第十一抄 邂逅は偏に決別を以て
満月に連れてこられたのはハムシの自室だった。
部屋のなかは瑠璃と満月、それからハムシが同席している。
例によって丁度三人入るのがやっとな窮屈な部屋である。どうしても顔を寄せ合うようにするしかなく、常時ではよっぽどない光景に部屋の住人であるハムシは苦笑を漏らす。
「ハムシも一緒なの?」
「満月さんに呼ばれたんでね」
ハムシが目線だけを満月に向けた。満月はまぁね、と流す。
「これから話すのは大事なことなんだよ、瑠璃」
ここに来てからというもの、覚えなくてはならない大事なものが多いように思える。
いや、扉を開いて一歩外へ出ればこんなにも沢山のものに巡り合うものなのだろう。
「聞きます」
「先刻の狸親父、銭峯のことは覚えたかい?」
「うん、偉い人ってあの人なんだね」
「あればかりじゃないど、まぁ概ねそう。で、その偉い偉い銭峯はある商売をやっているんだよ」
「商売?」
「この国では食べ物や着るものも貨幣を使って売ったり買ったりして国を豊かにしてるんすよ。それが商売」
「貨幣ってのは価値の概念をそのまま物体にしたような…まぁ例えばアンタのその服が欲しかったとしたら、その服と同じくらいの価値のある貨幣と交換する必要がある。それで商売が成り立つっていう理屈さ」
ハムシも満月も瑠璃の無知さを心得て説明を付け足す。瑠璃は分かったような分からないでいるような顔をして話を聞く。
「あの人は服や食べ物の商売をしているの?」
「いいや、そうじゃない」
ならなんだろう、と首を傾げる瑠璃。
「瑠璃、アンタはどれくらいの貨幣があれば自分の身と交換できると思う?」
「私と貨幣?」
満月は軽く首肯く。
「貨幣がよく分からないから……私は交換できるの?」
「もし交換できたのなら喜べるかい?」
満月の目線は瑠璃へ真っ直ぐ注がれている。
「う、うーん?ご飯や服と私を交換できるってことだよね。私はご飯でもなんでもないのにそんなことができるの?」
「そういうことも一応出来るようになっているすね」
「喜んだりはできない……、かな。私はご飯でも服でもないから」
満月は黙って瑠璃を見ている。そして口を開いた。
「アンタはその喜べない場所に行くんだよ」
「どういうことなの、満月さん」
「銭峯の商売ってのは要は人を売り買いするところなんだ」
「人を売り買いする」という言葉の響きだけで瑠璃は胸に不快感が込み上げる。
「どうしてそんなことを」
「理解しようなんて思ってないからアタシらも知ったこっちゃないけどね。表向きは働き口を紹介するっていう建前で人を集めちゃいるけど、そこで拾われた人間の扱いは良いとは言えないものだよ。
実際のところ男であれば容赦のない力仕事を任せられるし、女は男とはまた違うやり方で体を酷使することになる。文字通り死ぬまで重労働さ」
「私がそこに行くの……」
瑠璃は血の気が引く思いだった。満月とハムシの真剣な表情から一文字も冗談ではないことは伝わっている。
「瑠璃、ハムシ、そこでアタシはアンタらに言っとくよ」
二人は満月へ目を向ける。
「瑠璃を銭峯のところに連れていく日程は四日の内だと言われた。
いいかい、それまでにアンタらはここから出ていくんだ」
瑠璃もハムシも驚いた。
「オレもすか?」
「そう。瑠璃だけじゃあ土地勘もないし、出ていったところで捕まるのがオチだろうからね。アンタが外に連れていってやるんだ」
「ばかな、満月さんはどうするんすか。あの銭峯の執着知らない訳じゃあないでしょ」
「そんなもん適当にごまかすさ。瑠璃、アンタはどうする」
「私……」
(そんなにひどい場所なら私だって行きたくない。ハムシも一緒に来てくれるならまたどこか別の場所にも行ってみたい、けど)
「満月さんたちと一緒にはいられないの?」
矢那たちや満月と出会って間もないが、それでも瑠璃にとって大切な人々だった。
凜静と離れたときに感じたあの心苦しさはできればもう何回も味わいたくないのだ。
「だからここにいると……」
満月は言葉を選ぼうとし、それもできずに目を伏せた。
「別にアンタのことが嫌いで追い出したくて言ってる訳じゃない。離れてもまた会える可能性は、ここから逃げる方がまだあるからそうしろって言ってるんだよ」
満月は瑠璃の頭を聞き分けのない子どもを宥めるように撫でる。
「言っとくけどアタシは瑠璃も矢那も、あの長屋のやつらもそれからハムシも気に入ってるんだ」
髪ごしに伝わる満月の体温は温かい。
「また会うために離れるだけ。そうだろ?」
「また満月さんに会いたい」
分かってくれるね、と満月は目元を緩める。
「出ていくのは今日か明日の人目のないうちに。瑠璃もハムシも頼んだよ」
瑠璃は離れていく満月の指先が名残惜しくなった。
「そういはいってもどこへ行けばいいんすか」
「そんなの行く先はアンタらに任せるよ。丁度良いし銭峯の目の届かない範囲で圏をぐるっと回るのも悪くないんじゃないか?」
そんな無責任な、とハムシは拍子抜ける。
「ハムシ、アンタなんかどうせ遅かれ早かれこういう時期がいつか来ると分かっていたんだろう?だったら少しは計画なりとあるんじゃないの」
「お守り役兼ねるなんて計画のうちになかったすよ。また一から立てることに」
「頑張りなよ、ここでのことならどうにかするからさ。
ああ、そうだ。
中心街に行くことがあったら目元に二つぼくろのある男に会うかもしれない。もしそいつにあったら伝えといてほしいことがある」
満月が少しだけ意地悪そうな顔をしたように見えたが一瞬だったので分からない。
「『いい加減ツケを払え』って言っておいてもらえるかい?」
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