第2話 おだずもっこ
おだずもっこ
肌寒さを覚え目が覚めたのは、夕方の6時を少し過ぎた頃だった。
海水浴場の海の家で空腹を満たし、ホテルにチェックインした後、俺はすぐに眠りこけてしまったらしい。
横浜と同じ感覚でエアコンを効かせ過ぎたのか、シングルルームの部屋の中が冷え切っている。
俺はバスルームに向かい、頭から熱いシャワーを浴びた。
せっかく遠くまで来たのだ…夜の街でも覗いてみようか。
その土地の美味い食事と地酒…それもまた旅の醍醐味だ。
カーテンを開け外を覗いた。
雨が降っていた。
酒を飲もうと言うのだから、もちろんバイクで出掛けるつもりはないが、朝5時に横浜を出て午後3時にチェックインする迄の10時間…。
ほぼバイクを運転しっぱなしだった。
雨の中を遠くまで歩く気にはなれない。
些か疲れも残っている。
『どうしようか…』
そんな考えが頭を過ぎる。
「先ずは飯だな」
一言呟き、俺はフロントに降りていった。
チェックインした南相馬市のホテル…そこから歩いて行ける距離で、美味い酒と肴を出す店。
ホテルのフロントマンによれば、たったそれだけの俺の条件に見合う店は思い当たらないと言う。
ならばホテルの一階に有るレストランで…と思ったが、そこは朝食のためのレストランで夜の営業はしないらしい。
真新しいだけに設備の整ったホテルのように思っていたが、そこはあくまでも町の除染をする人足や営業マンの為に急ごしらえで作られたビジネスホテルなのかも知れない。
近くにはコンビニもないと言う。
「マジかよ…」
今日一日で吐き出した数え切れないほどの独り言をまた一つ重ね、俺は自室のシングルルームへと引き返した。
結局その日の夕飯は、ホテルの自販機で買ったカップラーメン2個と缶ビール2本。
取り敢えず空腹を満たすことと、酒を飲むと言う目的だけは達成された。
腹が膨れアルコールが体に染み込めば、その種類の如何に関わらず睡魔が訪れるのは人の常と言っても良いだろう。
そこに昨夜からの寝不足と旅の疲れが加われば、俺の瞼は重力に打ち勝つことができず、急速な眠りへと落ちて行くしか無かった。
朝7時…昨夜眠りに落ちたのが9時頃だったとしたら、10時間も眠り続けるのは俺の日常にすれば珍しいことだった。
カーテンを開けた。
小雨がパラついている。
オートバイしか移動手段のない俺としては、少しばかり憂鬱な気分になった。
野馬追祭は雨天でも決行されるのだろうか…。
フロントに降りた。
昨夜聞いた通り、朝飯が用意されていた。
特にこれと言って珍しくもない当たり前の朝食…。
鮭の切り身に納豆、生卵に焼き海苔…こんなものなら吉野家の朝定食でも食えるが、旅の朝に食うと何故かとてつも無くうまく感じる。
俺はご飯と味噌汁を二杯ずつかき込み、小雨の降る中を野馬追祭が開催される中村神社に向かった。
朝の8時過ぎだと言うのに、中村神社の周りは沢山ののぼりが立ち、否が応にも祭りの気分へと引き込まれる。
町の青年団なのだろうか…道路の角かどには棒振りの警備員が立ち並び交通整理をしている。
俺は会場となる中村神社の駐車場に誘導されるがまま、バイク置き場へと向かった。
バイクを止めると直ぐに腕章を巻いた女の子が近寄って来た。
女の子と言っても、年の頃は20代半ばは過ぎてるだろうか。
やけに痩せているようには見えるが、見ようによってはモデル風と言っても良い。
GパンとTシャツが似合っていた。
どこかパリコレに出た富永愛に似ていなくもない。
田舎には不似合いな…と言えばこの町の人に失礼かも知れないが、良い女には違いなかった。
「おはようございまぁす」
にこやかに笑って、その女の子は俺に話しかけて来た。
「あっ、おはようございます」
俺はヘルメットを脱ぎ、頭を下げた。
「横浜からですか?」
バイクのナンバーを見たのだろう。
「そうだけど」
「遠くからありがとうございます」
何という歓迎のされようだ…。
この町の青年団の人たちは、他府県のナンバーを見る度にこうやってかけ寄り、歓迎の言葉を言うのだろうか…。
そう思った矢先に、その女の子は、俺の
「おのぅ、せっかく来てくれたんですけど、今年の野馬追は一般には公開されないんで、駐車場までしか入れないんですけど…」
特に悪びれる風もなく、当然のような顔でそう言われ、俺は頭の奥でカチンと言う鐘の音が鳴るのを聞いた。
「えっ、よく分からないんだけど」
「ですから、今年は野馬追の行事は一般の人は見れないんです」
一回で聞き分けろよ…とでも言いたそうに、どこかイラついた様子の女…。
その態度が再び俺の頭の中の鐘を鳴らす。
「あのさ、見れないってどう言うこと?」
俺の言い方もぞんざいな物言いに変わる。
「コロナですから」
「コロナですからって、そんなのは今日に始まったことじゃねぇじゃん」
「決まりなんで」
これでどうだ…と言わんばかりに顎を突き上げて話す女の態度に、俺は完全にヒートアップしてしまった。
「あのさお嬢さんね、俺は255キロも先の野馬追のポスターを見てここまでバイクで走って来たんだよ。しかも雨の中を…」
昨夜この町に泊まったことは言わなかった。
「だからなんですか」
鼻を括ったような…とはこう言う言い方を言うのだろうか…と思えるほど愛想がない。
「だからなにって、もしこれがコロナで本当に一般参観ができないならだぞ、俺が見たポスターにもちゃんとその事を書いておくべきだろ」
俺の言っていることは、至極尤もなはずだ。
あれだけの宣伝を兼ねたポスターなのだから、俺と同じようにあのポスターに誘われ、今日この日この相馬市に向かった人だって少なくはないだろう。
「そんな事は観光協会に行ってくれませんか」
「んなっ、なにを」
「それにそのポスター、私も見たけど右下のほうに赤い字で今年の一般参観はありませんって書いてましたよね」
腰に手を当て、誘導用の赤い棒を振りながら口を尖らせてその女は言った。
一番最初に「おはようございまぁす」と挨拶した気やすさは、微塵も感じる事は出来なかった。
「お前なんだその言い方…それが他府県からわざわざ観光に来た人間に対する言い方かよ」
さすがに俺の声にもトゲが加わった。
「他府県からわざわざ観光に来る人が居るから見れないんですよ。こっちもコロナなんか持ち込まれるのは迷惑なので…特に横浜なんて最悪」
その女はそう言って踵を返した。
「待てこのバカ女」
俺はその女の背中に、怒りの声を投げかけた。
「決まりくらい守りなよ、バーカ」
その女はそう言って「あっかんべー」と言う仕草を残し、別の他府県ナンバーの車へと移動して行った。
「すみません、何かありましたか」
日に焼けた若い青年が声を掛けてきた。
「いや、何もないよ」
俺はそう言うしかなかった。
不承不承…そう、俺は納得の行かないまま、その場所を離れるしか選択のないまま、小雨の降る中をバイクでその駐車場を出て行くしか無かったのだ。
中村神社の駐車場を出て直ぐ、江戸文化を思わせるような真新しい建物が点在している。
その一つがこの町の市役所であり、他の建物が町の資料館である事を知った。
行く宛もない俺は、その資料館で時間を潰すことに決めた。
一つ目の資料館は野馬追の歴史を伝え、祭典で使われる甲冑や古墳から掘り出された歴史的な出土品を展示していた。
二階のスクリーンでは、例年の野馬追の様子もビデオで流され、それを観るだけでもここへ来た価値は充分に有ると思わせてくれた。
先ほどの駐車場の一件も、薄れていくような気分に俺はなっていた。
1時間ほど俺はその資料館に滞在しただろうか…。
その資料館を出た時、いつかまたこのコロナ騒ぎが収まった時に、再び野馬追祭に来てみようか…と言う気にさえ俺はなっていた。
その資料館の隣に、同じような建物で昔の相馬市の生活を伝える資料館が有った。
迷わず俺はその資料館に足を踏み入れた。
電気のない時代に板氷を使って冷やしたと言う冷蔵庫や、人力で耕した農家の人の農具などが展示され、その一々をその資料館の管理をしているお婆さんが説明してくれた。
目にする全てが物珍しく、俺は管理人の婆さんの話に聞き入っていた。
早朝の為か、他に客は居なかった。
「お茶でも飲んでいきなさい」
意気投合とまではいかないが、気さくな婆さんの勧めに、俺は熱いお茶を一杯だけ所望した。
「震災で町が消滅した…なんて聞いてたんですけど、この辺りは古い建物も残ってるんですね」
お婆さんに出されたお茶を飲みながら、俺はそんな事を口にした。
「ひどいもんさね、この辺だってほとんど流されてぇ、ずいぶん人も居なくなったべ。やっと町も落ち着いたと思ったら今度は大雨だべ、みんないきなりしょげてるって」
そう言いながらも、お婆さんは笑顔だ。
人の営みの力強さを感じた。
「お婆ちゃん居る?」
資料館の入り口で若い女の声がした。
「孫の由美だな…こっちさ居るべ」
お婆さんはそう言って席を立った。
「お昼のお弁当持ってきたよ」
「いつも悪いなぁ、今日は野馬追で忙しいのに」
微笑ましい会話に、どんなお孫さんなのか見てみたいと思った。
俺は座ってた席から体を反転させ、資料館の入り口を覗き込んだ。
孫娘と目が合った。
駐車場に居たあの女だった。
お互いに「ぎょっ」とした顔付きとなり、しばし睨み合った。
「なんだぁ、あんたら行ぎ会った事あるのかい」
お婆さんが不思議な顔で俺と孫娘の顔を見比べた。
「なんであんたがここに居るのよ」
由美と呼ばれた女が俺に言った。
「遠路はるばる観光に来てるんだぜ、資料館くらい寄るのは当たり前だろ」
俺は憮然として答えた。
「図々しくお茶まで飲んで」
「無理言って出して貰った訳じゃねぇよ」
「どうだか…」
なんだってこの女はこんなにも俺に突っ掛かって来るのだろう。
「由美たいがいにせぇ、遠くからここさ来てくれた人に…」
お婆さんが俺と孫娘の会話を遮った。
一瞬の睨み合い。
「ふんっ」と一言鼻を鳴らし由美は資料館の出口に向かった。
そしてもう一度顔だけを覗かせ「婆ちゃん、そいつと口聞くとコロナが移るよ」と捨て台詞を吐いた。
「由美っ」と言うお婆ちゃんの罵声が飛んだ。
「なんなんだよ」
俺は誰にともなく一人口の中で呟いた。
「うちの孫もいつまでもおだずもっこでぇ、怒らねで下さい」
お婆さんはそう言って俺に頭を下げた。
「おだずもっこ」
意味は分からない…話の流れから解読すれば、おてんば…子供のまま…恐らくそんなとこだろう。
どんな言葉より、あの女を言い表すにはお似合いだと俺は思った。
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