第十三抄 異味奇縁


 街の中へ一歩を踏み出せば往来を行き交う人だかりの流れに身を任せる他ない。


 その波を極力避けるようにして歩く華奢な体躯の二人がいた。瑠璃と、元はハムシと名乗っていた切雲である。


「こんだけ人が多いと知り合いを探すのも難しそうすね」


 切雲は涼しげな顔をしながらも、人だかりの熱気を浴びてか額にはうっすら汗を滲ませていた。


 気温は冬のものではあるが、袖の触れる距離に常に人がいるほどの密集具合に息苦しさまで覚える。


 街の通りに店が並ぶ一帯があり、できるだけ軒先の影をつたうようにしてゆっくりと進んでいた。


「ところで」


 背後にいる瑠璃に声をかけた。


 はぐれぬように瑠璃は切雲の着物の裾を掴んでいる。背丈はそれほど変わらないが瑠璃は上目で使いで切雲の方を見て二の句を待つ。


「どうして全く喋らないんすか。いるかどうか不安になるでしょ。疲れたんすか?」


 瑠璃は首を横に振る。余計に疑問を浮かべることとなった。


(てっきりはじめて見るであろう街の賑わいに、反応するものだと思っていたんすけど)


 予想とは裏腹にまるで借りてきた子猫のように大人しい。


「疲れてないから平気。ただ……」


「ただ?」


「改めて切雲って呼ぼうと思うと、なんだか言葉が出てこなくて」


「そんなこと考えてたんすか」


「うん、良い名前だね」


 照れ臭そうにそう言った。無論切雲は拍子抜けして軽くため息をこぼす。


「なんだかなぁ。瑠璃ってよく分かんない子すよね」


「えっ。変かな」


「ううん、あ、あそこで一旦休憩するすよ」


 骨董屋と小物屋の間にある細い路地に、恐らく廃材でつくられたこぢんまりとした長椅子があった。


 清掃は行き届いていなさそうで少しほこりを被り汚れもあったが、二人はそこへ座ることにした。


 座った途端にふぅ、とどちらからともなくため息が溢れる。


「行灯舎よりもずっと人が多いね」


「門の近くで街の近くっていったらこんなもんすかね」


 けほ、と瑠璃が咳き込む。切雲は飲み水をもらってくる、と瑠璃を待機させ移動した。


 一人になった瑠璃はより一層気が抜けて、背を壁に預けながら冷え始めた指先を握る。


「......」


 瑠璃は何かに違和感を覚えたが、多くの人がいる場所に初めて来たために疲れただけかもしれないと休むことに専念した。


ーーーーー


 水を頂戴するために再び喧騒に混じる切雲は近くにあった甘味処に立ち寄る。


 店の主人を訪ね、水を貰えないかと問うた。


「水ならあるよ、けどせっかく来たんなら餅の一つでも買っていったらどうだい。うちの看板商品なんだよ」


 女将らしき年配の女が言った。


「不躾であることは分かってんすけど急ぎでして。水だけでも買わせてもらえるなら有りがたいす」


「こら君そこの少年!この店の名物を食わずして水だけとは無作法だと思わないのかい!」


 突如店主でも女将でもない声が切雲に向かって言う。どうやら店にいた客の男のものらしい。


「思うんすよ。けど急ぎなんす。本当に」


「うーむ、実にもったいないね。そうだ女将!勘定は俺がもつから水と一緒にこの少年に揚げ餅を渡してやってくれないか?」


 男に頼まれた女将はあいよと主人に注文された揚げ餅を作るよう促している。


 当の切雲本人は男の言動や状況を理解できずに戸口で呆然と立っている。


「いやオレ頼んでないすよ」


「そりゃあ俺が頼んだんだからね」


 男を話の通じない相手とみて面倒くさそうにする。


「それにしても君、肌が透き通るように白いじゃあないか。普段からちゃんと飯は食ってるのか」


 無作法はどちらだと思わず鳥肌が立つ。どこまでも気の合わない男だ。


「ご心配どうも」


「うーんなんだかね、少年のような容姿を前に見たことがあるんだったがどこでだったかな」


 一人言のようにぼやく男。切雲はもちろん聞く耳をもたない。


 そして男は声色を低くするとこう言った。


「いや実に珍しい、随分前になりを潜めたと聞いた一族がまだこの辺りにいるとはね」


 瞬間空気が張り詰める。切雲は目線だけ男の方に寄越した。


「ふん。どうやらこの意味も分かるようだ。興味深い」


(わざとかこの男)


 内心で毒づくが表には出さない。


「はい、おまちどおさまねっ」


 女将が水とともに揚げ餅らしきものを持って切雲と男の間に割り込むように入る。


 男は「おお、ありがとう」と女将に声をかけ代金を渡す。


「オレ水だけでいいすから、ありがとうございました」


 その場から離れようとしたが件の男が揚げ餅の包みを指差し、


「おっとこれは持ち帰りな。好意は素直に受け取るのが礼儀だよ、少年」


「悪いけど顔も知らない相手から物貰えないすよ」


「顔を知ってもらえればいいわけか」


 この屁理屈じみた所も気にくわない。


 男は席を立ち切雲の前におどりでる。


 切雲より三寸ほど背が高いであろう男は、少しかがみ目線を切雲に合わせるようにした。


「覚えて帰ってもらって構わないぜ」


 ややつり上がった形の男の双眸は翡翠色をしていた。


 そして切雲は男の右目にあるものを見つける。


「ふたつぼくろ......?」


 下まぶたの目尻側に二つならんだ特徴的なほくろがある。


「ん?何か言ったか少年」


(もしかするとこの男が満月さんの言っていた人物かもしれない。けど確証はもてないな)


「餅は貰えないって言ったんすよ」


 そう言うと水の入った竹筒だけを手に取り女将に代金を払って店を急ぎ出ていく。


「あっ待て少年っ!!」


 時既に遅し。呼び止めたがもうそこにはいなかった。


「水だけでお代を貰うなんて、むしろこっちが悪い気がしてくるね。ところでお兄さん、その餅食べちゃってくれるかい?」


 残された男に女将が言ったのだった。

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