第十七抄 懸念



 抖協に連れられて向かったのは屋敷にある泰望の私室であった。


 衝立で間仕切りされていても十分な広さのあるその部屋は香でも焚いているのであろう、鼻腔をくすぐる芳香が漂う。


 主である待望は部屋の奥にある正四角形が組み合わされた装飾の窓辺にいた。瑠璃たちに気がつくとその場を離れ、来客へ近づく。


「抖恊、変な気は起こさなかっただろうな」


「アッハ!貴方じゃあるまいし、こうして無事に送り届けた次第ですよ」


 泰望は一言余計だと嗜めながらもその顔はいつものことだという諦めを滲ませていた。


「こいつから話は聞いたと思うが、この事は他言無用に頼むな。......?どうかしたか、瑠璃」


「雰囲気が違う……」


「?そう硬くなることはないぞ」


 「この部屋は普段はあまり使わないが、一応俺の私室だから寛いでくれて構わない。」と黒い机を囲んだ床に上等のものと思える座布団が用意されている部屋の中央へ向かい、そこにどかっと腰を据えた。一応人数分用意されているらしい。


「部屋もそうだけど、泰望さんの雰囲気が前と違っている気がして」


 客人よりも早く腰を落ち着かせていた抖協が咄嗟に噴き出す。


「ねーーー!だから小生言ったでしょう、お勤め中の秋官殿は普段とはまるで違うと!」


 肝心の話題の中心である上司はゲラゲラと笑い転げる部下を冷めた目で見放す。


「うん、満月さんもそうだったけどお仕事になるとまるで別人みたいだね。」


 「それってかっこいい」と付け加えた。満月を合わせた二人を賛辞した言葉ではあったが、分かりやすく「俺、かっこいい?」と聞き返す見知った泰望の姿に少し安心した。


 その時突如皆が座る場所に近い衝立からガタッとした音が響いた。その方を一同が注目すると綿飴のような髪の毛の少年が姿を現した。


「切雲!!」


 誰よりも早く声をあげたのはもちろん瑠璃である。勢いよく走り出し切雲に飛びかかって行った。その衝撃を予測したのか、細身の体型でありながらも力強く少女の重力を即座に受け止め重心を整えてみせた。


「瑠璃。無事で良かったす」


「切雲も!無事でよかった」


 瑠璃の泣き出しそうな顔を見ながらやや笑んだ。


「良かった、もう会えないかと思った」


「おおげさすよ」


「本当だな」


 再会に水を差すのはもちろん泰望である。


「俺が二人を引き裂くような悪漢に見えるのか

「見えるかもですなぁ」

まぁ君らが恋仲というなら話は別だ

「大の成人男子が嫉妬とは見苦しい!」

が。」


 野次をいれる抖協の座る座布団を問答無用に引っぺがした。重心を崩した抖協は頭から地面にぶつかっていった。受け止める者はいなかった。


「泰望さん、本題いいすか」


 神妙な顔で切雲が切り出す。


「何か言いたげだね。言っておくが今回の俺の“一応”不祥事については質問は一切受け付けないつもりだが……」


「そんなことは重要じゃないんすよ」


「お……そうか……。話してみたまえよ」


「銭峯のことについてす」


 瞬間、空気が張り詰める。しかし泰望はすぐ挑戦的な目で二の句を待つ。


「オレらのいた行灯舎は銭峯の息がかかってるってとこまでは知ってる前提で話を進めるすけど、正直言ってあの男のしていることは外道もいいとこすよ。それらの所業も知ってるすかね」


「つまり何が言いたいのかな」


「アンタの権限で、あの男をどうにかしてくれって言いたいんすよ」


「銭峯殿のことについては小生らも小耳どころかタコ……いえフジツボができるほど、よく耳にしますよ」


「そうだな。──して抖協、外してくれるか」


 抖協は座布団の座り心地を名残惜しみながらも指示を素直に聞き入れ、部屋から出ていった。


「どうして抖協さんを追い出したの?」 


「思いの外重要な話だったからだよ。彼はあくまで家仕だからな。聞かせられないんだ」


「仲間外れみたい」


「優しいんだな。君みたいな子がいることがこの世の中で何よりも大切なんだ」


 はぐらかされたことで抖協に対する質問を受け付けてもらえないことが伝わり、瑠璃も黙った。


「銭峯をどうにかしてくれというが、俺に何ができるというわけでもないんだよ。確かに彼らの行いは目に余る。しかし残念ながら彼らを求める者がいることも事実だ。切雲くん、聡明な君になら分かるんじゃないか?」


「銭峯の人身売買によって得をする、腐った人間も少なからずいるということくらいなら」


「まったくその通りだよ。彼らが行う人間を売買することは人道には確かに外れているさ。けれど買われた人間の多くは、というかほとんどは労働力になっている。ここ数年で葉朧圏では商業が著しい発展を遂げている。商業とはこの圏の経済を循環させるまさに動力源とも呼べる重要なもの。そして多くの労働力がいる。銭峯の行っていること必ずしも悪事となり得るだろうか」


「……」


「商売には過程と結果、どちらが求められるだろうか。もちろん結果だよ。過程がどれだけ正攻法であっても結果がでないのであればただの不利益となる。その観点から見れば銭峯はまさに利益、結果を残しているということだ」


「人手が不足した際に銭峯のような斡旋業者があると聞けば利用しない手立てはないし、もし仮に雇われていた人間が消えてしまっても代わりの人材を送り出せばいい。そういう意味では需要に困ることのない商売に欠かせない供給源だ。」と続ける。


「認めるっていうんすか。野郎のやっていることを」


「さっきも言っただろう。過程より結果が求められると。そういう意味では下手に手を出すこちらが不利益となり得るんだ。労働力の代わりとなる人材を用意できるような環境など整っていないのだから」


「人を売って金もらって、ろくに責任もとらず売った人間を見捨ててるんすよ。それをあたかも正当な利益を生む結果だと言うアンタも大分おかしいすよ」


「そうだな、奴らのやり方に少し納得している自分がいるのは流石の俺でも自分に呆れている。」

「例えば銭峯たちの斡旋した人材が雇われている場所で何らかの問題を起こした際に、銭峯に罰則が課せられる決まりでもあるのならば話は違ってきただろうよ。そんなものもないんだ。外野と呼んでもいい俺がとやかく言えるってのか?」


「つくったらいいんじゃないすか、その決まりってやつを。アンタ何のために官吏やってんすか。」


「簡単に言ってくれる」


「あ、あの!!」


 一触即発の雰囲気を破ったのは瑠璃の一言だった。


「切雲と私が生活できる場所を、先に決めるっていうのは駄目かな……?」




 

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