第二十抄 逢遇・綺颪
「穢れた場所?」
瑠璃は抖協に尋ねた。
「ええ、そうですとも。罪悪とは忌むべきものの一つです。人はその悪に染められて穢れてしまうのですよ」
「穢れというのは、直らないの?」
「直るかと問われれば、直ります、とお答えできましょうな。ただしこびりついてそのまま、切り離すことはできません。あ、首を切り離せば別ですからね。俗に言う死罪という罰です」
瑠璃ははっとした。行灯舎で矢那が言っていたことを思い出したのだ。
───
『……流罪も死罪も罪人への罰。流罪はこの葉朧圏から追い出されて、死罪はそのまま殺されるってわけ』
───
「流罪や死罪は、切り離すためにあるんだ……」
ようやく腑に落ちた答えだが、瑠璃は喉の奥が支えるような感覚を覚えた。
「瑠璃殿はどう思われますか」
「私?」
「はい。もし宜しければお教えいただけますか」
抖協の視線はぶれずに瑠璃を捉えたままだった。抖協の真意を図りかねながらも瑠璃は答えを模索する。
「切り離すことは、大事だと思う。悪いことは近くにあってほしくないものだから。でも……」
瑠璃は、今度は切雲との会話を思い出す。
───
『甘いよ』
『ここで過ごすなら、全員を悪人って思わなきゃいけない』
───
瑠璃は沈思してやがて応える。
「私はやっぱり罪人と呼ばれる悪い人にも、良い人はいると思ってる」
「ほう」
抖協は興味深げな様子で瑠璃の話に耳を傾ける。手燭の灯りもゆらゆらと活気を漂わせ燃え続けていた。
「行灯舎で、切雲が言ったの。行灯舎の皆のことを悪人と思いなさいって。けど私があの場所で関わった人たちは皆いい人だった。……あの人以外は」
「あの人?」
「銭峯という人。行灯舎の偉い人」
「銭峯殿ですか。どんな素行が悪い人だと?気になりますね」
「お金と人を交換して大変な目に合わせるって。それは良いことじゃないでしょう。あと……切雲にも酷いことを、それに、名前も……」
瑠璃は話していて苦しくなり、涙ぐんだ。抖協は瑠璃の涙に狼狽える。
「あれれれれ!小生無神経でした!!決して瑠璃殿を泣かせてしまいたかったのではなく!!ああ!!こんな瞬間を秋官殿に露見してしまうと小生の首が飛んでしまう!!!」
「!!そんなのダメ!」
瑠璃は抖協の首が切り離される想像をし、さらに泣いた。抖協もまた地に足が着く暇も無い程慌てふためいた。
「あーあー!!小生は無事、無事ですからご覧の通り!!!ほら!!!ちゃんと繋がっているでしょう!!!?」
抖協はバッと自分の襟ぐりを剥いて首の皮が繋がる所を瑠璃に見せた。その首元にアザのような模様が描かれていることに気付いた瑠璃は涙を止めて、その範囲を凝視する。
「不思議な、肌の色…」
抖協は瑠璃が自分をじっと見ていることに気付くと、視線の先にあるものの正体を瑠璃に伝える。
「あ、ああこれは“示し彫り”ですよ。……と言っても瑠璃殿には無いのでしたっけ」
「はい、初めて見た……」
抖協の持つ示し彫りは、木の影ような枠に大小の丸が規則的に連なっている姿を表しているようだった。石竹色で、一瞬傷痕のようにも見え随分と生々しい刻印だった。
「ついでと言っては何ですが、これもご説明させていただきますね。この
そう言うと抖協は留まっていた場所の目前にある扉の鍵に手を掛けた。首もとに巻かれた装飾品はどうやら鍵束のようで、そこから一つ、選んで解錠をする。屋敷にあった扉よりもずっと頑丈らしく、開くためにもかなり力の要りそうなそれを重々しく対同士が別たれるよう両方向に開いていく。
その先の光景は瑠璃にもまだ真新しいものであった。しかし、気温や匂いなどは覚えておりすぐに一昨日の夜の気持ちが甦る。
生温い空気は換気がされておらず空気が滞っているためだ。地下牢はそのつくりから武骨な岩で取り囲まれており洞窟のような内観で、床には何とも分からぬ液体や、蝋燭が溢れたような跡が残っている。
牢の中には隔てられるように檻、そこに罪人を囚えるための室がある。何室かある中で、現在に囚われている人間は今はほとんどいないので、どこからか反響する水音の他にはなにも聞こえず殺風景を助長していた。
瑠璃が罪人はそこまでいないものと安堵すると、そんな瑠璃を知ってか知らずか抖協は「概ね刑罰が与えられるものなので、ここに留まる人はほとんどいないのですよ」と説明をした。
抖協に連れられて瑠璃もまた歩みを進め、突き当たりの近いところまで行ってやっと、抖協は歩みを止める。
「綺楽殿、綺楽殿。お目覚めにございますか」
抖協が檻の中にいる人物に声をかけた。瑠璃がその方に視線を向けるとシャラシャラと衣擦れの音が聞こえてくる。かと思うと勢いよく檻めがけて走り飛びかかってきた。
「お目覚めにございますかじゃ、なーーーい!!ここからいい加減に出せって言ってるの!!!」
「はぁ、いつものごとく大人しくしていなさいと小生もさんざ、散々申し上げております。貴女はこれで何回目だというのですか。正直貴女の顔など見飽きました」
「あたしもだーーーーーっ!!あとその喋り方鼻につくって言ってるだろやめてよいい加減に」
「馬が合わないのはお互い様でしょうに。小生にだけ非があるとも言いたげなその姿勢、誠に不服です」
ぎゃんぎゃんと言い合う二人の姿を見て、瑠璃は少しだけ気圧された。
明かりが無ければ顔も識別できないような薄暗い洞窟内で手懐けられていない獣が暴れる様は、なんとも不気味に映るのだった。
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