第四抄 星明かり朧により
吹きすさぶ風の音が騒がしくしながら身の回りを、取り囲んで遊ぶ童子のようにくるくると通っていく。
夜の帳が降り、辺り一面は闇で覆われていた。
大黒の門を目指し歩み始めたのは昼頃だったか。それからしばらく足が棒になりくたくたになるほど歩いた後、陽が傾いたのを見計らい一晩の寝床を探すことになった。
周囲の夕焼けに照らされ夕陽の光にも勝るほど輝いてみえる紅鳶色の髪の青年─
その言葉にうんと頷いたのは、有明に太陽の手を引き顕れるような濃紺の空の色をした、その空に広がる微かな星々のような艶の差した髪をもつ少女─
(外で一晩を過ごすなんて、今まで考えてもみなかった)
─────
村から発ち小一時間程お互い無言で黙々と歩いていた。瑠璃はそれまで村の外に出るのは近くの川に水浴みをする時くらいだった。しかも決まって人の寝静まる夜中にしか出歩いたことがない。凜静と共に進み広がっていく景色は瑠璃の知っているものとは異なっていた。
どれも新鮮で夢中になるものばかりであり、最初は黙っていようが気にならなかった。
しかし、やはり同行者がいるにも関わらず一言も発しないということが苦痛になってきたので、ついに好奇心から凜静に話しかけてみた。
「ねえ凜静、凜静はどこから来たの?」
話しかけられた相手、凜静は顔全体に面倒臭いという文字が浮かび上がってきそうなくらい(瑠璃にはそう書いてあるように見えた)不機嫌そうな顔をして後方にいるこちらを一瞥した。
凜静は瑠璃が微かに後ずさったのを一瞥した隙に見た。その挙動に、自身の態度がどのようなものだったか悟る。相当不機嫌そうに見えているはずだ。実際に出自に関してのことは一切言いたくなかったし、言う気もなかった。
「この国のどこか」
だからぞんざいに言い放った。自分でも馬鹿馬鹿しいと思えるくらい。しかし凜静は馬鹿者にも勝る阿呆者と出会っていたことを失念していた。
「この国ってどこにあるの?私の村と同じようなところ?」
瑠璃は己の発言のある意味偉大さにも気づかぬ様子で、その夜明け色の瞳に星々を瞬かせながら尋ねてきた。
凜静はその発言に驚嘆と絶句を禁じえず、切実にすぐさま瑠璃の足元に深い穴を掘って瑠璃をそこに放り込んでやりその深さを実感してもらうか、もしくは今すぐこの場に自分が頭から埋まって「ここが国だろうが!」と地中から叫び示してやりたいなどという突拍子もない衝動に駆られるくらいには、彼女の頭の出来に落胆した。
同時に何かに取り憑かれたかのような倦怠感が、日中の歩き疲れとともにのしかかってきた。
一瞬、一連の不幸な出来事から衝撃を受けた結果なのかとも思い同情が膝元まで浮かんだ気がしたが、倦怠感がそれを覆い隠すようにして地中深くへと沈めていったため後に残った憤慨の感情しか感じられない凜静であった。
「お前は今までどうやって生きてきたんだよ!」
今度は凜静が質問をする番だった。
こうして二人は会話を交わしていく。
「どうやってって、二人と一緒に暮らしてきたんだよ」
そうじゃねえしかも二人とは誰だと突っ込む気力も既に無かった凜静は瑠璃を睨んだ。
「私ずっとあの村…あっ
「それでも普通周りのこととかどんな世情かとか、人伝だったり知る方法なんかいくらでもあるだろ」
あまりにも無知であるために凜静は怪訝に思うしかなかった。会話をしながらも歩き続ける中でやはり瑠璃は周囲の景色に気をとられる様子が垣間見えた。
「うぅん…それはよく分からないけど、二人とも私が外の事を知ろうとするのは良く思っていなかったから。
小さい頃からそうだったし、二人が嫌な顔するから自然と聞かなくなっていったんだ。だから余計に何も分からなかったのかも」
瑠璃は視線を落とし俯きがちに言った。
「何で外のことを知っては駄目だったんだ」
人の過去などどうでもいい自分からは想像がつかない言葉を発した。奇妙な感情が凜静の中で蠢いた。
「何でだろう。でもとりあえず家の外の事に関しては、『知らなくていい、知る必要はない』としか言われてないの。これってどういうことだと思う?」
「俺が聞きてえよ」
瞬間、ふっと顔を上げた瑠璃の横顔を綺麗だと思ったことに、凜静自身が気づくことはなかった。
「だからね、凜静」
顔をあげた瑠璃は小走りに駆け出し凜静の数歩先に行き、正面に向かい合うようにして立ち止まった。
「今は私にとって幸せなのかもしれない」
そう言った瑠璃の表情には確かに高揚感が見てとれた。
「なくしたものと引き換えみたいにずっと望んでいたことが叶ってる気がするの、これを皮肉って言うのかな」
「そういうことは知ってるんだな」
─────
それから暫く二人は無言で歩いた。瑠璃のいた樋耶村は歩いてきた中で通りすぎた木々によって遂に見えなくなっていた。
途中で休憩を兼ねて道すがらにあった川に寄り、ついでに喉を潤した。瑠璃はその際「ここの川は石が大きいね」と声を掛けた。凜静は「どこも変わんないだろ」と答えただけだった。
─────
そして今に至る。結局、近くの林の中になぜかあった人の背丈ほどの高さのある大石の傍らに火を焚き、その火を取り囲むようにしてささやかな暖をとれるようにした。
凜静は大石にもたれかかり、瑠璃は凜静のような体勢ではとても寝れそうになかったため草もほとんど生えていない土の上で、近くの木の根を枕代わりにしてそれぞれ上着を掛けて寝ることになった。
(うう、土は冷たいし湿っぽいし寝れない…)
大方冬眠期間であるためか虫や獣の類いの気配は感じられないのが救いだった。
「…凜静はいつもこんな風にして寝てるの」
石にもたれかかる凜静に声をかけてみたが凜静は瞼を閉じていた。こんな体勢でよく眠れるものだと思った。正確にはまだ眠っていなかったようだが。
「悪いか」
端的な応答が返ってきた。瑠璃はなんとなくいたたまれなくなった。
「凜静って私のこと好きじゃなかったりして……」
うっかり口に出してしまったのは否定の言葉が欲しかったからだろうか。望めないとは分かっていても。
「嫌いではない」
一瞬自分の耳を疑った。
「かといって好きでもない」
瑠璃は笑ってしまった。欲しかった否定と欲しくなかった否定をふたつとも貰った。
「凜静って変なの」
お前ほどじゃない、と凜静が言った。
「凜静って素直じゃないのに正直なんだもの、とっても変な人だよ」
「矛盾してる」
「あはは、だからだよ」
「お前だって、なんかあほで、変だろ」
「何それ分かんない」
凜静はごにょごにょと何かを言い返そうとしたみたいだが結局黙ってしまった。
ふと空を見上げる。枝の葉の隙間から恥ずかしがり屋な月が、雲と葉を頼りにしてちらちらと姿を見え隠れさせていた。
煌めく星々はそんな月を茶化すいたずらっ子みたいに、笑いあうようにきらきらと瞬いていた。
寒さと暗さに恐れはあっても、夜空の賑やかな光景や焚き火の仄かな温かさ、そして火に照らされた傍らにいる人の気配が、恐れを打ち消していた。
(凜静はきっと、素直じゃなくて、正直で、けれど本当の気持ちをうまく伝えられない、とっても変な人で、この焚き火のように暖かい人だ)
貸してもらった凜静の上着の中に屈んで潜り、ふわりと纏う人の香りに安堵しながら瑠璃は浅い眠りについた。
──数時間後の早朝に目が覚め少し身を起こすと、二枚目の布がぱさりと地面に着いたのだった。
─────
規則正しい寝息が聞こえるとふとその場から立ちあがり、自分の膝に掛けていた上衣を穏やかに眠る少女に掛けてやり、その際に彼女の整った顔に邪魔そうにかかっていた前髪を退けようとして、やめた。
──凜静って変な人
「お前が言うなよ」
ぽつりとこぼした言葉を聞くものはいない。だからこそ言えた。
「普通の人間なら赤の他人に名前をくれてやったりしないだろ。あと、他人に飛びついて抱きついたりもしない」
存外気にしていたことだった。
それから、外に出て生きたことがないという彼女の今までの奇特な生涯のことも。
(俺らしくもない)
過去にあったことは自分のことでさえも考えたくはない。だから、彼女の過去も知らなくていい。
(そもそも俺らしいって何だ)
そんなことすら考えたこともなかったのに。
整理のつかない頭を冷やそうと、当初の目的であった周囲の見回りを再開させるべくその場を後にした。
林の中を歩きながら、瑠璃と出会ってから少しずつ何かが変化していっていること、そして瑠璃という少女のことをその時の凜静は少し恐ろしく思いはじめていた。
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