第二十三抄 こぼれ葉のざわめき

 瑠璃が「〝ろく村〟の人たちはどうなってしまったの」と促すと、綺楽は抖協と言い合うのを治めて向き直った。


「壚工村は銭峯の言う通り益々栄えていったわけ。貨幣を扱うようになった商人たちへ銭峯が間をとりなして、値の張る物品と交換することもできたらしい。まあ、村の大人たちはは大いに喜んでいたんじゃない」


 綺楽は姿勢を崩し床の冷たさも厭わず、どかっと寛ぎながらやや横暴に言う。


「その時はまだ矢那は産まれていなくて、あたしもまだ小さかった。けど、子供ながらに気味の悪いことだと思ってた。だって考えてもみなよ?村のとくに若い人たちがさ、人でもない小さな鉛のようなものと替えられていくんだよ。どこへ行ったのか、って周りの大人に聞いても村のために働きに出たんだよ、感謝しなきゃいけないよ、だってさ。子どもに分かるわけないでしょそんな理屈」


 瑠璃にもその意味は分かる。はじめて満月に貨幣のことを教えてもらったとき、肌の表面が粟立ったのだ。綺楽も同じ気持ちを持っているのだろう。


「貨幣については、小生の口からは大変申し上げにくいことではありますが数々の問題はあるようですね。かといって流通を留め置くこともできないわけですが」


「そんなの百も承知だっての。偉いやつらが得をしてるもんだから無くなるわけがないでしょうが。あんたのとこの泰望も、あんたたちもそれで飯を食って贅沢な暮らしをしているんだから。精々甘んじればいいんじゃないの」


「泰望さんたちにとっては良いものなの?」


 瑠璃も尋ねる。抖協は困ったように微笑みを返す。


「貨幣制度が導入される前は、任地の長者数名と、泰望殿を含め官吏一人が交代をするような方法で圏内の各土地を管理していたわけです。しかしながら官吏の人数は多いわけではありませんので、離政宮も圏分宮のどちらも官吏が一人でも抜けてしまうことは痛手だったのですよ。ですので、貨幣と人手を交換できるものならそちらの方がありがたいことは事実でもあります」


「でもそうしたら、官吏の人が行ってたという土地の管理はどうなってしまうの?」瑠璃は反射的にそう尋ねた。


「鋭い指摘ですね。その点は各任地における長者を束ねる役職を更に置こうとしている最中です。そこで銭峯殿へと再度話が戻されるのですが、現在では銭峯殿が葉朧圏のその役職に就く最有力候補となっているのですよ」


 綺楽があからさまにうげえと声を漏らした。


「おっしゃりたいことは察するに余りありますが、銭峯殿の商才がこの葉朧圏を繁栄させた結果は、やはり称すべきとするのが上層の方々の意志ではありますね」


「あーあ、葉朧圏はもうお仕舞い。しかも銭峯って償い線もあるらしいのにここまで優遇されるなんて、真面目に生きてる奴が損ばかりでおかしくなるっての!」


 綺楽が檻に拳を叩きつけた。その衝撃に金属音が響き、瑠璃は思わぬ騒音にびくりと固まった。


「あー!そうでしたそうでした」


 抖協は間の抜けた声を出したかと思うと、檻越しに綺楽の手首を掴みぐいと引っ張った。


「痛ッッ!?は?!」と綺楽は引っ張られたまま檻に身体を埋め込むような姿勢になり、抖協をあり得ないものを見るような目で睨み付けた。


「この方の右腕をご覧になってください。瑠璃殿に見お見せしたかったのはこちらの線です。それが先ほど綺楽殿が仰った〝償い線〟です」


 瑠璃は抖協に言われるまま、示された綺楽の腕を覗く。綺楽の日に焼け、華奢ながらも程よく筋肉のついた腕にはあの石竹色の示し彫りと、その肌表面を傷つけるようにニ本の直線が引かれていた。


「い、痛そう……」


「いかにもあんたらしい短絡的な感想だね」


 綺楽はバッと腕を振りほどくと勢い余って檻にぶつける。手首の骨張ったところに当たったようで「ぐ……」と呻き擦った。抖協が「不注意な」と言うと「誰のせいだ!」と綺楽は憤慨した。「今のは抖協さんがよくない」瑠璃が言うと抖協は手の平を返したように綺楽に謝罪をする。


「ちょうど良い検体がおりまして説明をすることが叶いました。謝罪に含めて感謝をお送りします綺楽殿」


「お言葉返すなここから出せ」


「出来かねます」


 言うが早いか、抖協は素早い動きで先に壁に掛けた手燭を手に取り、反対の手で瑠璃の手を引いてその場を後にした。後方から綺楽の恨み言の叫びを聞きながら「綺楽、またね!」と言うと「二度と会うかーー!」というくぐもった反響音が返ってきた。


「一生あの場所から出ないおつもりですかね。モノ好きな方でいらっしゃる」



 ─────


 薄暗い地下から地上へ出ると視界が真っ白に映えて明滅に瞬く。抖協は慣れたように地上への岩階段を上り進んでいく。段々と耳には鳥の囀ずりと風が葉を通りすぎる音が聞こえ、清涼感を吸い上げた。


「気持ちが良いでしょう?」


 最後の一段を登り終えると抖協は瑠璃に声をかけた。


「はい、とても」


「不思議なことに環境というものは私たちの気分を左右していくんですね。汚れた場所、忌むべき場所、というのを改めて体感できたのではないでしょうか」


「はい……」


 瑠璃は綺楽のことを思った。視線を階下に見える扉へと移す。彼女はまだあの隔たれた先に岩壁に囲まれているのだ。自分と綺楽のいる場所との違いはたった今感じたばかりである。


「罪を犯した人をどうしても、閉じ込めたり塞いだりしなくてはいけないんでしょうか」


 沈痛な面持ちで瑠璃は半分一人言のように言う。この綺麗な空気を綺楽は今味わうことができていないでいる。それがどうしても気に掛かってしまう。


「罰は必要です。それこそ綺楽殿の言うように真面目に生きている人々が損をしてしまうばかりの世の中になる。小生はそちらの方が許せません」


 瑠璃は抖協に反論するだけの知識が無いことを覚えていた。けれど後ろ髪を引かれるような、重たい鉛がのし掛かるような苦しさは拭うことが出来ない。


「抖協さん聞いても良い?綺楽は何をしたの?」


 抖協は相変わらず表情の読めない顔を瑠璃に向けた。


「あの方はですね……刑部屋敷に馬糞を投げつけたのです」


 ざあっと木立の葉が大きくしなる。


「まぐそ……」


「ちなみに前回はこうです。刑部の門扉に「女にモテないごうつくばり」や「とっちゃんぼうや」などと悪評を書き連ねていたのです」


「ぼうや……」


「言い得て妙」と言う抖協の忍び笑いは葉擦れに混じり掻き消えていく。

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