第二十一抄 虚面の影


 二人の言い合いが収まったところでやっと、抖協に綺楽きらと呼ばれた檻にいる若い女が、瑠璃がいることに気付いた。


「見ない顔だ。誰?」


「教えると思いますか?」


「私は瑠璃」


「あ教えるんですね」


 抖協はがっくりとした。瑠璃は構わず綺羅の方へと歩みを進める。


「あなたは綺羅というの?」


「教えると思う?」


「綺羅ですよ。大黒付近にいるゴロツキ集団の主犯格の女人です。これでもう捕縛されるのも三回目。二四歳にもなってなんと恥ずかしい」


「隅々まで教えるな!!抖協もあたしと同じ年なんだから人のこと言えないだろ!」


「いえいえ小生は貴女ほど幼気にはなれません」


 なおも言い合いを続ける綺楽と抖協であった。


「私、綺楽のことをどこかで見たことがあるような気がする」


 瑠璃はじっと綺楽のことを見つめた。綺楽はその遠慮の無い視線に少したじろぐ。


「初めましてのはずだけど?あたしはあんたのこと知らないから」


 剣のある言い方を隠そうともせずに、綺楽は瑠璃に食って掛かった。しかし瑠璃もまた気にすることなく綺楽へと歩みを進めた。


「喋り方も知っている気がする」


「だぁーから知らないってば、ってちょっと!まじまじ見ないでよ失礼なやつ!」


 既視感は脳裏に浮かぶ人物と重なり、瑠璃はそこで「あ」と零した。


「矢那に似ているのかもしれない」


 言うや否や、瑠璃は不自然に態勢を崩し、ぶつかりにいくように冷たい床に倒れこんだ。頭を打ちつける前に誰かの腕が瑠璃の体を支えた。抖協だった。


「手荒なことをいたしました。あの荒くれものがあまりにも野蛮なもので」


 どうやら抖協が瑠璃の体勢を意図して崩したようだった。瑠璃は顔を上げると鋭い視線がこちらを向いているのが分かった。その鋭さに思わず、這い蹲る姿勢のまま後ずさる。


「何であんたが矢那のことを知っているの?」


 綺楽の瞳は凍てついていて、そこに温情は見えない。とても恐ろしいものだった。


「答えによっちゃ、本気でどうにかしないとね」


 ごくり、と息を飲む音が聞こえた。抖協は踞り動けない瑠璃の体を起こし恭しく支える。


「檻の中の貴女が何をどうできるというのです」


「ばかだなぁ。こんな場所どうとでも抜け出せる」


 くっ、と綺羅は嘲笑った。


「さすが、常習犯は違いますな」


「そうね。おかげであんたがただの家仕でもないこともよく分かってるわよ。毒針を受けて立ってられるって正気?」


「毒針?」


 支えられながら瑠璃は抖協の方を向いた。抖協も瑠璃に気付き視線を寄越すが、何ら異常は見当たらない。


「家仕ごときがここの門番を務められるわけないものね?」


「ええ、秋官殿はああ見えても洞察力はある方ですので……。貴女のその賢明なご推察に賛辞をお送りしたいところですが、生憎と小生は野蛮な獣に伝わるような言葉を知らずに不甲斐ない」


 鼻を鳴らして抖協をなおも嘲る綺楽は、地べたに座り込み「それで、どうなの?」とずさんに言い放つ。


「なんで矢那のことを知っているの?」


 綺楽はじっと瑠璃を睨んだ。対する瑠璃は言葉を慎重に選び、問いかけに答えようとする。


「えっと」


「何?」


「最初に物を尋ねるならまずは自分から……、だよね」


 瑠璃の言葉が終わると、どこからか聞こえてくる水滴の音が響いた。抖協は「あらま。毒が回ってしまったのかしら」と顔を真っ青にし、綺楽は頬杖の支えを失い肘が地面に激突した。瑠璃は平然としたままである。


「それは行灯舎にいた満月さんから教わった言葉なんだ。矢那も、その行灯舎にいたんだよ。今もきっとあそこにいる。私も聞くね。綺楽さんはどうして矢那のことを知っているの?」


 今度は綺楽が瑠璃に気圧された。綺楽は体勢を整えながら、真剣な眼差しを向ける瑠璃を見て、ため息をついた。


「調子狂うな、ほんとにさ」





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