第二抄 逢偶・凜炎

 遥か昔に地上に降りた、不老不死の人を形どった神王が統べる国、延綴国えんていこく

 国内統治圏八圏のうちのひとつである西部地方で最も面積の広い葉朧圏ようろうけんは中央、王のおわす都・張廟ちょうびょうに連なる関道が置かれているということもあり、圏内の人々の往来で溢れかえる賑やかな地であった。


 その中でも中心街の喧騒から外れる小里しょうり区域、音朧おんろう郡。その内にある村、樋椰ひや村の近くに一人の青年がいた。


 時に現在は夜半である。


 その青年は先程までいつものようにあてもなくフラフラと歩いていた。


 そして何やらすえたようなにおいを感じ、そちらの方に向かってみるとある小さな村が燃えていたことに気づく。


 眼前に広がる事実はとても受け入れがたい程であった。──茅葺きの家々にあの燃焼の具合では、人はまず助からないものであろう。


 しかし青年の体は本能的に動き、幸いにも近くに川があったためその川に飛び込んだ後に、燃え盛る村へと走り出した。


 青年は大声で誰かいないかと叫んだ。


 聞こえるのは次々と崩壊する家屋の声ならぬ悲鳴や火花が弾け散る音ばかりであった。


 かろうじて形の残る家を見つけては、片っ端から入っていった。


 大方無惨な光景が広がっており、青年はその都度苦虫を噛み潰したような顔をしながらその場を諦め離れていく。そして一つの家に少女が倒れているのを見つけた。


「おい、おい!しっかりしろ!」


 声をかければ少女が小さく声を漏らしたためまだ生きていることが分かる。


 しかし一刻も早く外に出さなければ助かるものも助からないだろう。


 念のため辺りを見回すと少女の祖母か母であろう女性が倒れていた。声をかけたが反応は無かった。


(もう、駄目だな)


 青年は少女を抱き上げた。すると足元に何かがきらりと光った気がしたが、気にしている場合ではないと夢中で外に駆け出た。


 そして二人が家を出た直後、推し量ったかのように一瞬にしてそれは崩壊した。


─────


 青年は先程自分が浸かった川まで行き、同様にけれど注意深く彼女の身体を川の水で冷やす。


 夜の闇は深い。そのため彼女の火傷の様子はよく分からなかった。


 冷やせば良いというものでもないことは分かってがいたが、彼自身も動揺と気の昂りに混迷しているのであった。


 月のみの頼りない明かりのなかで少女のまぶたが震え、少しずつ開いていく様子が見てとれた。


 やがて焦点が合ってきたのだろうかゆっくりと青年を見つめる。

 内心ほっとしながら、少女を浸からせていた川の水からゆっくりと抱き起こし引き上げた。


 そして、川原に敷き詰められたごつごつとした石にの上に、自身の羽織っていた上着を申し訳程度に地面に敷き、その上に少女を横たえた。


 少女の口が微かに動いた。あの火事の中にいたとなれば当然だが、まだ声は出ないようだ。


 口の動きから見るに「誰なのか」と尋ねられているようだった。


 青年は困った。彼には名乗る名がなかった。


 沈黙を破ったのは少女の一言であった。

 そして少女が放った言葉は青年には予想外のものだった。


 ありがとう、掠れた声で彼女は言う。


 その言葉を伝えられたことで満足したのか、少女は気を失うように再びまぶたを閉じ眠ってしまった。


 青年はしばらくかけられた言葉の意味を分かりかねていた。


 そして、少女を見つめた。程よく暗闇に慣れた視界と抱き上げたときの華奢さから推測するに年の頃は十代後半くらいだろうか。


 自身の着る着物を脱ぎ、上からそっと少女に掛けてやる。


(どうしたらいいんだ……。)



─────



 明け方になり、鳥のさえずりが聞こえた。青年は少女を放っておくこともできずその場に留まっていた。


 焼けた村を確認しに行きたい気持ちもあったが、ひとまず少女が無事起きるのを待つことにした。


 そして夜の闇では分からなかった少女の様態が朝陽に照らされはっきり見えるようになり、青年はひどく驚いた。


 何もないのだ。


 覚悟していた火傷の痕さえも、彼女の身体は傷一つ無く綺麗なものだった。


 昨夜の火事は夢だったのか、そんな飛躍的なことも考えたが、彼女の着ていた着物は確かに焼けた部分があった。


 あれだけの惨事が起きたと実感できるのはそれくらいだった。


 青年は怪訝そうな顔をする。


 どう考えてもおかしい。この少女は一体何者なのだろうか。


 そして、少女は意識をとり戻す。


─────


「無い……。」


 少女が目を覚まし、事の状況を改めて説明した後、件の村を再度訪れた。


 やはり、跡形もなく焼け野原となってしまっていた。


 少女は信じられないといった顔だった。青年は素直に同情した。


 そして彼女は自宅のあった場所まで走り出した。


 灰塵となってしまっているし段差などもない。虚しい感覚を覚えながら、変わり果てた家に踏み入っていく。


 青年が昨夜に目撃した女性の姿はもうない。青年は俯き黙った。


 やがて彼女が何かを見つけたようで、その場に膝から崩れ落ちるように座り込む。


 華奢な彼女の肩が小さく震えた。


 青年はその様子を黙って見守る。


 そうするしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る