第3話 いづいヤツ

いづいヤツ



酒でも飲まなきゃ…そんな気分だった。


その原因に、昼間の由美と言う女との出来事が有るのは紛れもない事実だ。


南相馬のホテルにほど近い天然温泉に浸かり、昼間の時間をどうにか潰し、俺は相馬の夜に繰り出した。


相馬の夜は一見の客にも優しい。


地の酒を求めて料理屋に入ってみたが、相馬市には酒蔵がないらしく俺はどんな料理にも相性が良い「八海山」を頼んだ。


良く冷えた八海山は口当たりも良く、暑さで忘れかけていた食欲を増幅させてくれた。


相馬市の名産といえば何と言ってもホッキ貝だ。


ホッキ貝の刺身とホッキ貝の酒蒸し、それにホッキ貝の磯焼きとホッキ貝づくしの料理が並ぶ。


都会では滅多にお目に掛かれないほど大粒のホッキ貝は、どれを食べてもひと唸りするほどの美味さだった。


お造り、煮魚、炊き込みご飯と食は進み俺は完全に満足していた。


昼間の出来事が嘘のように記憶から排除され、相馬市へのツーリングが大正解だったと思えるようになっていた。


こうなってはお姉ちゃんのいる店で一杯呑み、自慢の喉でもふるわせなければ夜が終わらない。


若い女の子が多数在籍していると言う店を料理屋の女将に紹介され、俺は素直にその店に行く事を決めた。


雑居ビルと呼ぶにはあまりにも規模の小さい二階建ての真新しい建物の中にその店はあった。


数件のスナックが入るその建物の二階「ジュリアナ」と言う店が、料理屋の女将が勧めてくれた店だ。


俺は迷わず店の中に入った。


白を基調とし、広々とした空間が居心地良のさそうな店内だった。


「いらっしゃいませぇ」


直ぐに黄色い声が飛んで俺を迎えてくれた。


出入り口に近いボックスに通された。


「よっ、久しぶり」


酒の席だ…俺はそんな冗談から会話を始めた。


「あっ、はい…お久しぶりです」


店の女の子も如才がない。


「ボトル残ってたかな?」


「あっ、直ぐに探してきます」


女の子はそう言って、店の店長らしき男に駆け寄って行った。


俺はおかしくて仕方なかった。


女の子は直ぐに戻り「あのぅ、お名前は何で入ってますか?」と聞いた。


俺は遂に吹き出してしまった。


「ごめんごめん、初めてきたんだよ。新しいボトルを持ってきてよ」


いくら酒が好きでも、今夜一晩でボトル一本を飲み干すほどではない。


それでも、初めての街でちまちまグラスで注文するより、ボトルを貰って好きなだけ飲むのが俺の性に合っている。


「んもう…」


わざと作ったふくれっつらで店の女の子が俺の肩を叩いた。


「怒るなよ、取り敢えず飲み物持ってきて乾杯しようぜ」


俺も女の子に合わせて言葉で遊ぶ。


初めていく飲み屋では、会話のつかみが肝心だ。


つかみを間違えると、せっかくの夜が台無しになる。


「すずめ」と言う、初めて聞く名前の焼酎が運ばれ、酒もカラオケも…そして女の子との会話も楽しい、旅の最後の夜には相応しい上出来の夜だった。


世間は4連休だと言うのに、この店に来るまでの道のり、ほとんどの店のネオンが燈っていた。


それだけ飲み屋の需要が有るのだろう。


広々としたこの店のボックスも、いかにも土建屋風の客で賑わっている。


「復興バブルか…」


無意識にそんな感想が俺の口から溢れていた。


「えっ、なんですか?」


店の女の子が問い返す。


「いやな…噂には聞いてたけど、この街は景気が良さそうだよな」


「噂ってどんな噂です?」


女の子が怪訝な顔で問い返す。


「だからよ、相馬は復興バブルで湧いてるってさ」


「復興バブルなんて…」


「客も入ってるじゃん」


「今日はたまたまです。お客さんの住んでる横浜の方がよっぽど賑やかじゃないんですか?」


心なしか女の子の口調がキツくなった。


酒に酔っているせいか、俺はそこに気づかない。


「横浜?横浜が賑やかだって?お前本気でそう言ってるのか?コロナのおかげで横浜の街がどうなってるか知ってるのかよ」


決して俺はからみ酒では無い…無いけれど、ただ横浜に住んでいると言うだけで、やれ華やかだ、やれ景気がいいと思われるのは面白くはなかった。


「横浜の事は知らないけど…お客さんも相馬のこと誤解してるから」


「誤解ってなんだよ、ただこっちの除染や解体屋の連中は景気が良くて、高級な時計やアクセサリーを身に付けて飲み歩いてるって噂だからそうなのか?って聞いただけじゃん」


「だからぁ、その噂ってのがうちらは嫌いなんですっ!そう言うのも風評被害だと思いません?」


女の子がイラついてる事に、俺はやっと気がついた。


とは言っても酒の席…。


素直に謝ってその場を繕うなんて事も出来る訳がない。


「お前も性格悪いなぁ、この町には性格の悪い女しかいないのかよ」


俺がそう言った途端、隣のボックスで接客をしていた女が立ち上がった。


白地に細かな赤い花柄のワンピースが細身の身体によく似合う後ろ姿だった。


「席を変わって」


その女がくるりと振り返り、俺の席についていた女の子に言った。


女の顔を見た。


由美だった。


「黙って聞いてりゃさっきから、あんた馬鹿じゃ無いの」


「馬鹿ぁ?この町の女は随分失礼だな。て言うかお前ストーカーかよ」


「何がストーカーよ!あんたがあたしの後ろを追っかけてるんじゃない」


「誰が追いかけてるよ!俺が行くとこ行くとこでお前が俺に声かけるんじゃ無いかよ。たった今までお前がいる事さえ知らなかったんだからな」


「なんかあんたといるといづいわ」


「いづいってなんだよ?」


「いづいはいづいよ!ほんといづい」


由美はそう言いながらも、俺のいるボックス席に腰を下ろした。


「由美さん、何かありましたか」


店長らしき男が直ぐに飛んできた。


「良いのよ、こいつ知り合いだから」


由美は答えた。


「こいつぅ?大体いつお前と知り合いになったよ」


答えたものの、俺の口調はいささか横柄だ。


「あたしの名前は?」


「由美だろ」


「なんで知ってるのよ」


「お前の婆ちゃんから聞いたからな」


「じゃあ知り合いじゃない」


「んなっ!」


なんと言う屁理屈だろう。


「まあ百歩譲って知り合いだとしようか…だとしてもその態度は悪すぎだろ?」


「あんたが訳のわかんない事ばっか言って喧嘩うるからでしょ!」


「いつ喧嘩うったよ」


「今だって喧嘩腰でしょ」


「誰が見たって喧嘩をうってるのはお前じゃんかよ」


「じゃんだって…都会人ぶっちゃって」


「なんなんだよ…」と思いながらも、俺は由美との会話を楽しんでいた。 


こんなに態度の悪い女に出会ったこともないし、女からこんなに好き勝手なことを言われたこともない。


それでも…俺は由美との会話のテンポが心地良くて仕方なかった。


「あんたさ、どこに泊まってるの」


「なんだよ、寝込みでも襲うつもりかよ」


「バッカじゃないの?明日の朝ホテルまで迎えに行くから、ホテルの名前教えなさいよ」


「俺とデートでもしたいのか」


俺は思わず聞き返した。


「だからあんたはいづいって言うのよ。あんたの言う復興バブルがどんな物か見せてあげるから、あたしが迎えに行くまで待ってなさいよ」


「なんだよいちいち命令口調でよ。バイクで行ってくるから場所だけ教えろよ」


「死んでも良いならバイクで行きなよ。行けない場所だからあたしが車で連れてくって言ってるんじゃない」


由美が俺をどこに案内しようとしてるのかは分からないが、そこへ行ってみたいと言う興味もない訳じゃない。


「分かったよ、何時に迎えにくる?」


「朝の8時には迎えに行くわ」


時計を見た。


夜中の1時を過ぎている。


「早過ぎないか?」


俺は当然の事を聞いた。


「あんたの風評被害に凝り固まった頭を修正するには遅すぎるくらいよ」


まあ、確かに明日は帰路に着く予定だ。


どんなに遅くても午後3時頃までにはこの町を離れたい。


由美が俺に何を見せたいのかは知らないが、午前8時は決して早過ぎる事はないのかも知れなかった。




朝8時…由美は約束通り、俺が泊まるホテルの正面玄関に車を乗り付けた。


二人乗りのスポーツカー…とは言っても軽自動車ではあるが、開閉式の屋根を外せばドライブには楽しそうな車だ。


朝早い為か、由美は昨夜と違って化粧っ気が無い。


肩まである髪をポニーテールに結え、真っ白いTシャツの上にフワリと羽織った白いシャツ。


細身のダメージジーンズが活動的な由美によく似合っている。


「へー、似合わない車に乗ってるんだな」


それなのに、俺の口から出る言葉は心とは真逆の言葉ばかりだ。


「なんでも良いから早く乗りなさいよ」


由美はニコリともしない。


「せっかく天気も良いんだから、屋根なんか外して行こうぜ」


「1時間後に同じ事が言えるなら外してあげる」


由美はそう言って車を発進させた。


さすがに地元だけあって由美の走りには迷いが無い。


「ここからよ」


20分ほど車を走らせた頃、由美が唐突に口を開いた。


「何がだよ」


俺は由美が言った言葉の意味がつかめない。


「見れば分かるわ」


由美はそう言って車のスピードを落とし、国道6号線をゆっくりと進んで行った。


俺は愕然とした。


道路沿いの家と言う家、店と言う店の入り口にバリケードが設置され、人の出入りが出来ないようにされている。


バリケードは脇道にも置かれ、その前には年老いたガードマンが人の進入を防ぐ為に見張っている。


「なんだよこれ…」


俺の口から出た言葉はその一言だけだ。


「浪江町よ…名前くらいは聞いた事があるでしょ。でもね、こんな事くらいで驚かないで」


由美は再び車のスピードを上げ、車を走らせた。


あらためて景色を見渡すと、本来そこは畑があったのだろう場所に無数のソーラーパネルが設置されている。


それも尋常な数では無い。


しかも巨大だ。


原子力発電の大事故によって一度は土地を追われた人達の、恐怖の痕跡がその景色に裏打ちされていた。


本来長閑のどかであるはずの田舎の景色…その中に、日本中から集めたのかと思えるような無数の大型のパワーショベル…そしてダンプカー。


ドライブ気分で出掛けた今日の由美との外出が、俺の考え違いである事がすぐに分かった。


何も会話のないまま、車は次の目的地に向かった。




携帯が鳴った。


画面に表示された相手は、俺が勤めている会社だった。


休日に掛かってくる、会社からの電話はロクな内容ではない。


重い気持ちで俺は通話ボタンを押した。


「康之か?」


「お疲れ様です」


社長との会話が始まると、由美は直ぐに路肩に車を止めた。


「秋田の出張な、あれ中止だ」


またか…2週間の予定の出張…。


「じゃあ今月は新潟だけですか?」


秋田に向かう前、新潟で簡単な塗装の仕事が5日ほど入っていた。


「いや、それも無しだ。発注業者が同じでな、1都3県の人は来られては困るって事で、断りの電話が入った」


「ふざけるな」と思ったところで、マスコミや東京都知事が世間を煽るに良いだけ煽った結果が、東京を始め千葉や埼玉や俺が住う神奈川の人間の仕事を奪う結果になったことを覆すは出来ない。


「まあ、ゆっくり休んでくれ」


社長はそう言って電話を切った。


「良いの?」


何が良いのかは分からないが、電話を切った途端、由美はそう言った。


「ああ、大丈夫だよ」


俺はそう答えた。


「じゃあ動くからよく見なさいよ」


由美にそう言われ「分かった」と答えたが、俺は来月の生活費の事で頭がいっぱいだ。


仕事が無い…それはつまり、生活費を稼げないと言う意味だからだ。


由美はゆっくりと住宅街へと続く道へ入って行った。


そして俺は自分の目を疑う現実を目の当たりにした。


その街は…道路以外は金網のフェンスによって、完全に社会から隔絶されていた。


真新しい分譲地、スーパー、工場、その前に整然と並べられたトラック、埃を被ったままの高級車…その全てが息をしていなかった。


廃墟と化した家が立ち並ぶゴーストタウンなら想像もできるが、まだ築年数の浅い綺麗な家や車が、その街ではしかばねと化していた。


そしてこの街でも…年老いたガードマンが交通整理をしている。


見てはいけない物を見てしまったように、俺は居心地の悪さを感じていた。


「大熊町よ」


俺は言葉もなく、黙って頷く事しか出来なかった。


カラスも野良猫も居ない。


生ゴミのない街なのだから、それは当たり前のことなのも知れない。


違和感だらけの街が、目の前で静かに眠っていた。


フェンスに囲われた街が途切れた所で由美は車を停めた。


「これがあんたの言う復興バブルの現実よ」


「ああ…」


「みんな命がけでこの街を復興させようと頑張ってるの」


「ああ…」


「今だってこの街に人は立ち入る事が出来ない。あんたはこの街をオートバイで駆け抜けたいと思う?この車の屋根を外して走りたいと思う?」


「いや、悪かったよ」


由美の剣幕に、俺は息が詰まる思いだった。


「よく考えて、この街に誰も立ち入らない様にフェンスを立てた人達がいるのよ。まだ放射能レベルが今よりずっと高い時に、命がけでこの街の人達の命を守ろうとした人達が沢山いたの」


その通りだ…。


俺はもう返事も出来なかった。


「このフェンスの内側にある家は、主人の帰りを待ってる訳じゃないのよ」


「えっ?」


「ほとんどの家が解体されるのを待ってる…確かにそれはボランティアなんかじゃない。命の危険が有る分だけ他よりも高い金額で請け負うかも知れない。でも、それをあんたはバブルって呼ぶの?横浜なんて華やかな街に住んでる何にも知らない人が、たまたま休日を利用して遊びに来ただけで、この街の事を知ってる様な顔で茶化して欲しくないのよ。風評被害でこの街の人達がどれだけ辛い思いをしているかも知らないくせに!」


言われっぱなし…それが悔しかった訳じゃない。


それでも由美だって都会のことを…いや、横浜の事を何も分かっていないと思った。


「お前さ、さっきから自分だけが正しい様な口ぶりで言ってるけどさ、お前だって横浜のことが何も分かってねぇじゃんかよ」


「何がよ…」


「横浜が華やかだって?今の横浜がどうなってるのか知ってるのかよ」


「コロナの事?」


「ああ…今年の2月にダイヤモンドプリンセス号が横浜港に着いた。その船からコロナに罹った患者が出たよな。あの船はな、香港から横浜港に着いたんだ。それなのに、元々横浜にコロナが蔓延してたかの様に、横浜の人間は危険みたいな言われ方でよ」


思い掛けない俺の反撃で、由美は言葉もなく俺を睨んでいる。


「俺のところは公共事業の下請けでよ、コロナのおかげで予算も付かないから4月からほとんど仕事もないよ。仕事が無いって事は給料がないって事なんだよ。俺は独り者だからいいよ、少しくらいの貯金も有ったからな。でも、それも底を付いた。お前に言っても仕方ない事だけどな…この街はどうだよ?コロナなんか人ごとみたいじゃねぇか」


「人ごとだとは思ってないけど、確かに緊張感は都会とは違うかもね」


由美がやっと口を開いた。


「この街が震災にあった時、どれだけの保証が国から出た?この街の復興にどれだけの金が国や県や市から出てる?」


「分からないけど莫大な金額だとは思うよ」


「だよな…じゃあコロナはどうだよ。国民一人にたった10万だぜ。それでどうしろって言うんだよ。3ヶ月も収入が無いんだぜ…この連休明けから仕事の予定が入ってたからちょっと遠出でもしてみようか、なんて出掛けてきたけどよ、ここに来るまでに2件、さっきの電話でまた2件、仕事の予定がキャンセルだよ。1都3県から職人が来るのは困るってよ」


「そんな…」


由美が深刻そうな顔で答えた。


「お前だって言ったじゃ無いか、コロナを持ち込まれちゃ困るとか、お前の婆ちゃんにこいつと口きいたらコロナが移るってよ」


「それはあんたが憎まれ口聞くから…」


由美の戸惑いが伝わって来た。


「風評被害がどうこう言ってるお前が、どこの誰かもわからない俺に言った言葉こそ風評被害なんじゃ無いか?」


口で負かせてやった…とは思わなかった。


でも…それだけの事を、俺は言わずにはいられなかった。


「ごめん…」


力なく由美が呟いた。


「いや、俺の方こそ悪かったよ。この現状を見て確かに驚いたけど、見ることが出来て良かった。もっと早くこの街の現状を知るべきだったと思ったよ」


俺の言葉に、由美が深く頷いた。


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