延綴記 季歴731年の巡
秋 月灯すは黄昏
第一抄 終なる序詞
――轟音に包まれている。
いつからこうしていただろうか
鉛を溶かし込まれたかのように重い身体は指一本も動かすことができない。
目の前には赤々とした鳥の羽のようなものが宙を彷徨った挙げ句役目を終え、破裂音をあげながら消えていくのを繰り返している。
ここは、私の住む家だった場所。
それは茅葺きの簡素な住宅だった。今の季節は空気の乾いた秋だ。火の気があれば瞬時に燃え広がるのも至極当然のことであった。
なぜ燃えているのか分からないまま、気づいたら火がまわってしまっていた。
(どこにいるの。探さなきゃ、でも、手も、足も、口も、動かせない。どうしたら……)
術はない、そう悟ったその瞬間に己のものであった意識は断絶した。
─────
そこは何もない場所だった。少なくとも五感で感じられるようなものは存在していない。実際にまだ見えているので、自身の五感を完全に失ったわけではないようだが、まるで無いような錯覚を覚える。
白い、一面にただ真っ白な光景があるようだった。
暫くどのくらいだったか定かではないが、ぼうっと呆けるようにその場にいた。
呆けていたのにも気づけなかったはずだ──彼の存在が目の前に現れるまでは。
そこにいたものはとても美しく、周囲のまっ白い風景に負けず劣らず輝く白銀の麗人のようだった。髪は一本一本玻璃のように透き通り光を浴びるごとに瞬いて、しかし絹のように繊細に溶けるように地に着くまである、その美しい長い髪を流している。
かの存在を見やった途端、目は明らかに冴えた。しかし徐々に熱が全身に伝わるようにして駆け巡ったために、今度は別の意味で身動きがとりにくくなった。
そんな私の挙動を知ってか知らずか麗人はゆったりとした優雅な足取りでこちらに向かってくる。気づけば目の前に麗人は立っていた。瞬間移動したのかとも思えるほど速かったが、見惚れていたために実感しなかっただけかもしれない。
麗人はその整った形のよい唇をほんのわずかに動かし、口角をややあげこちらに向かって微笑んで見せた。
その控えめながら濃厚な微笑みに鼓動は速まり、どこか息苦しくなったような気がした。
すると麗人は片方の手をこちらに向かって差し出した。そしてその手のひらに乗っている花のようなものに目を奪われることとなった。
その花は異様なまでにただ紅く、言ってしまえば滴り零れた血に染められたかのような畏怖してしまうほどの紅さを湛えていた。
それを一体どうするというのか、とほぼ他人事のように様子を見守っていたが突如、麗人の花を持った手とは反対の腕がこちらに伸びてきたと思えばその手の先、指をそっと私の頬をなでるように添え、その儚い風貌からは想像もつかないほどの力で、添えられた指が私の口をこじ開けてきた。一瞬の出来事に反抗する間も与えられず続いてふわりとした触感のもの──先ほど手のひらに乗っていたあの紅い花だろうか──が無防備に開けられた口の中へと押し付けるように入れられてしまった。反射的に喉がぐっとそれを押し込むようにしたが、それは喉を通り抜けず、ならば舌に溶けて消えたのかと混乱しながらも思案した。
何がなにやら、突然すぎて何もかも分からなかったが、そんな疑念も打ち消されてしまうかのように意識が徐々に白めいていった。
薄らいでいく視界の中で見た麗人はやはり微笑んでいるようだった。
私は自由の利かない身体にさらに為す術もなく、再び意識を手放したのだった。
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