第21話 前準備
コロが安い理由が判明した。
こいつはコクシジオイデス症の媒介者の可能性がある。
・・・吐きそう。
「お前は・・・何年まで生きたい?」
コクシジオイデス症は半乾燥地域の風土病で、病原性はペストに相当し、極めて強い。
当然ながら患者は隔離されなければならないし、コロが媒介者だった場合は接触した時点で私にも感染しているだろう。
宗教を作っておいて自分で祈るのはある種の皮肉に違いなく、運命の悪戯にはつくづく笑わせられる。
なんせ、現代医療においても播種性のコクシジオイデス症の治療は困難であるのだから。
風砂熱と呼ばれているのは、半乾燥地帯の限られた地域の土壌中に生息する原因真菌が強風や土木工事などで空中に舞い上がり、これらの分生子を吸入することにより肺に感染を起こす事を経験から知っているのだろう。『強い風が吹くと、砂と共に飛来し患うから風砂熱』と。
なお、0.5%で死ぬ模様。
コロは俯き、少し考えた後に答えた。
「わからない。けど、死ぬまで生きる」
「そうか」
私が労働力としてコロを購入した以上、元を取らなければならない。私が居た時代では人に値段を付けるのは非道徳的とされていたが、馬鹿と天才の値段の何方が高値なのかは誰でも知っていた。
言うまでも無いがコロには金貨1枚以上の働きをして貰わなければならない。
要はコクシジオイデス症の症状を発症した場合にコロの為に薬を作るか否かの問題になった訳だ。
なんせ、アクィタニア帝国では奴隷を殺処分できる。
ティベリスとの会話からこの時代には『未来』や『将来』という概念が無い事は予想出来ていた。
これは不可思議な事では無く、時間と言う現象の経過と順序を記述する一次元の連続変数の存在の認識は哲学思想から生まれたものであるので、時代によって認識が違う。
例に、どの時代でも人間は息を吸わなければ生きてられない事は知られているが、何を吸っているのかは解明されていない時代があった。これは目に見える物体以外の認知が出来ず、空間が『無』であると考えられていた為だ。
つまり、一般認識として『目に見えないものは空想上でしか証明できない』と言う事である。
医療・宗教・哲学に呪いの類が紛れているのはこの為だろう。私は宗教ギルドで正式な書類を用いて『もちゃめちゃ教』をティベリスを交え登録した。
当然ながら自身を守る盾にするつもりである。布教活動を行うに当たり多数の思想において道徳的で善良性を持った宗教でなければ帝国からの処罰があるが、『目に見えない現象についての解釈を宗教的な観点で行うことが出来る』。
現在の帝国の文明の程度を見るに、大変重要な部分であった。
「よく食べていた物はあるか?」
食べている物を聞くのは、その国の社会性や環境を判断するためである。
食べ物に関心が無い国の人間は他人が作るからと言う理由付けが出来る。また、食べている物から土地は乾燥しているのか、風が強いのか等の風土をある程度予想を付ける事が出来る。
「薄いパン、塩のスープ、たまに羊肉。貧乏だった」
アクィタニア帝国は大規模な征服事業の関係で移民が多い。
様々な人種が入り乱れる中で商売の相手になるのは勿論、この国に多い人種になる。
特に食べ物と言うのは地域性が根深く反映されるものだった。移民の国の特徴として、多文化の融合が起こり各地域の特徴に根ざした文化が生まれる。
巨大な大陸において北は凍える程に寒く、南は照り付ける様に熱い。その中で育まれる文化は多種多様であり、別種族の生活が入り乱れている以上、それぞれの種族を尊重するか或いは個人主義的な思想が有るのを実感していた。
この国については現在、産業革命以前の形態を取る成長期であり技術、特に絵画や彫刻、音楽と言った生活に必ずしも必要でないものの発展が目覚ましい事を考えるに安定期ともいえる時代であり、かのローマ人の様な実利的な思考から政策の寛容さが伺える以上は娯楽を求めている気質が有るに違いないが、その優雅な娯楽の為に健全な政治原則を曲げる民族では無く、奴隷の値段からも征服事業の際に出る大量の奴隷が安い値段で買い取られているわけでも無い以上、異国からの奴隷供給は少なくなっており、奴隷の値打ちが高騰して言っている最中であると言える。主人が持つ生殺与奪の権利が個人から取り上げられていない以上、その権利は乱用される傾向にあると考えられるが、今後長期的に見ると奴隷の値段は上がり続けるだろう。
「そうか、いつか作ってやろう」
生殺与奪の権利が主人にあるとはいえ、折角買った奴隷を簡単に潰す気はない
従業員の心の安定が作業効率に影響するので、ある程度の融通をしてやるのは雇い主の義務だ。
羊肉については家畜に向いている事からこのアクィタニア帝国の畜産の半分程度を占めており、残りは、豚、鶏、牛、馬。の順で多い。畜産は盛んであるがその品種・遺伝子改良が加えられていない事もあり味はお察しだったが先日の家庭教師ごっこで買った肉串の味を考えるに料理の基本的な考えは市井に伝わっては居ない。血抜きの処理に関しては現代と変わらずとも保存している環境は温暖な気候にも拘わらず保冷の考えが無く、塊肉を机か地面に敷いた藁の敷物に直置き販売で衛生的では無かった。
私がする事業のライバルはそれらと言う事になる。商売に関して事業を1つに絞り込むのはリスクが高い。その1つの事業に負債が出た時点で事業の負債が確定するからだ。
事業は複数行う事で一か所に負債が出ても、他の利益で補う事で平均的な損失を抑える事が出来るので別ジャンルの事業を複数起こす。
最終目的は宗教及び医療関係の従事による高給取りになる事で、食品のサービスに関してはある程度のブランド化が出来た時点でティベリスに権利を売り渡す算段だ。
スマートフォンのアラームが鳴る。
奴隷とのコミュニケーションはあまり良い物では無かったが初めて会う人間同士なのだ。今後に期待する他ない。
私は窯を確認して、パンに串を刺す。
「よし、完成だ。食事にしよう」
外を見れば夜の帳が落ちている。
チーズを作り、パン生地の作成と焼成をするには意外と時間が掛るのであった。如何に効率化するかが今後の課題だ。
コロと対面して食卓に着く。
コロに焼きたてのパンを半分に千切ってチーズをのせた後に渡した。
パンを口に含むとパンの熱で半液状化したチーズが柔らかく口の中に溶けた。うまい。
「おいしい」
コロも気に入った様子だった。
私はブドウに手を伸ばす。冷えたブドウは僅かに甘く、酸味の方が強い。味が全体的に薄く現代の品種改良の素晴らしさを強く感じた。好みの味ではないがパンだけでは栄養価が足りていない。栄養学は近年の研究で明かされてきたものだ。この時代で考えると平民の多くに腹に溜まる炭水化物が好まれ、栄養不足を原因とする平均寿命の短さが顕著に表れる。
食事を食べ進めているとコロの手が止まる。
「もう、お腹いっぱい」
「ブドウも食べなさい」
2kgのパン生地を6つに分け、それを半分。約160gの重量のパンと少しのチーズでコロの食事が終わる。この食事量は明らかに少ない。コロの見た目は10に満たないが・・・。
「コロお前、年齢は?」
「11歳」
栄養不足が原因だろうか、現代で言うと5歳の食事量よりも少ない。
明らかに危険だ。先の貧しかったと言う発言から胃が縮まったと言う事は察する事が出来る。
「そうか・・・。ブドウをもう少し食べなさい。病気になる」
免疫力が高ければ病気になりにくい。現代では当たり前の事だが現代でも発展途上国の平均年齢は低い。
これは、空腹だからでは無く、栄養バランスの教養が無い為に腹に溜まる炭水化物を好むからである。
言うまでも無く免疫の低下から風邪を引きやすく、病気になりやすく、怪我が治りにくい。
「もうお腹いっぱい」
「わかった。ジュースにする」
私は手に残ったパンを口に含みブドウの房を半分ほど分解し皮ごとすり鉢で磨り潰す。
木製のコップの半分程度のジュースが出来上がり、砂糖と水を少量加えて調味した。
「ほら、これを飲んだら歯を磨いて寝とけ」
コロは木製のコップを受け取るとジュースを一口、口に含んだ。
私はこの時、始めてコロの笑顔を見た。
「甘い。ありがとう」
「ああ、どういたしまして」
軽く頭を撫でてやる。ジュースにした時に出た、ブドウの屑は残りのブドウと共に私の腹に入った。
食事の後には件の薬草を口に含む。ここ数日の間、歯磨きの代わりになると言われたこの薬草の効果を感じる事が出来ずにいた。なぜなら歯の表面のざらつきは取れても歯間の汚れを取り切れていない気がしたからだ。これは、歯ブラシを日常的に使っていた私の習慣に関わる違和感であった。
そこで私は薬草を噛んだ後、歯間に粘り強く細い糸を通して歯間を磨き、歯の表面は布で磨く事で歯ブラシの代わりにしていた。
「何やってるの?」
コロは私の様子を見て不思議そうに声を掛けてくる。
「歯磨きだ。如何にも薬草のみと言うのは体に合わなくてね」
ティベリスの歯を見る限り薬草を噛むだけのアクィタニア帝国の歯磨きの仕方には問題が無いのだろう。
あの年齢まで歯を失っていない事が理由に挙げられる。歯磨きをしていなかった中世には40代には全ての歯が抜け落ちていたと言う話を知っていたからだ。
まあ、習慣に固執するのは仕方なく感じる。別段悪い習慣で無い事も考えれば特段、絶つべき習慣では無いだろう。
ろうそくの灯が薄暗く部屋を照らす。ティベリスの館とはまた違う光の色に多少満たされた腹の具合を確かめながら藁のベットで眠りの準備をする。
「コロは此処で寝なさい」
「うん」
コロを別部屋で寝かせる。
私はコクシジオイデス症の症状が出ない事を祈りながら明日の特許申請の事を入念に頭に描き、眠りに付いた。
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