第26話 敵は絶対許さないマン
私は朝日が昇る前に起きた。
緊張からでは無い。身体の調子を整えた結果、熟睡出来たからだろう。深い眠りから目覚めると寝起きが良く身体には力が漲るのを感じる。
私はリビングで体の調子を整えるために瞑想をした。
目を閉じて呼吸に意識を向けて早朝特有の清らかな空気を肺にゆっくりと溜めて吐き出す。
20分も繰り返せば熱い朝陽が顔を焼いた。
私は気合を入れてパン生地を練り始める。分量は多めに20枚分で総重量5kg。
2.5kgを練り上げるのに2次発酵まで1時間掛かる。
機械が有る現代とは違い、人の手で練り上げるので1度に練り上げるのは2.5kgが限界量だった。
1回目のパン生地を練り上げているとコロが起きて来た。
「おはよ」
「ああ、おはよう。今日の朝食は昨日の残りだ。昼は遅い時間に売れ残りを食べるぞ。顔洗ってこい」
「あい」
寝起きのコロは覚醒するまでに時間が掛るので簡単に業務連絡を行い作業に戻る。
こういった時に筋力の無いコロに任せる事が出来る業務が余りにも少ないので苦労する。
窯を熱する薪の在庫を確認してスープを確認。此方は20人分でパン生地はピザが売れるたびに伸ばして焼き上げるので1枚分ずつ分割しておく。目の前で調理工程を見せるライブキッチンと呼ばれる物で客の期待感を煽る事が出来るのだ。焼き上がりも高火力・短時間で行うのでピザ生地がパリッと焼き上がりつつも上に乗る具材の瑞々しさが残る。ティベリス宅で1度焼き上げた時の時間は5分程度と記憶している。
1回目のパン生地を練り上げたので第一発酵。その間に2回目のパン生地を練り上げる。
普段から筋トレはしているがそれでも二の腕に乳酸が溜まっているのを感じた。
「コロ、牛乳を壺に半分程入れてから冷やして振り続けろ」
「わかった」
コロに明日使用するバターの精製を手伝わせる。牛乳を使用した加工品はその乳脂分を取り出すために振ったりするので非常に腕の力を使う。
後々にでも大工ギルドでバターを作る為の機械を提出しようと心に決めた。
いや、ティベリス宅の奴隷を借りるか・・・。非常に筋肉を使うのでかなり辛いので毎日続ける事は出来ないだろう。
2回目のパン生地が練り上がる頃には朝の8時を回っていた。
1次発酵を終えた1回目のパン生地を切り分け、丸める。このまま2次発酵をして客の前で伸ばす予定だ。切り分けた1つを試作として伸ばすとMサイズよりも大きく窯の中には2枚がギリギリ入る大きさになった。円形になった生地を細長く丸めて捻じり纏める。大きなプレッツェルの形にした後に表面を乾かしておく。営業後の予熱の残る窯の中で焼き上げて今夜の夕食にする予定だ。
私は壺振りで息を上げたコロに声を掛ける。
「コロ、飯にするぞ」
荒い息を返事とみなして食事の用意をする。昨日の残り物なので時間もかからない。
簡単な食事が終わった後にコロが振っていた壺の中身を確認する。現時点ではホイップクリーム状になっており、振りが足りていない。
私は壺を強く振る。10分程度でバターの作成が完了したが疲労感が凄い。
シチューに使うには労働に見合わないのでバターの使用は本日限りになるだろう。
今回作ったものは個人消費にする事にした。コロの食事が完了したあたりを見計らい声を掛けた。
「皿洗いを頼む。その後に表の清掃を」
「台を拭けばいいの?」
「ああ、頼んだ」
コロに指示を出して2回目に練ったパン生地を切り分ける。
パン生地は余ったらそのままパンとして焼き上げる事でロスを減らす予定であった。パン食は私の体には合わない。米で育って来たのだから米を食べたいが主食に関しては国毎の誇りが関わっている。
日常的に食べる物であるので少し違うだけでも違和感を感じ不満が出るのはどこの国でも同じ事。だからこそ主食を売るのだ。将来に繋がる事業を。
下準備も終了し現在11時少し過ぎ。軒先に昨日描き上げた看板を設置してピザ回しで1枚目を焼き上げる準備を始める。
表でくるくるとピザを回していると通行人も此方を伺うようにして目を向けた。後ろではコロが窯に薪をくべて中を温めている。薪の熱を無駄にしない様にシチューを作った鉄鍋を入れていた。
ライブキッチンをして居る効果だろう。旨そうな匂いに目の前での調理。客の食欲を否応なく掻き立てる手法の1つだ。
「ご主人。窯の準備が出来た」
「わかった。焼き始めようか」
ピザ回しで伸ばした生地にトマトソースを薄く塗りたくり、上からチーズを削りかける。薄く塗ったのは経費削減に加えて市井での塩味の欠如を理由としている。断食を行った人間が復食時に塩味を強く感じると言う話を聞いたことがあり、塩を日常的に使用していない料理が多い帝国民に合わせた塩味となるように調整の意味を含めているのだ。
窯にピザ生地を入れると焼けた小麦の香ばしく甘い匂いにチーズの匂いが周りに漂って来た。
通行人は遠目に見るばかりで寄ってこようとはしない。これは、始めて見る食品に対しての警戒心の表れだと感じた。対策は・・・。
「美味い」
私は彼らの目の前で焼き上がったピザを切り分けて食べて見せる。薄く延ばしたパン生地がパリッと音を立てて砕け、チーズが伸びる。これは赤ん坊が食事に手を付けない場合に用いられるもので、危険が無いと行動で示して見せる方法だ。
言うまでも無いが彼らは成人しておりこのような単純な行動に流されない。自我が有るのだから当然だ。しかし、表に立てられた看板を見る切っ掛けになる。僅かな興味を与える事で、今日では無く明日の行動を誘発させるのだ。
「ご主人。私にもちょーだい」
私の服の裾を引っ張りコロがピザを強請る。
朝食の食事量を少なくしたのが原因だろう。満腹すると動けなくなるし、胃に血液が集中するので脳へ向かう血液量が少なくなり眠気を誘発する為、体の調子が狂うのだ。
「まぁ・・・良いだろう」
ピザを1切コロに渡す。図らずに通行人の前での食事会が始まった。
パリパリとピザを咀嚼する音が辺りに響く。
「おいアンタ、そいつをくれ」
早速釣れた。
私はピザを置きもぐもぐとピザを食べるコロを傍目に客の対応をする。
「1切で銅貨3枚。1枚は銀貨2枚だ」
「1切貰おうか」
銅貨を3枚受け取り先程焼き上がったピザを1切渡す。包み紙は無いのでそのまま渡す事になるが市井での衛生意識は低いので文句は出ない。
ピザを1枚買った人間には露店で多く使われている大きな葉を折り込んだ箱の様なものに入れて渡す。
原材料が唯の葉っぱでピザの重さで歪むので、腕を水平にして二の腕全体で持たなければならない。
「へえ、美味いじゃねぇか!」
「気に入ったならまた来てくれ。1日の販売数は限られる」
客は旨そうにピザを食べながら人混みの中に消えて行った。
前の客の様子を見て遠目に見ていた通行人も数人、客として店の前に立ちピザを買っていき、1枚目のピザを売り上げたのだった。
「ご主人。全然売れないね」
ピザを食べ終えたコロが心配そうに話しかけてくる。確かにこの売上では商売にならないが、こういった露店方式の販売方法では値段だけでなく客の評判が物を言う。
露店販売の開始から差して時間は立って居ないのだから心配する必要はない。
「なに、心配の必要はない。1週間後にわかるさ」
私が確認した限り、ビジネスをしている露店はあまりにも少ない。
家庭料理の延長上にある露店が殆どとは言え、宣伝の方法が確立されて居ないせいか商品の説明が無い露店が殆どで情報が少ない。
客は昼食を買う時に目の前で調理されている光景を見ながら何を売っているのか判断しているのだ。これは鍋などで作るスープ系の商品だと宣伝が足りない状態になる。露店の前に商品を並べる方式を取っている露店は有るが、盗難にあった際の対策が出来ない以上は下手だ。
客もまばらに来店しているが暇を持て余している時間が1時間程過ぎると件の大工ギルドのグロウ青年とその仲間が来店した。
「よぉ、来てやったぜ」
「感謝しよう。人数分のピザとスープは取り置いている」
グロウ青年一行にピザ1切とシチューを1杯ずつ渡す。木皿は各自で持ち込んでくれた様子だった。
「大工ギルドに戻るのか?」
「いいや、デカい仕事が入ったから現場に直行だよ。お貴族様の屋敷の定期点検さ」
「現場に向かう間に食べてくれたまえよ?冷めたら不味くなる」
「いつも忙しいからな。心配いらないぜ。歩いて食べる」
「気に入ったらまた来てくれ」
「あいよ、料理ありがとうな」
グロウ青年一行が露店を離れる。現在の売り上げは彼らを含めてピザ5枚程。
昼は始まったばかりだが今日の夕食は残りのピザになりそうだった。
未だ伸ばしていないピザ生地の使い道を考えていると来店があった。
「店主、これはなんだ?」
客は太った商人。短い茶髪に緑色の眼球。周囲には護衛だろうか長剣を装備し関節を守るように鉄の装備を身に着けた男が3名、周囲を見回している。商人と分かったのは服装の装飾で貴金属を身に着けたその格好は遠目からでも着ている人間の身分を分からせるものだった。
「ピザだ。入用か?」
「なかなか旨そうだ。1切貰おうか、そっちのスープも」
「合わせて銅貨6枚。木皿を」
コロが銅貨と木皿を受け取ると私がピザを手渡す。
商人がピザを食べている間に温かいシチューを撹拌し注ぐ。
「ほら、スープだ。そいつは両手じゃなくて片手で食べるんだ、円の弧の部分を折れ」
「うむ。これは良い!パンにソースを乗せているのか!店主、上の黄色く伸びるものはなんだ?」
「チーズと言う保存食だ」
「これは初めて食べる。・・・このチーズが旨さを引き立てているのか」
私はシチューを商人に手渡した。木皿と水筒は露店で食事を行う人間は必ずと言って良いほど携帯している食器で、スプーンやフォークは携帯していない。腰に掛けたナイフで切り分け、刺して食べるらしく見ていて危険を感じる。昼食に関しても家から持ち込みをする場合は丸いパンの中央に穴をあけて其処に紐等を通して腰から掛けるのが一般的らしい。ランチボックスの文化が無い事を理由として露店に人気が集まっているのだろうと考えられる。
「ん?具が無いぞ」
「入れるとこの値段では売れなくなる。完璧な物が必要なら1人前で銀貨1枚を10人前からで予約が必要になるだろう」
商人はシチューを1口啜る。
「ああ、汁と僅かな野菜だけだが美味いな。帝国は素材由来の味が多いがこのスープは調味し味を作っている。お前は帝国民では無いな?」
「お察しの通り異国民さ。アウトゥグス・ティベリスの協力で出店している」
商人は目を細めて私を伺う。相手の服装や雰囲気から立場を推測するのは知識人特有の所作であろう。
観察力。人だけでなく国や時代、環境に空間を観察し考察し行動する。どんな人間でも無意識にやっている事であるが、意識して行うと行動が変わる。この商人は其れを知っている人間なのだろう。
「ほう、私もアウトゥグス様との交流がありますので、異国の食事とは良い話になりそうです」
言葉と口調から明らかに疑っているが、別段話されても問題は無いので目の前の商人を煽る。
「そういえばティベリスには出店の知らせをして居なかったな。貴方が商人であるなら丁度良い。ティベリスとの取引の時にでも私の話を話すがよろしい。私の名前はヒロシと言う。ヒロシがピザを売っていると言えば関心を引けるかもしれない」
私が自分の名前を出して更に踏み込んだので商人は目を見開いた様子で話した。
知らない異国の人間が得意先の名前を出したのだ、疑って当然。私が嘘つきならば先の会話は貴族の名を汚す行為であるので帝国法から有罪だ。商人も異国民が貴族との関わりが有るとは思ってもいなかったのだろうと想像できる。
「では、機会がありましたらそのようにいたしましょう。失礼」
商人は去っていく。言外の言葉の応酬には知識層の特徴があった。普段から言質を取られない様にして発言しているのだろう。貴族付きの商人と言う事は本当かもしれない。
ティベリスの名前を出したのは知財に認められた商品を使っているからだ。言外に勝手にこの知財を使用するとティベリスと敵対すると釘を刺した形になる。
私なら例えば貧乏人が有効な知財登録をした場合、資金に物を言わせてその知財を多用する。
知財を何回使ったかなど、記帳しない市井での露店では解りようが無いのだ。
使用回数を誤魔化すか適当な理由を用いて『使用していない』事にも出来るだろうから、この様な釘差しはズル賢い商人や貴族に対しての威嚇行動になるのだった。私が知る限り貴族の特権とは悪辣で卑劣なものだ。
商人が去った後も疎らに客が入り続け、繁忙にはならなかったが仕入れ分のピザは全てを売りつくす事が出来た。
シチューに関しては一般的に大鍋を通行人側に置いておかなければ販売している事にさえ気づかれなかったのは意外だった。余りは8人前でもう少し露店自体の知名度が上がった際に再度メニューに加える事にした。看板のメニューに書いてあるのだが、読まずに頼む客が多いと言う事だろう。
看板を露店の上側、目立つ部分に立てかけ直す。ピザが良く売れたのは文字では無く大きく絵を描いたお陰だろうか。
「全てのメニューに絵を入れる、か」
いや、現代の紙製のメニュー表の様に細かい絵は塗料と筆の問題から描けない。帝国の塗料は鉱石を砕いているのだ。色が定着し難く塗り難いので大きな絵で無ければボロボロに崩れた絵になるだろう。
「スープ、売れ残っちゃったね」
「仕方ない。客は思った以上に看板のメニュー表の文字を見ていなかったのが原因だろう。明日以降はピザのみに仕込みを制限して販売することにしようか」
夕食前、2度目の客入り時の2時間前にピザは売り切れている。ピザのみの純利益は銀貨24枚。シチューは銀貨3枚前後。意外と薪の値段が高く付いたが、所見の商品の売り上げの割には良好と考えられる。場所によってはこれ以上の売り上げを見込める事だろう。
知名度を上げるために宣伝がてら大工ギルドの青年達に食事を振舞ったのが今後どれだけ作用するのかが今後の鍵になるだろう。
露店の片づけをして居ると窯の火を落としたあたりで1人の少女が露店の前で私に声を掛けて来た。
「あれ?もう終わっちゃったの?」
「ああ、ピザは終了、スープは残っているが窯の火を消したので営業は終了だ」
「もおーっ、アンタ商売が下手だね!客入りが一番多いのは夕方だってのにさ!」
「初めての出店だ、仕方あるまい?明日はもう少し準備しておこう」
プレミア価格と言う物がある。需要と供給のバランスの話で、単純に供給が多くなるほど価格は下がると言う物だ。逆に供給が下がれば価格は高くなる。帝国の露店の多くが自分で商品の価値を下げている事に気付いていないのだろう。
私が使っている手法ではプレミア価格を付けるために1日当たりの数を抑え、数量限定で販売する事で希少価値を高め商品単価を高くする。
儲けが一定以上であるのなら楽な方を選ぶのが私の商売のやり方だった。作業者の苦労前提で薄利多売の販売方法は私が疲れるのでやりたくない。
「じゃあ、スープだけでも頂戴よ!なんか小さいお兄さん達が宿で飲みながら自慢してて宿屋の娘として食べたくなったんよね。敵情視察ってやつ!」
同業者か。彼女が言う限り私と目の前の少女は敵であるらしい。過去の記憶から怒りが湧き出て来た。
全く以て容赦出来ない。
「そうか、いいとも。木皿は持って来たかね?」
「うーん。最高においしいパンって聞いてたから持ってきてないんだよね。明日洗って返すから貸してくれない?」
「木皿の販売はしていない。そのまま持っていかれる可能性がある以上は貸せないな」
「ケチだねー。まあ知り合って数秒だからね。仕方ないか、鍋を適当な所で買ってくるから3人前だけ残しておいてくれない?」
「20分だけ待つ。それ以上掛るなら我々は帰る」
予約を受け付けると転売されてしまう可能性が高いので特別扱いは出来ない。
私が転売をするのは良いが相手にされるのは良くない。第一産業が最も労働力を必要とするのだからその場所に自分から行くようなことはしない。
「アタシ結構、かわいいと思うんだけど?」
赤毛に青い眼。骨格と肌の状態を見るに大体15から16歳程度で肉付きも良い。やや幼さが残るが人間として最も美しいと言われる年齢だろう。
「ん?ああ、そうだな」
「少しは情ってもんが湧くんじゃないの?」
「商売敵にそれは無い。君が敵情視察と言ったのだから私と君は敵だよ。容赦しない」
商品を販売するには見た目も必要だ。
醜い商人よりも美しい商人の方が売り上げが多いのは事実。しかし、だからと言って同業者のご機嫌取りをする意味が無い。
如何にして相手を食うかが商売なのだ。
「ふーん。まあ、宿屋のウチとはお客さんが違うから良いけどさ。じゃあ、待っててね?」
「ああ、待っているとも」
赤毛の娘は興味が失せた様子であった。
私は露店の跡片付けをしながら彼女の宿屋をどの様に支配するかを考え始めた。
時刻は夕方前。陽がオレンジ色に大通りを照らしている。
「敵には容赦出来ないのだよ」
小声で呟いた言葉が身に染みていく。過去に自分の魂を掛けて誓ったその言葉。
老いも若きも男も女も私の敵は生かして置けぬ。
「消えて貰うぞ、名も知らぬ女」
如何に合法的に行動不能にするか。現在の武器は奴隷のコロに私の知識に少しの金。
相手は何処にあるかも知らない宿屋。
特に何もしていない敵を討伐する為に本気を出し始める。
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