第十二抄 苧殻

「あともう一晩ここにいたいの。いいかな」


 話を聞いた瑠璃はハムシに問いかける。


「いいすよ」


 ハムシは理由を聞かぬまま応える。


 満月もうなずく。


「はぁ、肩がこる一日だった。今日くらいはあの代わり映えのしない夕餉も美味いって食べることができそうだよ」


 狭い部屋の中にいたおかげで縮こまった姿勢をほぐそうと、しなやかな肢体を伸ばし立ちあがり居室を出る。


 ハムシと瑠璃も続くようにして出ていく。


「絶好の晩餐日和てことすね」


 ハムシの皮肉ともとれる言葉に満月は機嫌よく「分かってるじゃないか」と横顔を見せる。


「満月さんなんだか調子が戻ったみたい」


「そりゃそうさ。こんなに面白そうなこと、楽しまなくてどうするんだ」


「面白い?」


 三人は女部屋へ戻るべく渡り廊下を歩く。ハムシは護衛のために二人の後方に付き添っている。


「ここでの生活はたまに退屈にも思えてね。嫌いじゃあないがあたしの性分的にはどうにもしっくりこない」


 言いながら傍らにいる瑠璃へ距離を縮める。


「けど瑠璃、あんたは全てを失ったように思うかもしれないが、それは同時に自由を手に入れたってことだ。どこにだって行ける。そうだろ?」


 あんたの事情を思うと少し辛辣な言い方かもしれないが、と加える。


「私は自由なんだ……なら満月さんはハムシは?自由?」


 ハムシからは満月の表情は見えない。満月からもハムシを見ることはできない。


「自由じゃなくて良いんだよ」


 満月が答える。


「人間ってのはややこしいんだ。少し生きてみれば分かるが、自分の役割っていう大切なものがどうしてもあってね。


 大切なものを守るために、敢えて不自由を選ぶこともあるんだよ」


「自由な人も不自由な人もいていいの?」


「そうさ」


 そこで女部屋の前まで到着したためハムシは二人を送り出し、再び自室へ戻る。


 その頃には夕餉の時間になっていた。


 行灯舎での食事は例によって男女それぞれの部屋にて用意されている。圏から支給される物資のため、贅沢なものでは決してない。


 質素を形にしたような雑穀米に、三切れほどの日替わりの漬物、それから薄味でこぶりの野菜が二種類ほど入った味噌汁というのが常の献立であり、漬物以外はほとんど代わり映えはしない。


 瑠璃にとってはそれでも女部屋の住人全員で食卓を囲み食事を摂ることが、この二日間で好ましく思えていた。


「こんな味気のないものをよくそんな美味そうな顔をしながら食べられるもんよね」


 顔を綻ばせた瑠璃に向けて正面に座る矢那は言う。


ーーーーー


 明け方、日の入り前でまだ濃紺が溶けた空の色の刻限、行灯舎の裏手に二人分の影が浮かび上がる。 


「なら行くすかね」


「うん」


「やっぱり名残惜しい?」


 行灯舎の裏手にある勝手口を通り抜ければここで知り合った者たちと共に在る生活から離れてしまうことになる。


「言ったでしょ、嫌なら嫌っていえばいいって」


 瑠璃は首を横に振る、


「大丈夫。だって満月さんが言ってくれたもの。また会うために離れるんだって」


 だから大丈夫と強く言う。だが声は何かを堪えるように震えている。


「そっか」


 そうして勝手口を二人とも抜ける。


 瑠璃は一瞬振り返り、そうしてまた正面を向く。


 圏門沿いの陰った場所に建てられたこの長屋からはよく見えないが、大黒というのは中心街に直結している土地である。そのため日中には少しばかり賑やかな物音は聞こえていた。


 もちろん今は誰も活動していないような刻限であるためその賑やかさは影も形もない。


「今から向かうのは人が集まりそうな場所でいいすかね。ただ人が多い分見つかりやすい……いや、だからいいのか……」


 ハムシは少しばかり思案する様子だった。


「一応聞いておくと、瑠璃は示し彫りはあるんすか」


「ううん、その示し彫り私はないみたいなの」


「俺もす」


「ハムシも?よかった私だけじゃないんだね」


「この場合喜ぶには複雑かな。じゃ、大黒街行くすかね。ああそうだそれと……」


 何かあるの?と瑠璃はハムシの言葉を待つ。ハムシは微かに息をついた後、


「オレの本当の名前、切雲せつうんって言うんすよ。今度からそう呼んでほしいす」

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