第36話 依存と興奮

問答をした後に寝室へと通された私は第三妃と対面していた。

先の条件の通り、私の後ろには女中と皇子が控えており、若い彼女の触診については明らかな嫌気を感じたが四肢の反応を見なければどうしようもないので彼らの説得が必要となった。


基本的に食事に関わる病気とは言え、繰り返し火炎病となっているのであればその精神状態に変化が在るのではと考えていたが第三妃はその強靭とも言える精神力で問診のときに異常は感じず、寧ろ痛みに耐える事で自信としている様な節が見受けられた。


触診としては、軽度ではあれども当然のことながら皇族であるにも関わらず火炎病の脅威が在ると言う事を確認し第三妃の食事の内容を聞くにこのアクィタニア帝国では発酵していないパンは余り好まれておらず、酸味がすると言う理由でライ麦のパンが好まれて食べられているらしい。

確かに、脱穀された小麦をそのまま丸めた様なあのパンは粉っぽく味がしない。

発酵とはいかに革新的な発明であるのかを自身で実感する事になるとは思わなかった。


私は麦の状態の確認の為に税として納められる麦類の集積方法を確認したところ、これらは種類別に一ヶ所に集められ、まとめて脱穀されるらしい。

この時に麦の質を問わずに脱穀している為に麦芽菌に感染した麦が混入しているのだろう。集積方法を考えるに汚染された麦を避ける事は出来ないので麦芽菌に汚染されやすいライ麦を使わない方向で料理を考える。


「それでは、第三妃には私が用意した食事を摂っていただく他ありませんね。毒素の排出を促す為に温かい湯に毎日入ってもらいます」


第三妃は私の言葉を聞くと明らかに不満な表情を出した。


「これまでの医者は薬を処方し、それで終わりでありました。夫の眼を疑う訳ではありませんが、其れでも第三妃である私の食事まで制限されるなどと申されるのですか。幾ら高名な医者とは言え私の楽しみを取り上げるなら治療を拒否いたしますよ」


この国は征服事業から復興の兆し見える時期であるので文化と言うものが殆ど芽吹いて居ない。

民衆を見てもあの広場で行われていたパフォーマンスの数々は知識人が自身の考えを広める物であったし、民衆の中では音楽は在れども楽器を繰り返し鳴らす程度の簡単な物であり暇を潰せる位のもので趣味へと昇華しないのだ。


その様な時代で、本や食事と言った日々の空白の時間を潰す事が出来る趣味を持つ者は多い。金持ちが美食にかま掛けるのは有り余る時間を有意義なものにする為である事は自身もよく理解していた。


「第三妃が満足する美味な食事を用意いたしますよ。どのような物がお好みでしょうか?」


「医者が料理を?まあ良いでしょう。上質な肉料理にパン、甘味を。野菜は余り使わない事。香辛料も好みませんので控えめにするように」


14世紀ヨーロッパ等の栄養学の無い世界では野菜は貧乏人(農民)が食べる物であり、肉料理が最も上質な物とされた。確か、魚料理も僧などの忍耐によって悟りを開こうとする者の食事であり、白身の肉を食べると気分の低下を招く為に好まれなかったとか。


時代によって味覚は変化するものである。現代人の食事を400年前の人間に食べさせても美味いとは感じないだろうが其れは市井での話であり、この国の貴族は現代人の様に濃い味で脂っぽく香辛料の効いた味を好むと言う事はティベリスの館で料理を振舞った時に実感していたが彼女は香辛料を好まないらしい。


「かしこまりました、それでは先ずご入浴を。女中に手足のマッサージを念入りにさせてください。ぬるい温度で15分以上、長くご入浴されます様」


帝国の香水(香油)の技術はまだ発展途上にあるらしく、第三妃の部屋は香が炊かれているにも関わらず生活臭が匂う。前世で出不精な女の部屋を訪ねた時のようで、彼女自身ベッドに伏せていたと言う事はあるだろうが肉食の文化を持つ人間の体臭は香油で誤魔化せぬほどに匂った。


私は頭を下げて、部屋を出る。火炎病の闘病に必要なのは食生活であるが、それを知られない為には幾つものブラフを噛ませなければならない。私の元には皇子と女中が常に付きまとう事になっているが、彼らは無能では無い。知識を奪う為に目を凝らしている事は疑いようも無く、民衆に拡がる病を駆逐する知識は皇帝自身の権威を示す為に重要な物となるであろう。


私が態々長い期間での治療としたのは治療自体に高級感と特別感を出す為である。言外に民衆に行っている治療方法とは別のモノであると認識付ける事で、特別感を出し彼らの自尊心を高めさせる。

人間は誰だって他人に特別扱いして欲しいし、自分は高等な人間であると思いたいものだ。その為なら高い金を掛けてブランドバックや高級車に乗る事を是とする心理を私は良く知っている。今回、皇帝からの報酬は約束されているが、簡単な治療でハイ終わりと済ませてしまっては高額な報酬を貰える筈が無い。ここは私のプレゼンテーション能力を見せる場所である。


高級志向に寄り添った特別な持て成しこそ高額な報酬を受け取る為の基本策だ。

皇子に案内され、厨房へとたどり着くと早速調理に掛る。

第三妃は野菜を好まないらしいが、治療中に栄養不足で体調を崩されては困るので誤魔化しの効く料理をする事になる。

肉は牛、豚、鶏、羊、山羊の他にも猟師が狩って来たであろうジビエ等、思いつく限りの肉が在るし食材に困る事は無いだろう。


「コロ、ピザの材料の準備」


手間と時間の掛かるパン生地を先に捏ね出し、トマトソースを作り始める。

調理場の鉄鍋を見る限り、その形状に平らなものはなく、皇帝の為の調理場であっても未発達な食文化の影響からは逃れられない様だった。


私は、底の深い木皿で砂糖と鶏卵を溶き、細い木の棒を複数持ち泡立て器の代わりとする。

牛乳をゆっくりと流し入れて陶器の器に入れて蒸し始めた。


作るのはカルツォーネにプリン、チキンのワイン煮だ。


カルツォーネのトマトソースとチキンのワイン煮にはブラフとして黒胡椒の粒を数えて細かくして砕き入れ、暫く煮た後に生姜の乾燥したものとニンニク、クミンを混ぜ入れる。

香辛料はその風味から薬としての効力があると昔から信じられて来たのだ。


認知バイアス。

人は自分の知識と相手の行動が一致した時に、原因を一点に絞る傾向がある。

例え他人が不審な行動をして自分では疑っているつもりでも、このバイアスが働いて正当な評価が出来なくなる。


オレオレ詐偽で息子の声が別人で不審に思っても金を振り込んでしまう老人と同じ認知が働くのだ。


私の場合は薬用として知られる香辛料を組み合わせ使用する事で別の効果が現れると誤認させる。

知識は力だ。

私が前世でCEOを殺してから、親も妻も子供たちも騙して過ごして来た。


四半世紀も生きていない子供とは年季が違うのだよ。


恐らく、女中も優秀な者を寄越している筈だが、私であれば騙し切れる。


そも貴族らはその莫大な財力の所為で、大金をかけて薬を求める。


まさかライ麦を食べない貧乏人の方が貴族よりも健康であると信じられる人間は少ないのだ。大金が薬の効果を保証してくれると信じ切っている人間には特に。


誰だって不要な金を支払っていたと言う失敗を認めたくないのだから。


私は別の鉄鍋で砂糖を加熱しカラメルに変えて蒸し終わったプリンの上にかける。古喫茶が目の裏に浮かぶ硬めのプリンはコロの魔法で冷たくさせれば完成だ。


チキンのワイン煮は鉄鍋に玉ねぎをみじん切りにして肉を埋もれさせて1時間マリネ。そのまま火にかけて表面の色が変わったら砂糖、ワインと香辛料を入れて煮立って来たらトマトソースを少し投入。煮汁が半分になったら塩胡椒で味を整えて食事の準備は終了。


あとは食事を提供するだけであるので、コロを呼び寄せ味見をさせる。


「うん、おいしい」


コロがぴこぴこと動いて更に味見をせびるが無視をする。

自分でも味を見てみると、ワイン煮のチキンは良く熱された玉ねぎの甘みと香辛料の風味が柔らかく煮立ったチキンの脂と混ざり合い口の中で解れて口当たりが良い。煮詰まったワインも熟れていないバルサミコの様でソースとして力がある。


プリンは前世で自身の子供たちと一緒に作っていたので作り慣れている。

砂糖が前世で言うブラウンシュガーなので甘さの他に風味があるが、カラメルがその風味を消している。これはこれで美味いと思う。

数口の味見が終われば後ろで私を監視していた女中と皇子にも味見を勧める。


「あなた方も1口如何かな?此方としては良い出来だと思うが」


新しい匙を取り出して彼らに渡すと食べ掛けのワイン煮とプリンを差し出す。

抵抗が無いのか、女中が先にプリンを削り取り口に含むと驚いた様に飛び上がった。


「わっ!凄い」


言葉は続かなかったが真面目な顔をして監視をしていた聡く知的な雰囲気の女中が子供の様に飛び上がる様から評価は上々だろう。


私はワイン煮を食べてから一言も発さない皇子に向かい、意見を聞く。


「あなたは如何か」


皇子は難しい顔をしながら私に問いかけた。


「此れは本当に火炎病を治す薬なのか?薬とは苦く飲み難い物ではないのか」


要は、食事に本当に効果が有るのかを問うているのだろう。

親族の心配をするのは何処の世界でも一緒だ。


「火炎病の進行具合に寄るとしか。そも、病を患った親をあそこまで放置しておけるあなた方の気心が知れません。私の国では信じられない事です」


治るが、挑発をして精神を揺さぶり正常な思考を彼から奪う。

メンタルが及ぼす影響は大きい。


「俺は!」


女中が驚くが皇子はそのまま続けた。


「・・・この国が他国に劣っているとは思わない。大陸で最も力があり、知識があり、多種族が暮らす国だ。その帝国の皇族が呼び寄せた医者達には高い地位を与えている」


「はあ」


「俺たちは間抜けか?」


若いな。

怒りは興奮を呼び、興奮は脳から正常な思考を奪う。彼の中の帝国の皇族で有ると言う自負が、プライドが今迄の過ちを許さないのだろう。


効かない薬を処方していた医者達に高い地位を与えたと言う過ちを。


私は女中が持っていたプリンを彼に差し出す。


「甘いものをどうぞ。落ち着きます」


皇子は怒りを堪えた様子でプリンを1匙掬い取って食べた。

彼自身、興奮していることを自覚しているのだろう。興奮には冷たい甘味が良い。多少の興奮が抑えられた事を確認してから話す。


「まあ、私が知る限り、知識は積み上げですよ。専門家を作るのは良いことです。医療は死体を積み上げねば発展しません。その上で申し上げますが、自惚れ過ぎです」


さて、吹かすか。

自分の価値を高めて稼ぐために。


「は?」


「貴国が優れているのは大陸の中と比べてです。私の国には〈井の中の蛙大海を知らず〉という言葉があります。はっきり申し上げるがこの国は海外の他国より知識も力も劣る。只の平民の私がこんなにも立派な城に招かれ、さも知識人かの様に持て囃される。論外です。まるでお話にならない」


私はスマートデバイスを取り出して前世で撮った写真を見せつける。東京タワーから見える風景でミニカーの様な車がビルの合間を縫って走っている。


「私の故郷です」


皇子にも女中にも見せつけた前世の写真。深く説明する気は無いが彼らの思考力を奪うには十分だった。


「さて、コロ。食事を提供しに行こうか」


若者にとっても未知は怖いだろ?

私も宇宙人が居たらビビる。

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異世界転生したけど幼女のヒモになった件 煙道 紫 @endouyukari

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