第三抄 一握の目処
少女が泣き止み落ち着いたのを見計らい、青年は少女に声を掛けた。
「昨日の今日で考える余裕も無いかもしれないが、今後の事を話さないか」
少女は頷く。
青年は一先ず、親戚や頼れる人間はいないかと問う。とにかく宛てさえあれば問題はないはずだと考えたのだ。
しかし、少女は首を振った。いないということだろうか。
青年は軽く落胆した。それと同時に少女が天涯孤独の身となってしまった事実に唸る。
「お前、名は?」
手がかりになるかは分からないが少女に名前を尋ねた。
少女は黙っていた。名を告げることを躊躇っているようだった。
「べつに悪用なんざしないから」
警戒心を解くために言ったつもりだったが少女はよりいっそう口を閉ざしてしまった。悪人ではないかと疑われてしまったようだ。無理もない。
「あなたは、名前は」
少女が尋ねた。
今度は青年が口ごもるようだった。
「名前なんてない」
そう答えれば少女は目を見開いた。驚いたようだった。
「うそ」
「うそじゃない」
本当のことだ。彼は本当に名前をもたなかった。
「じゃあ、何て呼んだらいいの」
「好きに呼べばいい。呼ばなくても良い」
少女は困惑の表情を浮かべた。好きに呼べばいいと言われても、自分と同じように人には名前がありその名前を呼ぶものではないかと戸惑った。
しばらくの沈黙の後、
「じゃあ、私が名前をつけてもいい?」
へぇ?と呆けた声が青年の喉から漏れた。何を言い出すんだ。
「名前はあった方がいいと思うの。ね、この先もきっと必要になるよ」
自分の身寄りよりも、他人の名の有無を心配に思う不可思議な少女である。
「この先?」
青年は片眉を上げ訝しげなまま聞こえるか聞こえないかの声音で呟く。その間にも少女はうんうんと青年の名前候補を唸りながら思案しているようだった。
そしてそうだ!と両の拳を合わせ叩き、
「
「どうって」
そんな世紀の発見をしたような満ちた表情で提案されても。
どうしろと。
「人を助けられるような、冷静な判断のできるあなたの行動力に似合うと思うの」
冷静だったとはあまり言えないのではないだろうか、と内心で揚げ足をとるが口には出さない。
「あなたの髪の色には似合わないかもしれない」
確かに青年・凜静(?)の、前髪を無造作に上げ留めた癖があり耳にかかる程の長さの髪の色は紅鳶(べにとび)の赤みがかった、落ち着いているというよりはそれなりに活発に見える色合だ。
一方少女の、毛先が品良くくるりとまわった鎖骨ほどの長さの髪は、存在感のある瑠璃色の星々を散りばめたような艶やかさのあるものだった。
「ならお前の名前は『瑠璃』とでもしておこうか」
少女は口と目を憚らずあんぐりと開けて
「どうして分かったの……」
と驚嘆した。
これには青年も、予想外の的中に驚いたようだった。ともかくも少女は瑠璃という名前らしい。
「千里眼でも持ってるの?」
千里眼では名前を見抜けぬものだろう。
「あほか」
先日の過酷な災難に見舞われた少女にかけるべき言葉ではない。けれど率直に思ったことが口からついて出た。
「あ、あほ……」
次第に、少女・瑠璃はじわじわと赤らむ頬をむぅと膨らませていく。まるで幼子のようである。
張詰めていた糸が緩まるように、お互いにあった緊張感がほぐれていく。
「お前年はいくつだ」
「今度の冬で十五になる、と思う」
十五か、それよりも少し大人びて見えるのは年のわりに落ち着いた衣服のおかげか。
ふと、その衣服を気にして見てみると焦げ跡があり、そうしたものを纏っていることに違和感を覚えた。
そういえば、よく見れば髪の毛だって毛先がくるりとしているのは単にくせ毛なのではなく、火にあたり傷んでいるようにも見える。
当初の目的をすっかり忘れてしまうところであった。
「……とりあえずお前の面倒を見てくれそうな場所を探しに行くといいな」
都へと繋がる圏門の付近に居住先をもたない者のための特別な借家があったはずだ。一先ずそこを目指すことを提案した。
瑠璃はあまり乗り気でなさそうな表情をしている。
「見知らぬやつらの集まる所なんて慣れないかも知れないが、女が一人でうろちょろと行き当てもなく彷徨うよりはよっぽどいいんじゃないか」
説得するように声をかけるが表情は浮かないままだった。しかしかろうじて承諾したのか重々しく頷いた。
「凜静は、一緒に行かないの」
俯きながら瑠璃が言った。
どうでもいいが凜静という名は結局決定なのだろうか。
「村の外に出たことがなくて、行き方が分からないから、連れていってほしい」
面倒だ、とは思ったがここでこのままこの少女を放置するというのも目覚めが悪くなる気がした。
「その場所までなら」
と応える。瑠璃は固かった表情が一転し、
「よかった」
と凜静に飛び付いた。凜静は条件反射かすぐに払いのけ、「急に何してんだ!」と、突然の接触にどう反応してよいか分からず紅潮する頬の感覚にむず痒くなりながらも怒鳴った。
瑠璃は凜静のその様子を意にも介さず「凜静がいてくれたら嬉しい」と口角を上げ、整った顔に際立つ明るい表情を凜静へと向けた。
やはりこいつはあほなのかと内心でぐったりした。
あれだけのことを経験したはずが、今では何事もなかったように笑っているだなんて。
瑠璃は頼りになる人物との出会いに安堵し、凜静はこの先に待つ道程の労苦を予感して落胆した。
この二人の珍道中が目指すは、
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