第二十二抄 波の模様

 綺楽は言った。矢那は綺楽の実の妹であること、それからある日突然家出をして行方が分からなくなっていたこと。瑠璃は兄弟姉妹がどんな存在かということを抖協から教えてもらって、綺楽と矢那が似ている理由に合点がいった。同時に感動を覚えた。知らなかった家族の在り方だった。


「あたしたちこの近くの集落に住んでいたんだよね。けど最近暮らし方が急に変わって、何だっけ、貨幣?そう、あれが作られるようになってから、突然何もかも全部変わった」


 綺楽と矢那の暮らしていた場所は葉朧圏・瑞梢ずいしょう郡にあった。そこの盧工ろく村は実り豊かな土地で作物がよく育った。


 圏門・大黒周辺の市場にある穀物はほぼ盧工村が産出しており、王都・張廟チョウビョウへも多く献上している。そのため交易も盛んに行われて産業が発展し、葉朧圏の主要地となっていた。


 ある日、圏内の交易商人として銭峯ぜんほうが盧工村に定期的に訪れるようになった。初めは布地などを取り扱っていた銭峯は、次第に人手を貸し出すようになり人的資本の取り扱いを主とするようになっていった。


 初めは、盧工村の住人と銭峯の抱える奉仕者とを交換する形で取引を行っていた。しかし、銭峯は圏内で試験的に発行されていた貨幣を用いることを盧工村側に打診する。


 盧工村全体では貨幣の価値を図り知れず、人と人同士の間で成立していた取り決めを、人と物の間でも成立するものだろうかと銭峯側に尋ねた。すると銭峯はこう言った。


「ええ、人と物は決して対等に交換できるものではありません。しかし人と人同士も決して対等とは言えないでしょう?ですから、そうした面では現状も公平とは言えないのです。だから貨幣に固定価値を与えるのです。そうしてまず、貨幣は人よりは低い価値であるということを前提にします。人材に見合ったそれ以上の貨幣を持って、礼と恩義の気持ちをお渡しするのです。それが、これから私が目指す交易の在り方なのです」


 村人は「人よりも貨幣の価値が低いというのであれば、わたくしどもも得はせず、それに銭峰殿も不利益となってしまうのではないか」と問う。


「不利益とは考えておりません。なんせ人と物など到底代えられないもの同士を交換せよといった無茶を申し出ているわけですから。だからこそ、この場合盧工村の皆様方に必ず利があるように出来ているのです」


「かといってその貨幣とやらがどれだけ優れたものなのか……」

「今までのやり方ではダメというのはどうしてか」

 村人は口々に疑問を重ねる。


「貨幣は離政宮リジョウキュウ(※一)の中で既に正式に採用が決定されようとしている通貨です。なぜ作られたのか、この盧工村のためですよ。ここがどれだけ葉朧圏に貢献しているのか……ここだけの話、宮中にはその功績を讃えるだけの報酬を渡せるほど豊かな資産を持ってはいないのです」


 銭峯は芝居がかったように大袈裟に、垂れる袖を揺らして力説した。


「この貨幣が実際に使われる最終決定は未だ為されてはいませんが、必ず決定されることでしょう。なぜなら、圏はこの方法でしか盧工村に敵わないのですから。今は無価値にも思えるとは思いますが、どうか私を信じてください。今にこの小さな塊が大きな富へと代えられていくことでしょう、そこに発展の兆しが見えることは間違いありません」


 村人たちは銭峯の説得を聞き、自分たちがどれだけこれまで葉朧圏に貢献してきたかを、そしてその実績に見合った評価をこの時はじめて知り得たのだった。


「ではわたくしどもは今、銭峯殿からこの貨幣とやらを受け取ることが、圏の恩義に報いるということになるのでしょうか」


「必ず。貨幣を用いればこれより更に、盧工村の産業は繁栄することでしょう」銭峯は頷いた。


 盧工村の村人たちは謙虚で実直な気っ風であったため、それを大いに喜んだ。圏という遥かに大きな存在に、この盧工村が認められたという事実は彼らにとって大それたことだった。


─────


 そこまで話すと、綺楽は突然舌打ちをして忌々しげに溜め息をついた。


「言い訳だけどさ、その時にあたしがもう少し物心ついてたらって思うよ。そしたら銭峯も村人たちもぶん殴ってでも止めてやったのにさ」


「強硬策では事態は悪化したでしょうなぁ。時の采配もそこでは上手く機能されたようで、小生、今少しこの世を信じてみたいと思いましたよ」


 口の減らない二人の応酬はすでに瑠璃の耳に馴染んでいた。


(銭峯という人は、矢那だけでなく綺楽とも関わりがあったんだ……)


 そこで瑠璃はふと思う。


「抖協さん、さっき毒針を受けたって……、痛くないの?」


「瑠璃殿……小生、少し気分がおよよとへこたれて参りました。瑠璃殿手ずから介抱していただいても?」


「大変!気分が悪いなら戻って治さなきゃ」


「下心に気付けこの天然娘が……。毒を持って毒を制すれば治るんじゃなーい?」


 そうして綺楽が滑らかで俊敏な動きで腕を振るう。


「あなたの毒は栄養にもなりません。出直して頂きたいものですね」


「あんたにしては出来た考えだわ。出直したいから、さっさと出してもらえる?」


 瑠璃は見た。細く短い針が抖協の首筋に刺さっている。慌てて抜こうとすると、抖協がそれを制する。


「触ってはなりませんよ。貴女では即効に毒が回りはじめもがき苦しみ身体中の穴という穴から体液が吹き零れるでしょう。やめなさい」


 相も変わらず口元しか露出されない抖協ではあるが、隠された瞳は決して笑んでいないであろうことが分かり、瑠璃は恐る恐る手を下ろした。


「小生は少しばかり特異体質なんです。ご安心なさいませ。で、更に罪を重ねるばかりのこの野蛮人を外に放つわけにも参りませんので、瑠璃殿の事情もあるでしょうからもう少しここで、話を聞いてみるといたしましょう」





 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



(※一)離政宮は各州に置かれた中枢機関で、主に人の世の治安維持や統制のためにある。泰望のいる刑部の属する圏分宮ケンブンキュウがこの離政宮から地方へ派生した執政機関である。延綴国では、張廟にある契承子ケイショウシが国、離政宮が州、次いで圏内は各郡に置かれた圏分宮が、それぞれ政を司っている。





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