第三章~旅立ちの秋~
第一節~旅立ちの予感~
暦はその後も、少しばかり魔法について説明し、最後に改めて入里夜の方へ向き直った。何かを改めて確認するような趣だ。
入里夜が目をぱちくりさせていると、ふいに暦が彼女の手を優しく握った。
「入里夜、この世界に巫女と呼ばれる人たちはたくさんいるけれど、私たち月宮の巫女は他のどんな役職の巫女より危険で大変で、何より多くの責任を果たさなければならないの。今までのような生活は送れないわ」
「う、うん」
入里夜は大きくうなずくと、透き通った碧い瞳で母を見つめた。
「それでも月界を治める月宮の巫女の一人として、皆のために頑張れる?」
これはいわば大巫女からの最後の確認だった。これを承諾すれば、入里夜は単なる見習い巫女ではなく、大巫女の傍で仕える正式な「月宮の巫女」となる。
暦との間にも、親子のほかに主と従者の関係を新たに築くことになり、本来彼女がそうなるべき時期は三年も先のことだ。
状況はどうであれ入里夜には断ることもできる。しかしそれは可能性の話であり、彼女の答えは違っていた。
「うん! もう魔法を使えるんだもん。大好きな月界やみんなを守れるのなら、私頑張る……ううん、絶対できるわ」
もはや入里夜の瞳に、負の光は宿るものではなかった。暦はようやく、本当の晴れやかな笑顔で入里夜を抱きしめられる。
「分かったわ、入里夜の強い思いはしっかり伝わったよ。じゃあみんなのところへ戻ろうか」
「うん、お母さん」
二人はいま一度お互いに笑顔を向けると、儀式の部屋を後にした。
石の大扉を出ると、暦は龍像の手にある燭台の灯を消した。すると龍の頭上に浮かんでいた「解」の文字が「閉」に変わり、扉はゆっくりと、しかし轟音とともに動き出し、やがて固く閉ざされた。
扉が完全に閉まると、天井付近にある無数の松明がゆっくりと消える。それを追うようにして、巫女たちがいる通路は再び闇の支配下へと帰っていく。
「なるほど、大巫女の爆炎術がなければ部屋に入ることすら叶わないのね」
とつぜん暦がなにか納得したようにそう言った。
「お母さん、なにかわかったの?」
「ええ、まあ終わったことなのだけれど。この通路のたいまつは火が付かないように魔法で守護されていた」
「最初お母さんがそう言ったわね」
儀式の部屋には無数に近い量の魔導書があり、これらを月宮の巫女以外の者に悪用されては世界の存亡にかかわる。
そこで燭台に魔法で火を灯し、その魔力が月宮の巫女のものだと確認できて初めて周囲が明るくなり、魔法の習得方法が閲覧できる仕掛けだったのだ。
「な、なるほど。月光文字と合わせて、すごい守りね」
「そうね、でもあの部屋はそれぐらい厳重にしないと……入ってみておどろいたわ」
暦は苦笑して最後の儀式を始めた。石の大扉に封印の結界を張るのだ。彼女は明り取りのためにまた魔法で松明を生成し、火を灯して入里夜に持たせた。
そして
実体化させた鍵を龍像の口へ放り込むと、「閉」の文字が「封」へと変化した。続いて龍の像から金の鎖が現れると、扉に張り付いて石の大扉は完全に封印された。
暦は龍神結界を元どおりに張りなおすと、さらにその上から強力な結界を張るという。何重もの備えが必要らしい。
「月宮の掟、
大巫女は衣装の懐から封印のお札を取り出すと、それを右手の人差し指と中指で挟み、魔炎で燃え上がらせる。
お札が燃え上がると、扉の前に巨大な魔方陣が現れ、中央にお札が張りつけられた。
やがて封印の魔方陣と龍の鎖は静かに消えて行き、やがてそこに存在が認められるものは石の大扉のみとなった。
暦の指さきにある魔炎が消え去ると、辺りは静寂を取り戻した。
入里夜の左手に握られた松明の灯りだけが、闇の中で音を立てて輝いている。
「お母さん、終わったの?」
「ええ、じゃあ行こうか。ケルトに一時間と言いながら、かなり時間を使ってしまったわね」
暦は娘の手を持って歩き出し、入里夜もそれに続こうとしたまさにその時。
暦の右手に輝く、伝令の紫水晶が群青色に輝きを放ったのだ。ケルトからの報告だった。
大巫女が水晶に触れると交信が始まり、暗い通路にケルトの幻影が投影される。
「ケルト、どうかしたの?」
「暦さま、火急のご報告にございます。ご命令通りサタンたちは結界領域から退けました。ですが大魔界との激しい攻防で龍脈の魔力が乱れ、その影響で各地に納めた月宮の神器が八方へ散ってしまったようにございます。中には異世界へ空間転移してしまったものもありましょう。いかがいたしますか」
その報告を受けると、暦はやはりと言うような顔で大将軍に答えた。
「分かったわケルト。私も大魔界の襲撃の瞬間から、この状況少しは予期していたの。今回サタンは本気で征服に来ている。今回は無理だけれど、数年のうちにあの術で決着をつけたいの」
「はい、いずれにせよ、真の脅威を払うにはそれしかないかと。しかし……」
ケルトの声が少し重くなる。
「ええ、あの術の発動には、私を含めた十三人の月宮の巫女と同じ数の宝剣、それに私の薙刀すべてが揃わなくてはならないわ」
「やはりそうなのですね、しかしながら……」
「ええ、今回の一件でそのほとんどが月界、異界含めてばらばらに散ってしまった。それに魔力を全開で使いこなせるのは私だけ」
「では軍を異世界へ送り、神器の回収を」
「いいえ、ケルト。その必要はないわ」
「暦さま?」
「あなたたちには大魔界を完全に退けたあと、各地の修繕や乱れた龍脈の鎮静をしてもらうわ。神器回収は、巫女としての修行を兼ねて入里夜に行かせるつもりなの」
「えっ⁉」「なんと」
ケルトと入里夜はおどろいて声をあげた。
「お母さん? なに言って……」
入里夜が驚いているあいだも、大巫女と大将軍は勝手に話を進めている。
「入里夜さまをですか? しかし、入里夜さまはまだ……」
「魔法に関しては大丈夫よ。もちろん十分ではないけれど魔力も開放したし、私が使うくらいの禁術月界魔法も教えたわ。何とかなるわよきっと」
「暦さまのご判断とあらば異論はありませぬ」
冗談や芝居ならばその辺にしてほしいと、入里夜は思っていた。確かに魔法も使えるようになり、皆のために力を尽くすとは言った。
しかし見たこともない異世界へ赴き、修行というならまだしも、神器集めもやれというのか。
入里夜はさすがに困惑していたが、彼女をよそに暦はケルトに次の指示を出した。
「私もすぐそちらへ合流して界包結界を張り直すわ。
「はっ! では引き続き防衛線を維持しつつ、暦様のお越しをお待ちいたします。どうか暦様もお気を付けて。私は館の前で待機を」
「わかったわ。みんな無理はしないでね。じゃあいちど通信を切るわね」
暦はケルトとの通信を切ると、側で困惑している入里夜のほうをむいた。
「今はとても混乱していると思うけれど、後でちゃんと説明するから、今はここを出るわよ」
「うん……分かった」
入里夜は、うなずいて母の後をついて行くしかなかった。今後の自分の運命が心配でたまらないが今さら嫌だという気にもならない。
入里夜は覚悟を決め、暦とともに儀式の部屋を後にした。
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