遥かなる復興とコロナまでの距離

sing

第1話祭 野馬追

野馬追


「プァーン」と言う電車の警笛が耳に飛び込み、俺の眠りは現実の世界へと強制的に引き戻された。


ガラス張りのオフィスビルに反射した夏の日差しが容赦なく俺の顔を照らしている。


時計を見た。


「まだ5時じゃねぇかよ」


いつの間にか明けやすくなった空に、一人恨み言を投げつけた。


全身がじっとりと汗をかいている。


Tシャツを身体から引き剥がし、上半身の汗を乱暴に拭った。


足元に転がったエアコンのリモコンを足の爪先で引き寄せ、電源ボタンを押した。


何度押してもエアコンの反応は無い。


次第に意識がはっきりとしてくる。


リモコンの電池切れか、それともエアコンの故障なのかは分からないが昨夜からエアコンは俺の言う事を聞いてくれない。


窓を閉め、上半身裸のまま再びベットに横になった。


途端に汗が吹き出し、ベットパットが不快な布切れへと変化して行く。


「参ったな…」


俺は眠ることを諦め、どこかへ出かける事を決めた。


コロナ渦の中、外出は控えようと思っていたのに、昨日から世間は4連休…おそらく…クーラーの修理も連休明けだろう。


俺は冷蔵庫の中の賞味期限の近づいた食材をテーブルの上に並べた。


飲みかけのパック牛乳、食べかけのコンビーフ、いつ買ったのか記憶にない魚肉ソーセージ、熟し過ぎてすっかり柔らかくなったトマト…主食となるはずの炭水化物はないが、これだけ腹に詰め込めば取り敢えずの朝飯がわりにはなるだろう。


不良のカリスマと呼ばれた主人公が、これまた不良のバイブルと呼ばれたあのドラマのオープニングで朝食を貪るように、俺は頭の中で鳴り響く井上尭之たかゆきバンドの軽快なミュージックを思い浮かべながら、目の前のテーブルに並べた食材を次から次へと胃の中に詰め込んでいった。


ご飯…と言うより、餌と呼んだ方がお似合いの朝食を時計の秒針が3周する前に終わらせ、俺はマンションの地下に有るバイク置き場に向かった。


薄暗い駐車場の一角…そこで俺を待っていたのはカフェレーサー風に仕上げたヤマハSR500…。


短いバーハンドルにアルミのタンク、薄っぺらいシートにビキニカウル…。


スーパートラップから吐き出される排気音は爆音に近い。


都会の朝5時…エンジンを掛けるには、少しばかり気が引けるような仕上がりだ。


ハンドルの左側にあるクラッチレバーより一回り小さなレバーを握る。


デコンプの為のレバーだ。


ビックシングルが故に高圧縮比のこのバイクは、キックレバーを蹴り込んでクランクシャフトを回す前に、シリンダーの空気を抜いてピストンを上死点に合わせてやらなければエンジンは掛からない。


ゼンマイを巻くように俺はキックレバーを何度か下まで押し下げる。


「カチリッ」と言う音がなってピストンが上死点にきた事を知らせる。


俺はデコンプのレバーをはなし、キックレバーを思い切り踏み込んだ。


スーパートラップから地下の駐車場に響き渡る爆音が吐き出された。


右手のアクセルを2、3度あおり、アイドリングが安定している事を確認し、俺は駐車場出口のスロープをゆっくりと上がって行った。


出口を出た瞬間、東の方向から容赦なく照りつける真夏の光が目の中に飛び込み、すべての景色が奪われた。


路肩にバイクを止め、ライダージャケットの胸ポケットからレイバンのティアドロップを取り出し、フルフェイスのヘルメットの中に押し込む。


失った景色が再びはっきりと輪郭を現した。


俺はバイクのギアをローに叩き込みゆっくりと走り出した。


汗で湿った胸元に風が流れ込み、嘘のように不快さが消えて行く。


今日の遠出にバイクを選んだ一番の効果を直ぐに感じ、俺は満足だった。




どこへ行こうか…どうせ3日間は家には帰らないつもりだ。


少しでも涼しいところへ、気の向くまま走り続けるのも悪くないだろう。


北へ向かうには首都高速湾岸線か、あるいは羽田1号線…。


車に乗って時間を急ぐなら湾岸線は確かに走りやすいが、直線ばかりが続く単調な道をオートバイに乗って走るには、いささか面白味に欠ける。


同じ料金なら絶対的に横羽線からのC2…涼を求めて北へ向かうこと以外に、バイクのライディングを楽しむのも今日の目的なのだ。


俺は横浜公園入口から首都高速横羽線に入り、SR500を右へ左へと振り回し東京の街を忙しく潜り抜けた。


羽田を抜け大井南に向かうインターチェンジから一度湾岸線に入り、直ぐにC2へ向かう分岐を左に折れ、山手トンネルの中でアクセルを最大に開いた。


マシンを操作している充実感が嫌でも気分を盛り上げ、寝不足のはずの頭から完全に霞が消えて行く。


行き先を決めて居ない俺は、山手トンネルの出口で東北道へ行くか、それとも常磐道へ向かうのか選択に迫られる。


俺はただ空いているという理由だけでバイクの車体を右に倒し、常磐道へと向かうことに決めた。


カフェレーサー仕様に改造したバイクの燃料タンクは小さい。


給油の為、守谷SAに寄ることにした。


スタバでアイスコーヒーを買い、喫煙所でタバコを吸った。


喫煙所のベンチの横に気になるポスターがあった。


「2020相馬野馬追」


甲冑を着た荒武者風の若者が、背中にのぼりを立て野山を駆け巡る躍動的な写真が貼り付けてある。


バイクに乗ってワインディングロードを攻める自分の姿に重なった。


「面白そうじゃん」


俺はスマホを取り出し、守谷SAから福島県相馬市までの距離を調べた。


255.5キロ…。


今日一日、涼を求めてツーリングを楽しむにはそれほど遠い距離だとは思わなかった。


「行ってみるか」


当てもなく走り出した今日の遠出に、ようやく目的地が決まった。


時計を見た。


まだ、朝の7時にもなってはいない。


どんなにゆっくり走っても、昼には相馬市の美味しい海鮮丼にでもありつけるだろう。


いくつかのP AとS Aに立ち寄り、俺は常磐自動車道を北上して行った。


コロナの影響も有るのだろう、4連休だと言うのに渋滞もなく、広い道を思うに任せアクセルを開けるのは楽しくて仕方なかった。


茨城県を抜け福島県が近付くにつれ、体感する風の温度も下がって行く。


今日の遠出にバイクを選んだのは大正解だった。


そう思った矢先…道路工事による車線の減少が増え始め、ポツポツと渋滞が見え始めた。


「こんな時期に道路工事かよ…」


フルフェイスのヘルメットの中で、俺は毒を吐いた。


一車線に減少された高速道路の先頭で、ダンプカーがノロノロと走っている。


ここまで軽快に走って来ただけに、俺は苛立ちを隠せない。


かと言って一車線に縮小された高速道路では他の車をすり抜ける事もできず、俺は流れに合わせゆっくりと走るしかなかった。


剥き出しのエンジンから放出される熱が、夏の熱気を思い出させ俺を不快にさせて行く。


再び車線が増え、俺はフルアクセルで先頭を走っていたダンプカーを抜き去った。


また直ぐに渋滞の最後尾が見えた。


工事中による車線規制…また一車線になっている。


「何なんだよ!」


俺は苛立ちを声にした。


そして俺は唐突に有る思いに至った。


『これってもしかしたら震災の爪痕なのか…』


2011年3月11日…東日本大震災…あれから9年以上の何月が過ぎていると言うのに、物流の要で有る道路さえその補修が完全に終わっていないと言うのか…。


そう言えば…福島県に入ってから高速道路だと言うのにやけに道路がうねっているように感じていた。


「マジかよ」


渋滞の最後尾を走りながら、俺は愕然とした思いを抱き始めていた。


相馬市に入るまで、常磐自動車道は一車線と二車線を繰り返し、道路の歪みは更に大きくなって行った。


あの震災から約10年…復興が完全に終わっていない事は知っていたが、それはあくまで放射能に侵された土壌の除染程度のことで、物流の中心となる道路までがまだ完全に修復されていないとは夢にも思ってはいなかった。


都会に住んでいるが故に、いつしか遠い記憶となりつつあるあの大震災が、都会を離れてわずか数時間でこんなにも身近な出来事に転換されるとは思わなかった。


そう思って周りを見渡すと、そこに走っているのは工事車両ばかり…。


復興が公共事業である以上、そこに携わる工事車両が制限速度を守って走るのは当たり前のこと。


所々に設置された放射能レベルを知らせる電光掲示板、大熊ICに至っては二輪車での流出さえも禁止されている。


ただノロノロと走っていると言う理由だけで苛立ち始めた自分が、何かとてつもなく自分勝手な人間に思え恥ずかしくさえ思えた。


軽い気持ちでツーリングに来たつもりが、10年の時を過ぎてなお復興とは程遠い日本最大級の大震災の爪痕を体感し、俺は恐怖さえ感じた。


たっぷりと昼までの時間を掛け、野馬追祭が開催される相馬中村神社に到着した時、俺はぐったりとした疲れを感じるほどに憔悴していた。


相馬市に着いたら先ずは海鮮丼でも…そう思っていたのに、それさえもどうでも良い事のように思えていた。


野馬追祭はどうやら明日かららしい…。


思いの外閑散としている事に驚いた。


祭の前夜を思わせる浮かれた様子はどこにも無い。


野馬追祭とはそれほど厳粛なものなのだろうか…。


俺は広々とした駐車場の中でバイクを回し、今夜の宿を探すため相馬の街を走り出した。


見るからに築年数を重ねた古い建物の中に、江戸城下を思わせる真新しい建物が混在している。


壊滅的と言われた大震災の中で、この街は難を逃れたのか…そう思うとどこか救われた思いがした。


南相馬市の真新しいビジネスホテルに宿を取り、チェックインまでの時間を俺は海岸を散策する事にした。


漁港へ行った。


アスファルトを敷き詰めた路面…コンクリート造りの市場…全てが真新しく、その場に不似合いなパワーショベルが幾台も並んでいる。


港の中には波よけが迷路のように張り巡らされ、何より俺を驚愕させたのは…海岸線を走っていると言うのに、まったく海が見えないと言う現実…。


ビルのようにそそり立った巨大な堤防が、美しい景観を完全に遮断していた。


その全てが二度と津波になど負けるものか…と言う決意なのだろう。


この町で暮らす人々の恐怖と、この町を愛する人々の執着を俺は感じていた。


少し走ると海水浴場が見えた。


海の家も二軒有る。


醤油の焦げる匂いが俺に空腹を思い出させた。


焼きそばにホッキ貝の磯焼き、とうもろこしを胃の中に詰め込んだ。


美味かった。


何もかもが都会で食べる何よりも新鮮で味が濃い。


風評被害で生活さえも困窮するこの町の漁師や農家の人が気の毒に思える。


ただ、コロナ渦に揺れる都会とは違い、のんびりと海の家で磯焼きを食す自分にも違和感を感じる。


確かにあの大震災は不幸な出来事だったかも知れない。


しかし…今は新しい漁港が完成し、海の家では若者や家族連れが笑いながら舌鼓を打っている。


横浜では到底考えられない事だ。


緊急事態宣言の煽りを受け、破産寸前の友人知人は数知れず、飲み屋を経営する友人の中には実際に店をたたんだ奴もいる。


海の家など神奈川県全ての海岸で出店禁止だ。


実際に、今日一日この南相馬市まで走ってくる間に携帯が二回なった。


一本は連休明けに予定していた現場で発熱者が出た為、工事を延期する知らせ。


もう一本は親会社の社長がコロナに感染した為、まったく接触のない一作業員の俺たちまで二週間の現場立ち入り禁止。


会社員とは言ったところで、作業員の俺たちは出勤日数で給料が決まる。


当然出ズラを稼ぐことが出来ず、たちまち生活は困窮してくる。


コロナ渦などまるで人ごとのこの町の様子を眺め、本当に不幸なのは一体どっちなのだろう…と俺は思い始めていた。







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