの伸びが凄まじい。
魔力という項目が気になった。
ファンタジー映画を家族でよく観に行ったものだ。VIPルームで観る映画は澪亜のお気に入りだった。今では懐かしい思い出だ。
ひょっとしたら魔法が使えるかもと、澪亜はわくわくしてくる。
(聖水作成……? あ、考えたら頭の中にやり方が浮かんできた。治癒も……なるほど)
聖女の力なのか、項目を思い浮かべればどうすればいいのかなんとなくわかる。
試しに水受けへ手をかざし、聖水作成を念じた。
パッと光が弾け、小さなヒカリダマが出現した。光の珠がゆっくりと水へ染み込んでいく。
虹色に輝くと、水が浄化された……ような気がした。
(えーっと、本当に聖水になってるのかな? どうやったらわかるんだろう……。鑑定っていうスキルでどうにかならないかな……あ――、出てきた)
鑑定スキルが行使され、水の上部にボードが現れた。
『聖水――聖女レイアの作った聖水。飲んだ者の心を癒やし、体力を持続回復させる。悪しき者が触れると浄化される。物を本来の姿へと戻す』と書かれている。
「ちょっと恥ずかしい……」
聖女レイアと書かれていることが、なんだかむずがゆくて頬が熱くなった。
手ですくって聖水を飲むと、口の中がさっぱりとなった。歯磨きをしたあとのような感覚だ。
(山から汲んできた綺麗なお水って感じかな? お口がすっきりして不思議)
澪亜は考えながらハンカチをポケットから取り出し、丁寧に口と手を拭いた。
しばらく、何も考えずにぼんやりと礼拝堂を眺めてみる。
(やっぱり、鏡を通過すると別世界に移動するってことでいいのかも……魔法の力が使えるのがその証拠だよね。いわゆる、異世界かな?)
昔からここを知っていたような、そんな安心感があった。聖女になったからだろうか?
純子に背中を散々に蹴られ、どろどろした屈辱的な思いや、悔しさ、悲しみ、そんな感情が今はまるでない。黒く塗りつぶされていた壁を、真っ白に塗り替えられた気分だ。
晴れやかで落ち着いた自分の心が、澪亜は心強かった。
自分で自分が心強いなど、感じたことがない。
「あっ、おばあさまのお芋」
落ち着いた気分になったら、鞠江がふかしてくれた芋のことを思い出した。
急ぎ足で礼拝堂から出て、白亜の部屋に入り、鏡を「えい」とくぐり抜けた。
ぬるりと空気の膜を通過するような感触がし、目の前が雑然とした部屋に切り替わった。
「……戻ってこれた」
鏡が一方通行でなくてよかった。
澪亜は一階に下り、遅かったねと祖母に言われてふかした芋を一口食べ、そのまま夕食を作った。買いだめしていたスーパーの特売品で作る料理だ。魚の煮付け、山菜、味噌汁、ご飯という倹約メニューとなった。ダイエットをしているので、お米は少なめだ。
その後、鞠江と夕食を食べて、少し雑談する。
(そっか、明日から夏休みか……)
学校について目を背けていたが、明日から夏休みだと思い出した。
(よかった……学校に行かなくてよくて……)
学校には苦しみしかない。
いじめてくる田中純子、侮蔑の目を向ける義理の姉妹、友達もいなくて、いつもひとりぼっちだ。
夏休み。約四十日の休日は田中純子にも、義理の姉妹にも会わなくて済む。澪亜は腰の力が抜けたように脱力した。
「どうかしたのー?」
「いえ、なんでもありません」
「困ったことはすぐに言うのよ」
祖母の鞠江は座椅子に座り、お隣さんからもらったお古のタブレットから音声を出し、動画を再生して何かの実況を聴いている。Wi-Fiもお隣さんから許可を取って借りていた。見えないのに手慣れた操作だ。
ふと、鞠江が顔を上げた。
「澪亜、夏休みは何をするの?」
「そうですね……お掃除をしようかなと思います」
「そう。勉強とピアノ以外にも、自分の楽しみを見つけられるといいわね」
鞠江が微笑んでくれた。
澪亜は異世界の礼拝堂を掃除しようと思った。
あの世界の存在が、生きる意味を教えてくれたような気がする。
(明日から、異世界に行こう)
食器を洗って片付け、夏休みの宿題を少しやり、早めに寝ることにした。
今日は色々あって疲れた。
部屋に戻って安物のパジャマに着替え、電気を消す。
薄い布団に身体を横たえ、木製の古めかしい天井を見上げた。
(――ステータス表示)
念じると、ホログラムのようなボードが現れた。
――――――――――――――――――
平等院澪亜
◯職業:聖女
レベル1
体力/20
魔力/100
知力/100
幸運/100
魅力/100
◯一般スキル
〈楽器演奏〉ピアノ・ヴァイオリン
〈料理〉和食・洋食
〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字
〈演技〉役者
◯聖女スキル
〈聖魔法〉聖水作成・治癒・結界・保護
〈癒やしの波動〉
〈癒やしの微笑み〉
〈癒やしの眼差し〉
〈鑑定〉
〈完全言語理解〉
〈アイテムボックス〉
――――――――――――――――――
ステータスが出てきた。やはり、あの世界はまぼろしではないと確信した。
(一般スキルは私が習ってきたもので……聖女スキルが聖女になってから手に入れたもの……癒やしの波動? 癒やしの微笑み? ……よくわからないなぁ。明日、神殿のお掃除をしてから検証してみようかな)
神殿の掃除を優先させるところが澪亜らしかった。
(明日から……楽しみだな……)
澪亜はタオルケットをお腹にかけ、ちらりと自室のカーテンレールにかけた制服を見た。
暗闇でも、蹴られた汚れの残りが見える。
水洗いだけでは落ちなかった。高級なブレザーなので洗剤で洗うわけにもいかない。クリーニングに出すお金もない。
(そうだ……明日、聖水で洗ってみよう)
そんなことを思いつき、澪亜は眠りについた。
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