第29話 改善余地

早朝の未だ暗い時間。

窓を開けると心地良い冷気を含んだ風が室内を駆け巡り、私の眠気を覚ましていく。

コロはまだ寝ている様子で、私はさっさとリビングで日課となっている瞑想をする。


部屋を照らす燃料が惜しいので元居た世界よりも圧倒的に早寝をしているが、朝の仕込み作業があるので睡眠時間は変わらない。


しかし、何分ベットが堅い。

マットレスなどある筈も無く、やわらかい干し草を布で包んだだけの寝具は使用するたびに体重で押し固められていくので時期を見て解してやらなければならないし、偶にではあるが、布を突き破って針の様に私の肌を刺すものもあったので疲れて居なければ熟睡も出来ない。


元の世界で私は寝具に拘っていたのだ。

人間は1日の睡眠時間として約4分の1から3分の1はベットで過ごす物なので、寝具については20万円後半の高級なものを使用していた。今はどうしてもその寝具と比べてしまうので、睡眠の質を取り返す為の瞑想は必須ともなっていた。


朝の日課を熟した後に昨日と同じ量のピザ生地を練り上げ、その間に昨日と同じレシピでピザソースを作った。


ソースに関しては客の反応を見て随時微調整を重ねるつもりだ。

癖の強いハーブ類は入れていないが塩分量や味の濃さなど調整する部分は幾らでもある。そして、今日は別の取り組みの為の準備もある。

ソースを煮立てている間にコロが起きて来たので、朝の挨拶をした後に業務連絡をする。


「コロ、今日はピザにトッピングを付ける。朝食はその試食だ」


「トッピングって?」


コロは寝ぼけた目を擦りながら聞き返す。


「今回は昨日、市場で仕入れた鶏肉を使う。ティベリスの館の鶏しか食べたことが無いので、市井の物と比べてなければならない」


ティベリス自慢の肉を取るために育てた鶏。

品種改良が進んでいないとはいえ、現代の国産鶏程の味ではあったのだが一般に露店で売っている鶏は食べたことが無かったので試食の運びと相成った。


丸の鶏を1羽。臓物と羽根を取り除いた状態で販売されているそれは、肉の部位ごとに分けられるでも無く其の侭足を吊るされるようにして販売されていたものだ。


鶏を触った所、表面はやや乾燥気味で肉を押してみると筋肉質で肉質が固い。

老いて卵を産まなくなった鶏か雄の鶏だろう。店主も大量に捌いて肉になった後の鶏を判別する技能は持っていないらしく、雄雌の何方かを聞いても明確な答えは得られなかった。


私は鶏を部位ごとに切り分け、足と太ももの部分に塩を擦り付けて焼き上げる。


20分程で焼き上がったそれは自身の油で表面がパリパリに焼き上がって食欲に直接攻撃するような見た目である。

熱し上がった丸い鉄鍋の予熱で、ピザ生地を薄く延ばしてナンを3枚焼き上げた。


「・・・意外とうまそうに焼き上がったな。コロ、皿を」


「ふわぁい」


未だに眠そうなコロに皿を持ってくるように命令すると食器の扱いに慣れて来たのか寝起きの割には素早く皿を持って来た。


受け取ったコロ用の皿にナン1枚と焼き上がった鶏の脚を乗せる。フルーツはオレンジ。切り分けずに1人1つを皮を剥いて食べる。


食卓を囲んで私は試食の鶏の脚にかぶり付く。

脚は筋っぽく、肉質は固い。

旨味は薄く輸入鶏の更に劣化版の様だったので調味料を沁み込ませてやらなければ料理として完成しないだろう。


「お肉おいしい。これも売るの?」


コロにとっては良い食事らしかった。まあ、肉を塩で焼いただけなので失敗しない料理ではあるが誰でも作れると言う事は他の露店との差別化が図れない。


そも、新鮮な肉を扱う精肉店がある以上、負ける可能性の方が高いのだから調味料を使用する工夫は必須とも言えるのであった。


「濃い味に調味して売るか。油は大量に使う事が出来ないので揚げ物は出来ないが東方のマギがあるのでスパイス的な風味は付ける事が出来るだろう」


私はそう言ってからナンを齧る。

豊かな小麦の風味に焼けた焦げの風味。僅かな甘みが焼きたてを食べる利点だろうか。外側はパリパリと子気味良く口の中で割れ、中からは小麦の風味を含んだ熱気が口の中に拡がる。


「オレンジは残念な味だな。品種改良が進んでいないので仕方ないが甘みに乏しく、酸味が強い」


砂糖煮かケーキに使用するしかないのだろうか。栄養素的には生で食べるのが一番だろうが品種改良されていない植物は如何にも口に合わないだけに小麦の質が大変良い物であると言うのを実感していた。


多種族から成るアクィタニア帝国であるが、主食に関してはその殆どが小麦や大麦と言った麦類か芋類・コーン類である事は露店の品ぞろえから確認している。

露店ではそう言った食材に関しては安価で販売されているのだが、調味料となるスパイスや塩、砂糖については比較的高価な部類で市井では贅沢品の類に分類されるだろう。


何せ重量比で言えば酒よりも高いのだ。砂糖を使用できないせいで酒についてもアルコール度数が低い物が主流であるようだし調味料で素材の味を調えると言う文化が未発達なのも頷ける。


だからこそ、調味の市場に入り込む。

将来的に考えれば薄い味よりも寧ろ濃い味に進化していくのは人間の脳内の構造的に自然な流れ。

油に糖に塩分といった人間の脳を壊す所謂ジャンクフードは人類が作った毒の中でも最高率の利益を誇る。


しかも、人体への悪影響が強いからと言って規制され難いのが大変良い。

私がチキンの加工方法を考えて居る間にコロは食事を終えていた様だ。


「ごちそうさま。今日もがんばろうね?」


私は自分の鶏肉と残りのナンを口の中に詰め込んで早々に食事を終わらせた。

食事中や風呂の中で色々考えてしまうのは私の癖だった。

稀にではあるが良い考えも浮かぶが大抵は同じ思考の繰り返しだ。

悪癖で在ったが習慣化した癖という物は如何にも修正しずらいのが難点。


「ごちそうさま。ああ、今日もたっぷりと働いて稼ぐぞ」


私はパン生地を練り上げる為に外していた腕時計で時間を確認する。

時間は朝の6時。昨日よりも効率的になっているのは慣れからでは無く、朝食に手を抜いたからだ。


開店時間は決めていないが、市場の人間は動き出すのが早い。朝日が昇った時点で働き始めている者も居るので、そう言った人々をターゲットにするのも良いだろうと考えて、コロに窯に火を入れる様に指示を出して、自身は軒先まで出て、窯に薪をくべようと自宅のドアを開けると、通行人と目が合った。


「うおっ!」


声を上げた通行人の顔を見ると先日、大工ギルドのグロウ青年の連れの客だ。

私の腰ほどの身長と背が低く、茶髪で・・・まぁ、人類種であろうが。

真っ先に思い浮かんだのが筋肉質で低身長の職人と言う風貌からドワーフ。

ただ、私は彼がなんという人種であるのかが解らなかった。正確にはアクィタニア帝国で彼の人種がなんと呼ばれているのかが解らない。


「ん?すまないな。当店に入用か?」


「おっ、おう。ほら、昨日食べたパンが在っただろ?アレを買いに来たんだよ」


窯の温度を上げるのに薪をくべてから20分は掛る。生地を伸ばして、焼き上げるとなると更に10分。


「お客か。準備と焼き上げるのに30分は掛ってしまうが・・・良いのか?」


「当り前さ!昨日、グロウの奴が、まあ俺達もだが・・・見せつける様に自慢げに美味いパンを頬張ったもんだから他の奴らが興味を持っちまってな。ちょっとした騒ぎになっちまった。そのせいで親方からパシリを受けてんだ」


眼の前の青年は笑顔で答える。

そして、懸念点が。


「この料理は熱が命で寿命が短い。昼食として買うのなら昼に買うのが良いが」


今の時間。朝早くから仕事をする大抵のものは朝食を済ませている。

私のターゲットは収入の多い市民であった。そして、収入の多い市民は基本的には自分では働かずに奴隷を使うので身分の低い者ほど早起きとなる事をティベリス宅で知っていた。


私は薪を窯の中で櫓状に組み立てながら青年の雑談を返す。

薪に火を入れると段々と火が大きくなって行き、乾燥した薪がパチパチと小さく爆ぜながら炭化していった。


「朝食の後の間食だよ。力仕事ってのは兎に角食べなきゃ、やってらんねぇからな。1枚買えば少し安くなるだろ?皆で銅貨を出し合ってんのさ」


「成程。もし、気に入ったのなら御贔屓に。人気が出たらもう少し商品を増やしていくので期待していてくれ」


「ああ!贅沢したいときはこの店を使うぜ!なぁ、店主。もう少し安くならないのか?安くなるなら毎日でも通うんだが」


ピザの値段は中級市民。奴隷を持ちながらも自分も働いている層への食事として構想している。他の露店では基本的には安く大量に売る薄利多売の形態を取っているので私の露店はなおの事高価に感じるのだろう。


「残念だが、値下げは出来ないよ。他の商品を作る余裕が出たのならコンボ販売で若干は安く売る事になるだろうが」


有名なチェーン店で良く有る、他商品との抱き合わせ販売は今後、フランチャイズ形式で展開していく予定のピザ屋としては構想の内に在った。


そもそも、値段を下げると言う事は品質を下げると言う事だ。

私の中の商品販売の基本である品質を低下させないと言う原則に反している。


「そうか、残念だ」


青年は残念そうに肩を落とす。

ドワーフ?は実直で思った事を其の侭言葉にする人種なのだろうかと錯覚するほどに彼の心情と行動は一致していた。


窯の入り口から熱気が此方まで届いて来る。十分に熱された窯の中を確認しつつ、記事の塊を軒下に置いて、一塊に千切って薄く、円状に伸ばす。


「して、お客。ご入用は何枚かな?」


ピザ回しでクルクルと伸ばした生地をテーブルに置いてトマトソースを掛けた後にチーズを乗せる。


「ああ、2枚で頼むぜ」


「解った。しばしお待ちを」


この窯ではピザ自体が大きい円状であるので2枚のピザ生地は入らない。

現代基準で言うと36cmのLサイズよりも2周りは大きいのだ。


1枚目のピザを焼き上げて居る間に2枚目のピザ生地に同じ作業をする。

ピザの焼き上がりは5分程度なので時間的には丁度良い。


1枚目のピザが焼き上がり、2枚目を窯の中へ。焼き上がったピザを8等分に切ったら市販の薄い木板に乗せて其の侭渡した。


「焼き上がり2枚で銀貨4枚。木版は返却不要なので自分で捨てて欲しい」


私は青年から銀貨を受け取り、2枚目も同様に8等分にして渡す。

青年の両手が塞がる。木版の中央を手で支えておりウェイトレスの様だが、バランスを崩したら最悪だな。


1切ならば紙で包めばよいが、1枚のピザを販売するならもう少し工夫が必要か。

今日中に対策を思いつくかは解らないが早急に対処しなくては。


「おうっ!ありがとうな!また来るぜ」


背の小さい青年が去って行き、一時の休息時間が生まれる。


焼き上がったピザの匂いに釣られて通行人が興味を持ったかのように露店に近付いては看板の値段を見て遠ざかって行く。


銅貨3枚と言うのは他の露店では3品ほどの単品を買う事が出来るのだ。

不衛生で不味い商品とはいえ、空腹を満たせればそれで良いと言う人種は購入にまで至らない。


商品の価値を知り、払う覚悟がある人間にだけ販売する今のスタイルはアクィタニア帝国に受け入れられるのだろうか?


私は看板を見ては去って行く通行人たちを見ながら、ピザの容器についての構想を考えて行くのであった。

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