第十抄 各動秘思

「お勤めご苦労様でございます」


「満月、息災そうで何よりだな」


 おかげさまでございます、と満月が言い、部屋の入り口側の畳に座り見回りでやってきた銭峯を迎える形で土下座の体勢をしたまま応える。


「おかげさまか、フン、皮肉か」


 満月はそれには応えず、上体をやや浮かせてみせた。


「まぁいい。満月よ、約定に違えるような行為は犯していないな?」


「はい、つつがなく」


 満月にならい、お辞儀の姿をとっていた部屋の女たち一同の規則正しい列の中に、瑠璃と矢那ももちろんいる。頭を垂れていたため様子は分からないながらも満月たちの話に耳を傾けていた。


 そこで瑠璃がひそりと矢那に尋ねる。


「ねぇ矢那、ヤクジョウって何のこと?」


「つまり決まりごと、ここはあの銭峯から借りている家だからその家主であるアイツの決め事を守らなきゃならないんだ。


 たとえば、住んでる男と女同士でできちゃいけないとか、その家にいる以上悪事をしてはいけないとかね。守らなかったらさっき言ったように酷い目にあうの」


「難しいけどとにかく大切なことなんだね」


「あんたはそれくらいの理解でいいよ」


「そこの娘は新入りか?」


 銭峯がふと声をかける。瑠璃と矢那は自分たちのことを言われているのだと気づき思わず頭をあげてハッとなった。


(アンタのせいで目立っちゃったじゃないの!)


(うわ、ごめん)


 後ろから来る会話を聞きながら満月は顔をしかめた。


(なにやってんだい、あいつらは……)


「そうです、主人。どうやら孤児のようでして。昨夜からここにいます」


「フン、なかなかの器量じゃないか?将来的な見込みはあるのか?」


「確かに器量はあの場でも一等でしょうが、何分教養は惜しいところがあるかと」


「教養など知識と経験さえ叩き込めばどうにか会得できるだろう」


「いいえ、主人。この娘は記憶がないというのです。常識を学ぶにもできて五年はかかるかと」


(満月さん、しゃべり方が私と話すときと違う。違う人みたい)


 などと話の中心に自分がいることを露知らず瑠璃はそんなことを考えている。


「そこの娘、名前を申せ」


「私?」


銭峯は鬱陶しそうに頷く。


「あの、瑠璃って言います」


「歳は」


「?15か16かな……」


「どこから来た」


「この国の樋耶村からです」


 矢継ぎ早にかけられた質問に瑠璃はたじろぐ。銭峯はあごのたるんだ部分を一撫でし、満月に向かう。


「満月、今度はこの娘でいいのではないか」


 その発言に満月は目を見開いた。周りの女たちも一部も動揺するようだった。


 同情を滲ませる者、興味深そうに瑠璃を見やるものもいる。


「……」


「満月、異論はないな?」


 銭峯の整然とした態度から満月に拒否権はないものと知る。


「……仰せのままに」


 満月は再びかしずく。俯いた面には口を歪ませていた。


「そうとなれば近いうちにこちらへ寄越すと良い」


 銭峯満月の前より踵を返し、満足そうにその顔を歪めながら女部屋の廊下を渡る。


 列をなした銭峯らの最後尾にいた切雲が満月の様子を一瞬横目で見、視線を進行方向に戻した。



ーーーーー




 肝心の瑠璃はというと、何が起きたのか皆目検討もつかないようだった。


 銭峯らが見回りを終えたようで、長屋の入り口が人の話し声がしたかと思うとすぐに静かになった。それから長屋の空気は平時と比べて少し沈んでいるようで、心なしか長屋にいる誰もが疲れているようにも感じとれるほどであった。


 女部屋も例外ではなくみなそれぞれ肩の荷をおろしていたようだった。


「なんか、とんでもなかったね」


「あんたねぇ他人事みたいに言うけどさ、自分の立場がえらいことになったの自覚しなよ」


「私の」


「あんた働くのよ、あの親父と同じところで」


「ええ?」


「まぁ見た目は良いもんね、けどなぁ」


「やっぱり大変なの?」


「当たり前。人によっては向いてるかもしれないけどよっぽど誰も望んで行かないような奉公先だね」


「あの人みたいに大勢で歩いて見回りをするの?


 あれ、でもあの列に女の人いなかったよね」


「だから女には別に働く場所があるんだよ」


「そうなの」


「はぁ……あんたのことだから知らないんだろうね。」


「細かいことはあたしから話すよ」


 満月が裾をすりながら二人のもとへ来る。


「悪いね矢那」


「満月姐さんが謝ることないんです!」


 矢那に向かい苦笑をみせたあと、瑠璃に向き直る。


「話したいことがある。ちょいと来な」


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