第25話 我が闘争
翌朝。
昨晩から『麦の爪』の有効成分を石油の上澄みで抽出した。数日後に次の工程に入る事が出来るだろう。
日課となった酵母の空気混ぜと新しく瓶に酵母を作り始める。明日の開店準備をする為に今日は忙しくなる。
牛乳からチーズを作成し大きなボール状に丸めて上から重りを置き水分を抜く。
先日作成した酵母菌の出来を確認してから薪の在庫の確認。コロがベッドから起き上がって来たので朝食を取り、昼までにピザに塗るトマトソースを作る為に買い出しを行った。材料は温かい露店に其の侭放置されるのを防ぐ為にコロの魔法で保存。
後は夜にトマトソースを作り翌朝からパン生地を作れば販売できるだろう。
昼を過ぎた頃に客寄せの作戦を立てていなかった事に気付き慌てる。万全を期して準備したと思っていたらコレだ。
絵が貴族の趣味である帝国では料理の宣伝は難しい。看板は店ごとにあるが大体が文字のみの看板で絵が描かれていないので市井で絵描きを探すのは難しいだろう。有能な人間は貴族に取られている筈だ。
自分で描くしかない。
「コロ、塗料を買いに行くぞ。付いて来い」
「うん」
現在昼過ぎ14時。塗料が何処に売っているのかを知らないので商人ギルドに向かう。
「ああ、ヒロシ様。いらっしゃいませ」
受付嬢に名前を覚えられていたので必要な塗料の事を伝えると大工ギルドを案内された。
銀貨のチップを1枚渡して、直ぐに大工ギルドに向かう。
大工ギルドは石造りの大きな建物で出入り口が広い。門には美しい彫刻があり、アクィタニア帝国の芸術的な部分を担っている事を直ぐに理解できた。
私はコロを連れてギルドに入ると直ぐに大声を掛けられた。
「おい、おめぇさん新入りか?それとも依頼か?」
大声の元に近付き受付に向かう。大工ギルドの受付には何とも不機嫌そうな背の低い茶髪のおっさんが居た。服を着ていても筋肉質であり、口髭を蓄えている。
「依頼を。塗装を自分でやりたい。塗料と木版、場所を借りたいのだが値はどれ程掛かる?」
「あん?あんた変ってるな。職人に頼んだ方が出来は良くなるだろうに」
「急ぎの上に新しい商品なので私しか絵が描けないのだ」
「そうか、仕方ねぇな。おい!グロウ!ギルドの隅の部屋を貸してやれ!」
小さいおっさんは別のギルド職員を呼んだ。現れたのは私の背丈の半分程度の茶髪の青年で別種族を感じさせる。人間よりも手が小さいからこそ門にあったような細かく美しい彫刻を掘る事が出来るのだろうと想像できた。
私の背丈の半分程の大きな木版を買い、案内された部屋で看板を描く。
下地は黒板の色。乾いたら1ピースが持ち上がり、そこからチーズが伸びるピザの絵を描く。
ピザ生地もチーズも黄色や白の光を反射する色合いを使用するので目立たせる為の下地である。
絵を乾かしている最中、後ろで私の作業を見ていた案内役のグロウ青年が看板を見て出来を確認した。
「ほう、なかなかやるじゃねぇか。良い絵だぜ?お前、名前は?」
「ヒロシと言う。そこに居るのは奴隷のコロだ。明日にでも食品の商売をするので機会が有ったら売り上げに貢献してくれたまえよ。少なくとも看板の代金を回収しなければ丸損だ」
「昼食としてはお高いじゃねえか?他ん所だと4つは買えるぜ」
グロウ青年が看板を見て唸る。値段も表記しているが、ピザ1枚の値段では確かに高値だろう。
1ピースでの値段も書き足しておく。8枚切でピザ1枚の2割増し。まとめ買いでお得感を出す。
計算が出来る人間に対して良く使う手法であり、計算をしてピザ1枚の方が値が安いと言う所までを確認させ、計算疲れを起こす事で【買わない】と言う選択肢を無意識に遠ざける為の手法だ。
人間の脳は疲れやすい。簡単な計算でさえ相応の糖分を使うので計算直後は俯瞰的に物事を考えにくくなる。
「切り分けるので半分だけ買えば良い。仲間を連れてきてくれたらサービスしよう」
「ふうん?まあ、新しい飯と聞いて気にならない訳では無ぇが・・・。もっと安いのは無いのか?」
アクィタニア帝国では見習いも親方も同じグレードの物を食べている。
これは、平民は稼ぎの高低で生活水準が変わらない事を示しており、貴族と平民との身分の差を強く認識させるものであった。平民での料理人の水準の低さは家庭料理の延長上にしかない。そして肝心な家庭料理の水準が大変低い。貴族でさえ香辛料の少ない食生活をしていたのだ。平民の家庭料理に調味の認識が無い事は宿屋に宿泊していた時点で認識していた。
私の目的は平民の中に食事の差異を齎し競争を煽る事。これは食べている物で稼ぎの違いを認識させる事で平民の中で身分か階級を作ると言う意味がある。
「スープも売る予定だ。これは他店よりも1.5倍程の値段にする。そうだな、グロウ青年が2人以上友人を連れてきてくれたなら1度だけスープと絵に書いてあるピザを人数分、無料にしよう」
「タダだって?あんた、それで儲かるかよ、5,6人は連れて行くぜ?」
「なに、店の話を仲間の間でしてくれれば良い。それまでを含めて食事の代金とする。深めの木皿は持ってきてくれたまえよ?」
私が知る限り新しい物は忌避される傾向にあるが、噂を広めれば平民で金を持っている層に届く。
広告料の代わりだ。短期的では損失だが中長期的に見て儲けに繋がる筈だ。
「じゃあ明日にでも行ってやるよ。木皿は持っていくぜ」
「ああ、正午に開店だ。待っている。」
アクィタニア帝国では露店で買った食事を歩きながら食べる文化が有る。
勿論、不躾ともいえる行動をするのは平民だけだが、労働階級にある人種の飯の時間は限られているのだ。歩き食いは労働者の証ともいえるのであった。
大工ギルドの受付で塗料と看板、部屋代の銀貨1枚を納める。
コロに看板の片側を持たせて2人で店まで運び入れると太陽が沈みそうな時間になっていた。
帰宅後すぐにトマトソースを作成する。トマトに東方のマギと玉ねぎを入れて煮詰め、粘度が出たら塩で味付け。
牛乳でバターを作った後に玉ねぎをスライスし小麦粉とバターを合わせる。粉っぽさが無くなるまで炒めたら朝のチーズの作成時に出たホエイと牛乳を合わせた物でホワイトソースのペースト薄め、程よい粘度になるまで煮詰めて塩で調味した。具材が玉ねぎのみのホワイトシチューだ。
安く作る為には此処まで具材を減らさなければ利益が出ないのだ。人件費は代金の3割で計算している。
「今日はホワイトシチューとピザトーストだな」
コロと共に食事を摂る。この献立では野菜が足りないのだが、明日に販売する商品の最終チェックの意味を込めている。
「コロ、味はどうだ?」
「どっちもおいしい」
明日は帝国で初の商売だ。私自身、コロに商品の出来を確認させるのは意味が無いと解っていても聞かずにはいられなかったのは無意識に緊張していたからだろう。
緊張するのは久しぶりだった。人間社会の中から離れていた期間が長かったのだ、当然とも言える。
「コロ、明日は早起きだ。日の出に起こすぞ」
「うん。・・・頑張ろうね?」
他の露店と戦う闘志は有る。私が知る限り最も苦労するであろう瞬間が明日に控え、無意識にでも緊張しているのを自覚した。
頑張る。困難に耐え努力する事のなんと懐かしい事であろうか。
社会人であった頃の記憶が蘇る。私は胸刺す痛みを耐えながら、何でもない様に振舞った。
「ああ、商売は得意なんだ」
走り出したら止まってはいけない。
計画は綿密に、実行は楽観的に。私の闘争が始まるのだ。
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