第35話 合法麻薬

私が知る限り、王族の力が削がれ貴族たちが断頭する為には、彼らに与えた領土が一定の利益を生み出し続ける事に加えて王族に秘匿される知識が無ければそれは成就しない。


王の領土を囲むように貴族派閥が領土を拡大し、軍事的・政治的にも優位になる為には征服事業が安定したばかりで、文明開化の光が見えないこの帝国においてはまだまだ未来の事となりそうであった。


さて、皇帝の城前広場だがこの場所は知識人や商人の意見や発明を皇帝の前で発表し自身の価値を皇帝に認めて貰う為のプレゼンテーションの役割を担っていた事に加えて、上流階級の貴族が気軽に立ち寄れる交流の場ともなっていた。この帝国には上流階級が集まる場所と言うのが少なく、一般市民と貴族とでは求める情報が違うのだから現代で言う公園の様に居住区に複数の集会所が在る一般市民の方が寧ろ優遇されているかもしれなかった。


見事な彫刻の柱に石畳を敷き詰められた床。雨風を凌げる屋根の下には噴水や庭園さえあるこの領域。広い領域の中には大通りとさして変わらない程の人が溢れ、彼方此方から学者であろう人物が議論や討論を交わし、商人たちが商品の情報を仕入れている様にも見えた。

以前家庭教師をした時はこの場所は素通りであったために興味深くあった。


私とコロがティベリスに連れられて通されたのは城前広場でも東に位置する場所であり、紅いカーテンで隠されたその奥、壁は無くとも態々一段高い作りとなっている場所であった。

カーテンを開ければ両端に兵士がずらりと並び、その後列に髭の長い老人たち。察するに知識人か貴族であろう人々が並び立て、更に一段高い場所に在る椅子には遠目にも精強であるとうかがえる人物。直接見た事は無かったが、アレが。


「我がアクィタニア帝国が皇帝である」


ティベリスが軽く頭を下げたのを確認し、私も軽く頭を下げる。これは皇帝を神と同一視していない事の証明でもあった。近代の考える貴族と言うよりはリーダー的な古代的王族の様相であると仮定しておく。


皇帝が役職のみを話したのは公式の場であると言う事と目上の人間は役職のみを伝えると言うこの国の慣例であるらしい。


「お久しぶりです。先に話した者を連れてまいりました」


皇帝が此方を見やる。黒く短い髪に黒い髭。顔つきはローマ人の様であり人間だ。


「もちゃめちゃ教の牧師、ヒロシです」


大勢の前で余計な事を言って敵を増やしたくないので最低限の自己紹介に留める。

皇帝は頷き、ティベリスから聞いていた依頼の内容をそのままに私に話した。


「市民に周知はしていないが、我が第三妃が火炎病を患っている。お前の知識を使い完治させよ」


ティベリスから聞く限り、この話は知識人の間では広く知られていた。様々な人間が治療に当たったが完治と再発を繰り返し、1月以上経っているらしい。


最近は燃えるような痛みと投薬によって精神が弱り憔悴していて、自室から出ずに寝てばかりとか。


「1カ月頂戴致します、秘術である為に他の一切の立ち入りを禁じます」


私は頷くと同時に言外に技術を公開しないと言った。様々な職種のギルドが在った事から知識や技術は幅広く公開され、ギルドの物となる。貴族ならともかく個人で組合に勝てる筈も無く、公的な利益の為と言って技術を奪われるくらいであるなら公開せずに居た方が良い。

特に火炎病の患者は多いと医療ギルドから聞いている。

未知の技術は金を生む。知識人であるなら奪い、活用するのが当たり前。価値は知識を独占する事で生まれるのだ。


「それは出来ない。少なくとも世話係の女中と数人の兵士に貴族の立ち合いが必要である」


そして、皇帝は私から知識を奪う気満々だった。

国としては国民が減ると税収も減るし、徴兵できる兵士も減るのだから当然である。

立ち合いの貴族は医療ギルドを取りまとめているか専門知識を持った人間が派遣されるのであろう。

女中や兵士にしても教養深い人間を雇入れている為に知識を得る様に命令されている筈。そもそも初対面の人間を王妃に合わせるのに人員を配備しない筈が無い。


「それは、困りました。私の秘術は他人の眼が在ると効果を発揮しません。如何しますか?」


しかし、私には皇帝がどのような扱いであるのかが解らない。ティベリスから貴族の取りまとめ及び国家間の交流や戦争、自国の発展と軍事の最高責任者とは聞いているが其れだけでは情報不足だった。


王族や皇帝と言う国のトップは国毎で扱いが変わる。

皇帝を神としていた時代もあったし、方針を決定付けさせるだけのリーダー的な扱いをして居る時代もあった。地球では田舎者(当時では奴隷よりは上、程度の扱いで差別の対象だった)が一国の王にまで成り上がったと言う事例もあった事からこればかりは自身で確認する他無いのだ。


皇帝は考えている様子だった。正直な所、私個人としては依頼を受けたい。大したことをせずにリターンを得る事が出来るのだから当然だ。

ただ、依頼を受けずとも問題は無い。そもそもがティベリスを介した依頼であり皇帝が頼む側である以上、必要な経費や材料を用意できないのなら断る事もできる。


これは皇帝がどの程度私の要求を許容するかを試してみる。

頼んでいるのは其方である。と言外に言っているのだ。


「・・・弱り切った愛すべき妻を他の男と寝室で2人きりにするなど有り得ん。貴様が恐れているのは秘術の流出であろう?我が息子と女中1名を見張り役とする。そして、貴様の帯刀を禁ずる」


「よろしいかと」


「お待ちください」


そして、依頼内容が決まりかけた瞬間に声が掛る。振り向くと髭の長い老人が右手を上げていた。発言時には手を上げる、これも文化なのだろうか。


「賢者ジョゼフよ何か」


その老人はその場で一礼し、力強い声で発言する。


「ティベリス卿が連れて来たお客人、貴方の力を見せて頂きたい。信用できない訳ではありません。この私を以って未だ逢わずにいる異国人、貴方を知りたいのです」


言っている意味が良く解らないが・・・賢者と呼ばれている位だから知識階級に在るであろうこの人物は、そう呼ばれるだけあって帝国でも二人といない私に興味が湧いたらしい。

まあ黒いスーツに金の時計なんてしてたら目立つ。この帝国の住民から見たら奇妙な恰好だろう。


「はあ、ではあなたの知りたいことを1つ教えましょうか?魔法でもよろしいですが。それ以外でも良いですよ」


思わぬプレゼンテーションの場が勝手に用意されてしまったが、最近は魔法が楽しいので民衆受けしそうな魔法を何度か練習している。

理論さえ解っていれば過程を無視して発現するものであるし、限界は未だに見えないので魔法だと少し嬉しい。


「では、知識を・・・私の知る限り神は存在しません。神とはこの世の総てを造った無限であり、人間の理解の外に在るモノです。もちゃめちゃ教の牧師。貴方が神を信じる者で在ると言うのであれば神の証明をして頂きたい」


そして、クソ面倒な質問が来た。要は、神は数学的に無限である。そしてこの世に無限は存在しないのではないか。と言う事だろう。0(何もない記号)やπ(無理数)と言う記号を理解しない古代ローマ的な思想である。


「一応の確認を。貴方にとって神は無限で認識できないモノですか?」


「無論です。」


「無限とは奇数であり、偶数である。解りますか?」


懐かしい確か、高校生に授業でやった内容を思い出しながらゆっくりと説明する。


「ええ。しかし、それでは証明できない事が多過ぎます。自然数の無限は理解できても有理数(〇分の〇)にさえ無限は存在する。自身が弓を射るとして、的との距離を1とするならば2分の1進み、4分の1進み8分の1進み・・・と的までの距離は無限に分割できる。無限の距離を進む弓は存在しない為、的へと到達しない筈であるのに、現実ではそうではない・・・つまり、無限は存在しない。その様な数学的な矛盾こそ、人間の考えが及ばない神の領域である筈。其れを証明できるのが神なのでは?」


「では、簡単に」


私は1歩進む。


「この距離を1とし、これは無限に分割できます。では、無限に分割した1歩を無限に繰り返すとどうなるでしょう?無限に分割された1が無限に在る・・・つまりは自然数の無限よりも無限有理数の数の方が無限に多いと言う事になります」


頭を捻って考えているのは先程発言した老人だけでは無く、それ以外の人間も皆、同様に考え込んでいる。


「無限に分割された有理数を全て足せば1になります」


そこで、数人が何かに気付いたかのように目を見開いた。


「もちゃめちゃ教は、無限自然数=無限奇数=無限偶数<無限有理数である。と答えましょう。無限は1つではない。つまりは神は1柱ではない。無限に存在するのです」


私が説明し終えると周囲の人間は俯き考える者と何かを理解したように目を輝かせる者、難しそうな顔付で眉を顰めている者とに分かれた。


暇だと、どうでもいい事に思考を費やしたくなるのは解るのでまあ、私も彼らの仲間であるとは思う。

質問を投げかけた老人は私に深く一礼をして、それを見た人間達は一様に驚いた。


「良く解りました、ありがとう。君のもちゃめちゃ教は何時、説法をしているのかな?」


顔を上げた老人は笑顔だった。私も老人から若くなった身であるので年の近い人間と仲良くなり易いのであろう。

若者にしか解らない衝動が在れば、老人にしか解らない興奮が在る。

無神論者を宗教に引き込むために必要なのは彼の否定であるのだ。


「私の気分に寄ります。唯、雨の日は絶対にしない事でしょう。神の姿を見たいのであればお布施を頂戴します。金貨を・・・20枚以上。後は感動した分だけ上乗せで。今は、3,4人程度であればお会い出来るでしょうね」


私がそう発言すると、今まで静かにしていた人間が騒めく。

逢える筈が無いと言う言葉を聞きながらも興味の光を宿した人間の眼を私は見逃さなかった。



私は悪人なのだ。

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