第九節~契約成立~

 暦は入里夜から少し離れると、両手を胸に当てて目を閉じ、全身に力をこめ始めた。

 入里夜びくびくしながら見ていると、暦の体がほのかに輝き始めたではないか。

「あ、あの、お母さん?」

 暦の体は金色の輝きを放ち始め、強すぎる魔力で部屋に突風が吹き荒れる。

「きゃああ~っ、お母さんやめてえ~っ、また強風~!?」

 入里夜が髪を抑えながら叫び声を上げた。今日は強い風と雷のせいでかなりひどい目に遭っているのだ。もういい加減に止めてほしい。と入里夜は思う。

 その時、目を閉じて魔力を集約していた暦が瞳を開き、ぐっと体に力を入れた。彼女の体が凄まじい金色の魔力に包まれる。

 入里夜に分け与えるための魔力を集約して一気に放出したわけだが、その勢いは甚だ強く、まるで煌々と燃えさかる業火のようだ。

「ちょ、ちょっとお母さん! 大丈夫なの!?」

「ええ私は問題ないわ。それより入里夜、いまからこの魔力をあなたにおくるけれど、準備は良い?」

「う、うん分かった」

 入里夜は強大な魔力にまだ少し恐怖があるが、今さらちょっと待ってとは言えない。彼女は覚悟を決めて母に向き直った。

 暦は覚悟に満ちた娘を見て笑顔でうなずき、左手に溢れる魔力を集約した。そして金色の魔力を入里夜めがけて一気に放出する。

「入里夜、ごめんね。しばらくのあいだ辛いと思うけれど頑張ってたえて」

「えっ? お母さん今なんて……」

 入里夜が言い終わらないうちに、彼女の体は金の炎に包まれた。

 暦の強い魔力に入里夜の体内のわずかな魔力が呼応し、それはまさしく燃え上がる炎のように見える。

 その直後、入里夜がこれまで体験したことのないような激しい痛みが彼女の身体を駆け抜けた。全身の血管を何かが暴れまわっているようだ。

「うわああああああああああ~っ! いだいっ、いだいよお! 助けてっ!」

 入里夜は泣き叫んでのたうち回ったが、それでどうにかできるような痛みではない。

「入里夜、大丈夫!? もう少しの辛抱だからね! お願い、耐えて!」

 暦は汗だくで震えている入里夜を抱き寄せ、しっかり手を握ってやった。


 魔力の解放といっても、本来長期にわたる修行を行い、少しずつ身を慣らすもの。それを大巫女の力で強引に見ざめさせるわけだから、それ相応の苦痛は避けられない。

 この副作用こそ、暦が入里夜の魔力解放をためらう理由の一つだった。

 

 ただ暦のいう通り、この副作用は長く続くものでもない。数秒経つと、入里夜を包んでいた燃え盛るような魔力は穏やかになり、彼女の全身から魔力が湯気のようにほのかに立ち上っている。

 入里夜が落ち着くころには血管を刺すような痛みも消え、代わりに体の奥から無限に溢れる力を感じられた。

「お母さん……終わったのね」

「ええ、ひとまず第一関門突破よ。本当によく頑張ったわ入里夜」

 この痛みに耐えられず命を落とす者もいる。そう聞いたことのある暦は、これまで胸の裂ける思いで儀式を進めてきたが、ようやくその胸をなでおろすことができたのだ。

「入里夜、おつかれ」

「お母さん」

暦は入里夜を強く抱きしめる。母に抱かれる入里夜の碧い瞳には、多くの思いを秘めて美しく輝く涙がまだ少し残っていた。

 こうして入里夜は、月界の危機に立ち向かうため魔力を開放し、魔法使いとしての道を切り開いたのである。


 一息ついたところで、暦がふいに立ち上がった。

「入里夜、この部屋での儀式もあと少しよ、さっさとやっちゃおうか」

 その口調には、もはや不安の念はいっさい感じられない。

「うんっ! わかった」

 暦の声は入里夜の心を今日いちばんの安心感で満たしていた。入里夜も常闇の世界に朝日が差したかのような顔で、元気よくうなずく。

 

 そして儀式は始まった。


 暦は台の上に置いていた龍の魔導書を手に取ると契約の項を開く。そこに魔方陣を宿した右手をかざし、書かれていた全てを魔方陣に取り込んだ。

「よし、成功」

 続いて彼女は、空中に龍の魔方陣を描きだす。


 ――これですべての下準備は整った。


「入里夜、この龍の魔方陣に手をかざして、”魔法使いになりたい” って強く願って」

 暦はいま描いた魔方陣をさし示す。

「わかった」

 入里夜は首をかしげながらうなずくと、右手を魔方陣にそっと押し当てた。

 これでいいの? と、入里夜が問うまもなく、暦も同じことをしている。まるで、それでいいよと言うように……。

 二人の巫女は今、魔方陣をはさんで手を合わせていた。こうすることで、巫女たちは思いを共有できる。

 入里夜は昔から祈ることが得意だった。心を落ち着け、ただ一心に願い続ける。「魔法のちからで月の平和を取り戻したい」と。

 彼女が祈り始めて数分。

「入里夜、顔を上げて。あなたの強い思い、龍神様は分かってくれたわ」

「えっ、お母さんそれってどういう……」

 入里夜がそう言いかけた時。

 二人が手をかざしていた龍の魔方陣が暦の手に張り付いた。魔方陣は暦の手のひらで完全な龍の形に変形すると、彼女の手から離れて巨大な金色の龍へと姿を変えたのだ。

「へっ? お母さん? うそでしょ」

 入里夜が驚いているあいだに、龍は儀式の部屋を飛び回り始める。しかしそれだけでことが収まれば、入里夜も声を上げて仰天はしなかった。

 金の龍はしばらく飛び回ったあと雄たけびをあげ、入里夜に向かって一直線に飛んできたのだ。

「ちょっと、な、なに? いや~っ! おか~さ~んなんかこっちに来るよ、助けて~」

 龍はすでに、入里夜の眼前まで迫っている。

「ひゃあっ!」

 入里夜は衣を踏みつけ、みごとにひっくり返った。結果的に龍を交わせたわけだが、暦がまた無茶なことを言い始めたのだ。

「あっ、入里夜、その龍は敵じゃないから交わしちゃだめよ」

「は、はい⁉」

 入里夜は暦に驚きの目線を向けた。お母さんは私を殺すつもりなの!? と言おうとしたとき、暦が慌てて補足説明をする。

「その龍は龍神様の意志が具現化したもので、龍神様のかたわれなの。大丈夫だから、さっきまで魔方陣にかざしていた方の手を出して、その龍を受け止めて!」

「ふえっ!? そ、そんな怖いことできないよ~」

 入里夜は半泣き状態で両手をわななかせる。

「大丈夫よ。これまで私が嘘ついたことある? ほら、また来るわ」

 確かに暦が人を欺いたことは、入里夜の記憶の中には一度もない。入里夜はついに決心し、右手を龍に向けた。

 金色の龍はうなり声をあげて高く飛びあがると、一直線に入里夜へ向かっていく。


 龍がいよいよ彼女近づいた時、入里夜の右手に「可」と書かれた魔方陣が浮き上がる。

「………ッ!」

 覚悟を決めていた入里夜だが、さすがに目を固くつむり、振り向いてしまった。

 激しい龍の気配が穏やかになると、入里夜は顔を上げる。

「……わあ、すごい」

 彼女の眼前には、堂々とした風格の龍がいた。東洋の龍のようで、金のうろこと長い体が美しい。

 それによく龍を見ると、恐怖などは一切感じられなかった。

「………」

『……おぬしは美しい巫女よ』

 入里夜が言葉を発せないでいると、清めの儀式で朔夜の声が聞こえたように、龍神の意志が脳裏に流れ始めた。

「お、お母さん! これ……」

 驚いた入里夜が思わず暦に目をやると、彼女は笑顔で静かにうなずいた。どうやら暦にも経験があるようだ。

「入里夜、龍神様の御声をきいてごらん」

「……うん」

 入里夜はゆっくりと首を縦に微動させ、龍の方へ向き直った。目を閉じ、心を落ち着けて龍の意志に集中すると、脳裏にはっきりと龍の声が聞こえはじめる。

『汝の強き思い、しかと受け取った。汝であれば我が力を正しく使い、やがて世界を究極の楽園へと導く光の巫女となるだろう。今ここに、魔力行使の力、及び大巫女より託された禁術月界魔法ゲネシス・シャルヴァーレ、そして我が力を汝に託す』

「えっ、それって……」

『うむ、今より我と汝は共にある。これより先、いかなる時も我らは同じ運命を行くのだ。この我が汝の魔力としてその身に宿り、かの力を失わぬよう直々に守って行こうぞ』

 龍神の声が消えると、入里夜の手のひらにある魔方陣の文字が「成」に変わり、金の龍は再び舞い上がった。


 ここに入里夜と龍神との契約は成立したのである。


 入里夜は先ほどと打って変わり、自ら龍の方へ魔方陣が宿った手をさし出した。

 龍は空中で一回転すると、入里夜に応えるように咆哮し、巫女の手に在る魔方陣へ向かった。

 双方が触れあい、龍が光り輝いた。そして金の龍は光の粒子となって粉雪のごとく消え去っていった。

「お母さん、龍神様は!? 消えちゃったけど、もしかして私失敗しちゃったの?」

「入里夜、大丈夫よ。儀式はまだ終わっていないわ。上の魔方陣を見て」

「うえ?」

 入里夜が頭上を見上げると、そこには足元にあるものと同じ魔方陣があり、金色に輝きを放っている。

「入里夜、これで儀式は終わりよ」

 暦の一言とどうじに天井の魔方陣が光を放ち、光の雨が優しく入里夜に降り注いだ。

 その光には龍神の気配がある。

「お母さん、これは……」

「ええ、その光は龍神様の意志なの。その光を浴びて魔力を体に浸透させれば儀式は完了よ」

 

 それからほどなくして儀式は終わった。入里夜は濡れた衣を脱いで巫女服に着替える

「ふう~、寒かった」

「大丈夫? かぜひいてない?」

「うん」

 

 暦は使った魔導書を魔法で本棚へ収めながら、魔法について軽く説明を付け加えた。

「入里夜、ちょっと服をめくっておなかを見てみて」

「おなか?」

 入里夜が首をかしげながら巫女服の帯をほどき、自分の腹部を確認する。

「わあ! なにこれ。龍⁉」

 彼女のちょうどへそのあたりに、金の龍の紋章が張り付いていた。

「それが魔法を使うときの力の源……よく言う魔力というものよ。もう少ししたら安定して消えていくから、そんなに驚かなくて大丈夫。それよりも、気を付けてほしいことがあるの」

「な、なにっ?」 

 暦が新たなことを口にすれば、入里夜が「何?」とびくついた顔になる。すると暦が真面目な顔になり、入里夜が身構える。

 どうやらこの一連の動作には、必然性があるようだ。

「まずあなたの魔力は、大巫女わたしの力を使って半強制的に目覚めさせたものだから無茶な使い方はしないで。使うときは十分気を付けてね」

「う、うん、気をつけるわ」

「もう一つ、こっちの方が大切だからよく聞いて」

 その台詞で、入里夜が再び身構える。

「魔力は体に宿った時その人と共鳴するの。その時から魔力はただ魔法を使うための力としてだけではなく、生命を維持するために必要な力にもなる。だから、これが完全になくなったら死んじゃうのよ」

「うええ! うそでしょ!」

 入里夜は青ざめて叫んだ。そんなこといっさい聞かされていない。

 慌てる娘を見て、暦は苦笑しながら説明を続けた。

「入里夜落ち着いて、魔力は減っても体内で作られるからそこは安心よ」

「えっ、そうなんだ。じゃあ何も心配しなくていいんだね」

 入里夜は勝手な解釈で胸をなでおろしているが、現実はそこまで甘くはない。


 暦は安心しきった表情の娘を見て、言葉を付け足しておいた。

「ただし、使い過ぎは身体の負担にしかならないからね!」

「はい……」

 入里夜は一度調子に乗ると面倒を起こしかねないので、しっかり釘をさしておく必要がある。

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