第二節~初めての魔法~

 来た通路を進んで階段を上がると、眩しい明かりが久しく巫女たちの目に飛び込んだ。

「……ッ!」

入里夜が思わず目を細めていると、暦が来た道を振り返って通路の松明の灯を消した。

「爆炎術、解!」

 彼女が指を鳴らすと、通路を照らしていた松明の灯は闇の中へと消えていった。それを見ていた入里夜が思わず声を上げる。

「お母さん、それだけで火を消せるんだね!」

 入里夜はそう言って目を輝かせた。先ほどまで心配のあまり黙り込んでいたのに、何とも切り替えの早い巫女だ。

「あら、今の入里夜ならこれくらい朝飯前よ」

「本当に!?」

 入里夜の目がさらに輝く。暦はうなずきながら入り口の鉄扉を重たそうに閉じると、石の大扉の前で行ったように封印のお札を使い、同じ結界を張った。

「入里夜お待たせ。じゃあ走るわよ」

「うんっ」

 巫女たちはケルトの待つ館の入口を目指して、走り去っていった。


 

 ――それから入里夜たちは、儀式の部屋を出てすでに二、三十分走っているのだが、大回廊すら見えてこない。

「はあ……はあ……はあ……」

「…………」

 入里夜はすでに疲弊しきっていて、暦もいい加減に自分たちの足の遅さと館の広さを歯がゆく思っていた。


 あと少しで大回廊へ合流するというところまで来て、ついに暦が我慢の限界に達した。

 とつぜん足を止めると、またもや入里夜に無茶なことを言い出したのだ。

「ああん! これじゃあちっとも進んだ気がしないわね。これ以上のんきに走ってなんかいられないわ。入里夜、ここからは飛ぶわよ」

「ちょっとお母さん、何言ってるの? 私は鳥じゃないのよ、無理に決まってるでしょ」

 入里夜が異議の声を上げると、暦は顔色一つ変えずに答えた。

「何言ってるの? まだ試したことがないだけで、あなたはもう魔法が使えるのよ」

 入里夜は、そうかと言う顔で母のほうを向いた。しかし、すぐにはっとして困った顔をする。

 彼女は魔法の使い方をしらないないことに気付いたようだ。

「で、でもどうすればいいの?」

「そうね、本来は魔導書を使って覚えるとか、伝承者から教わるとかで魔法を習得する必要があるけど、あなたはすでに飛行術フラレインを身に付けているわ」

「そうなの!? いつの間に」

「魔力を開放する儀式の時に、私の魔法と龍神様の禁術をいくつか入里夜に伝承するように頼んでいたの。だから発動の仕方さえ分かれば使えるわ」

「そうなんだ」

 入里夜は感嘆の声を上げた。まさか実感しないうちに魔力の解放だけでなく、魔法まで身に付けていたとは。

「それでお母さん、具体的にはどうすればいいの?」

「ええ、慣れれば簡単に翼を展開できるようになるけれど、最初は無理だわね。基本的に体内の魔力を必要な場所へ放出しながら魔法名を詠唱すると、使用者の想いと魔力が呼応して魔法が発動するわ。そうね一度やってみて、入里夜」

「うんっ!」

 入里夜は初の魔術に挑戦した。

飛行術フラレイン』は飛行系の魔法の中でも実際に翼を背に生み出して飛ぶもの。魔法で制御せずに自分で飛ぶため、誤って何かに衝突する危険はあるが、一番簡単で魔力の消費も少ない力だ。

「じゃあ入里夜、”フラレイン、発動” って言いながら背中に魔力を放出する感じで「飛びたい」って強く祈って。術者の強い気持ちにこそ魔力は呼応して、力になってくれるから」

「うん、分かった! フ、フラレイン、発動!」

 入里夜は母に言われた通り魔法名を詠唱し、意識を背に集中する。

 彼女は自然に目を閉じて強く祈り続けた。空を飛びたいと、ただそれを強くひたすらに。

 変化はすぐにおきた。背に違和感を覚えた入里夜が思わず目を開けると、目の前で母が驚きと喜びの表情で目を輝かせている。

「すごいじゃない入里夜! もうすぐよ」

「えっ、なあに……」

 入里夜がそう言いかけた時。彼女の背が金色に輝き、そこから金の細い光が二本、天に向かって伸びる。さらにその光から無数に輝く羽のような光が広がっていった。

「お母さん、これは」

「ええ、翼よ入里夜。体に力を入れてみて、思いっきり」

「わかった……う~~んっ!」

 入里夜が全身に力を込めると、光の羽は羽毛を散らしながら強い光を放ち、その光が粒子となって消え去ると入里夜の背には美しい純白の翼が生えていた。

「わああっ!」

 入里夜は驚いてその場にひっくり返る。


 彼女自身も大いに驚いていたが、暦のほうも驚きは大きかった。すでに習得していたとはいえ、これほどの速さで魔力に順応できる者はそう多くはいない。

 入里夜はこれまでドジっ娘と言われてきたが、これはこのさき娘に対して大いに期待できるだろう。

「うわあい! ねえお母さんみて、羽だよ、羽」

 入里夜も驚きの次に嬉しさがこみ上げ、瞳を輝かせた。

 自分に翼が生えたこと、魔法を自力で発動できたことが嬉しくて仕方なかった。嬉しさのあまり彼女が思わず飛び跳ねると、ついでに翼に力が入り、彼女の体が一瞬ふわっと浮き上がった。

「わわっ!」

驚いて着地して改めて感じてみると、どうやら白い翼にも神経が通っているようだ。

 入里夜は自分の意志で羽ばたいてみた。翼を動かすことも飛び上がることも、全て自分の意志ひとつだ。

「うわあ~すご~い、なにこれお母さん! 羽が生えちゃったあ!」

「本当にすごいわ、入里夜。この短時間でここまでできるなんて。これでかなりの時間短縮になるわね。じゃあ行こうか」

「うん、お母さん」

 入里夜は笑顔でうなずくと、また翼を動かして舞い上がった。そこから暦を見ていると、どういうわけか母が巫女服の帯を緩め始めたではないか。入里夜は慌てて声を上げる。

「ちょっとお母さん、何してるの!?」

 暦は娘の心中を察して、微笑しながら答えた。

「入里夜、なに慌てているの。別に脱ぐんじゃないわよ」

 暦は帯を緩めると、服を少しずらしてその状態で帯を締めなおした。入里夜には、ますます母の意図が分からない。この状態にすることで、暦の背中が少し見えている。

 入里夜の中で謎が極みに達しようとした時、それは一瞬で消え去った。暦が全身に力を入れ、「えいっ!」と掛け声をかけたとき、彼女の背がまばゆく光る。

 その光が瞬時に翼の形に変化し、彼女がそれを勢いよく羽ばたかせると、光の羽は白い羽根を散らしながら、入里夜とおなじ翼になった。

「うわあ~すご~い!」

 入里夜が目を輝かせて感嘆の声を上げる。

「ねっ、大丈夫だったでしょ」

「うん」

「入里夜の巫女服は、背中が出ているものだったから良かったけれど、こうしないと翼を作る時の反動で、巫女服を跡形もなく引き裂いてしまうわ」

 暦は軽く笑ってそう言ったが、入里夜はあまり笑えない。この母は下手をすると本当にやりかねないからである。

 暦は床を蹴って飛び上がると、二、三回羽ばたかせて翼を慣らした。何とも手慣れた感じだ。

「じゃあ入里夜、行くわよ」

「うん!」

 二人は元気よく通路を飛び去って行った。


 彼女たちが飛び始めて三分が経過したころ、最初は少し怖さを感じていた入里夜も飛行することに慣れ、それを楽しんでいる。

 これも暦の予想を超える速さだった。

「入里夜、あなた魔法に慣れるのが早いわねえ」

「そうかなあ。でもお母さん、ちょっと速すぎない?」

 入里夜の中から恐怖は去ったものの、風を切りながら飛び、周囲の景色が流れていくほどの速さなので、壁にぶつからないという保証がないのだ。

 暦はすました顔で入里夜を挑発した。

「そうかしら? 私はまだ本気出していないわよ」

 何とも偉そうな口調で言われたので、入里夜は少しむっとして答えた。

「へ、へ~え、そうなんだ」

「あら、信じてないわね。それじゃあ館の出口までこの私と競争してみる?」

「い、いいわよ」

 入里夜は負けるものかと、母からの挑戦を受けた。どうやら月宮の巫女は代々、負けん気が強いらしい。

 入里夜が母に目をやると、その瞳もやる気の炎が宿り激しい輝きを放っている。

「入里夜、前を見て」

 入里夜が母の言う通りにすると、少し先で二人が並んで飛ぶには少し狭い通路がいよいよ終わりを告げ、大回廊が見える。

「大回廊に出たところで勝負を始めるわ。大回廊に出たら右へ飛んで、五つ目の角を左へ曲がるの。そこまで行けば、後は一直線に行くだけで正面玄関よ」

「う、うん分かったわ!」

 入里夜の声にも自然と力がこもる。

「勝利の条件だけど、外には防衛軍とケルトが待機しているはずだから、先にケルトに名前を呼ばれたほうの勝ちね」

「うんっ!」

 入里夜がうなずいた時、二人の眼前に大回廊が迫っていた。

「じゃあ行くわよ! 始めっ!」

 暦の掛け声とともに巫女たちは大回廊へ飛び出していく。


 ここに、月宮親子対決の火ぶたは切られた。

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