第18話 よくある話

「先ず、トラヤヌス。私の娘。このティベリスはお前に何も言わずにいるつもりであった。世界には知らない方が良い事も在り、知った所でお前の心を蝕むだけであるならば、お前がこの会話に混ざる必要はない。私はお前が幼少の頃から正しい貴族で在ろうと努力している事を知っている。だが、今からする話はお前の理想を消し去ってしまうだろう。之が最後の機会である。席を立ち、晩餐での話は忘れるが良い」



トラヤヌス夫人は晩餐から焦燥している様に感じていたが、この会話までに落ち着きを取り戻したのか平然としていた。



「では、何故。この旅人にだけ話そうとするのですか?彼は貴族でも、屋敷の人間でも、ましてや家族でも無いではありませんか。お父様と気が合うのは知っています。たった2,3日程度の交流で貴族の傘下に入れるなど、余程気に入ったと謂う理由が無ければあり得ません。しかし、気に入ったと言うだけで、家族にさえ話そうとしなかった事を、何故話そうとするのですか」



「ヒロシは私の状態と帝国の人選、先の晩餐での会話から確定的に察して居ただろう。この国の人間でも貴族でも無いのにだ。それがどれ程難しいかお前には解っているのか。貴族の生まれであるお前が察する事が出来ずに旅人の、この屋敷にたった2,3日しか居なかった人間が私の考えを言い当てたのだぞ。一言も話していないのだ。話せる筈が無い事をだ。トラヤヌス、お前はヒロシの能力を見縊みくびっている。それが、旅人と言う身分からか此奴の性格を理由にしているのかは判らないが、身近に居たお前が察する事が出来なかったのだのだぞ」


悲痛な叫びのような声はティベリスからの評価である。アクィタニア帝国よりも高い文明力で脅して来たかいがあるという物だ。


恐怖とは未知から来るものである。自分で頭が良いと思っている人間ほど、単純な物を複雑に捉え必要以上に恐怖する。


相手よりも精神的に上位に立つのは基本中の基本。貴族に対して不遜とも取れる態度が幸いした瞬間である。無言の説得力と言うものがあるのだった。


ある程度、経験や歴史からこういった理由だろうと言う予測は立てられる。見当違いの可能性も高いが鎌掛けは成功であった。



「簡単な推測だ。何処の国にでもある事だから恥じずとも良い。それとご婦人、お聞きにならない方が良いと思いますよ、貴女は素直な方だ。この話を聞けば貴女は精神を病んでしまうかもしれません」


忠告しておく。


人間はたとえ其れが自分の為の忠告でも抵抗があり、僅かに嫌悪を示す。つまりは忠告の逆の行動をとりやすいのだ。私の場合は特に先程の無礼がある。気に入らない人間の言葉に耳を塞ぐのは身分関係なく誰しも同じである。


現状を鑑みるに、貴族騒動に巻き込まれる可能性がある。余計な頼みをされた場合に夫人を利用して私の介入を否定させる事が出来るかもしれない。



「いいえ、お父様。私とて覚悟を決めて貴族として生きているのです」



「そうか」



恐らく、夫人は【綺麗な貴族】なのだろう。


高位の貴族で在るから、周囲に悪意から守られ育って来たのだと想像できる。


だからこそ、困難に対して真正面から立ち向かおうとしているのだ。


私とは違う育ち方にある種の妬ましさを覚えた。自分の生まれを嘆いている訳では無いが、誇らしいと思った事は無い。


ティベリスは続けて話し始めた。


「このティベリスが若かりし頃に親友とも呼べる男が居た。名はアリウス・クライス。共に征服の戦場を駆けた男であった・・・。」


ティベリスの話を纏めると戦場で友人を見捨てて殺し、友人が考え出した兵士の訓練方法を皇帝に提出した事で帝国の軍部指導者になったと言う話だった。


長年、その兵士を壊さない手法を指導者として振るって来たが為に兵士からの信頼は厚く、本来であればクライス家として皇帝に献上する筈だった手法を盗まれたが為に、ティベリスを憎む派閥が誕生した。


ティベリス自身、その事について負い目を感じているので大人しくしていたと思っていたと言うのが彼の吐露した心情だった。


事実だけを連ねるならばティベリス自身の心の弱さ故の過ちだと思うが、戦時下で友人が自身の命の代わりに救った民兵の話や平民を潰さない訓練方法を考案する辺りその男の性格は判る。


長い付き合いの内でその男の性格をよく知っているティベリスが、男の遺産とも言うべき訓練法の話を聞いていて、それを広めたのは不自然ではない。


私には何故負い目を感じているのか理解できない考え方だった。


アリウス・クライスが家族にその方法を伝えていたのなら、何故親族が皇帝に真っ先にその方法を献上しなかったのかが問題になるし、ティベリスのみに伝えていたのならば自身が死亡した場合、ティベリスが皇帝に献上するのはアリウス・クライスの望む部分である筈。


ティベリスの敵対派閥になったと言う事は家族はその訓練方法を知っていたからに違いない。では何故真っ先に献上しなかったのか。


私が想像するに御家問題。


ティベリスは相手方の問題を擦り付けられた可能性が高い訳だ。


または、従来と違う訓練法に正当な評価が出来ず、後に之が評価されるに至った事による嫉妬か。




ティベリスが私にこの話をしたのは、彼なりの誠意だろう。私が想像する以上に貴族社会は複雑であった。


利益に準ずる私が立ち入るのには損失と利益の天秤が損失に傾いている様に思える程に。


ティベリスを隠れ蓑にするにも、隠れ蓑に火の粉が付いていたのならば何時発火するのか判らない。


彼は今、私に覚悟を問うているに違いない。『それだけの厄介事が在る』と。



いざとなったら逃げる心算でいるが、商売の基本は積み上げる事。


長期運用前提の商売が出来なくなるが、これはかなりの痛手だった。


ティベリス傘下と言う事はクライス家と明確に敵対する事になるのだから、その対応も必要。


しかし、


この国で商いをするのであれば、権力者の介入が邪魔になる。


要は、帝国の首都である所に館を構えるのは貴族にとってのステータス。その貴族連中の庭で商売をするのであれば大々的な事は出来ない。貴族の庭を踏み荒らす事になるからだ。


始めは良いが、中期的に考えるなら気にしなければならない問題だった。ティベリスと言う渡りを付けられたのだ。私の商いを金持ち相手に出来る可能性を捨てるには余りにも惜しい。




面倒が嫌い。名声は要らない。が、現金は欲しいと言う人間は現代にも多い。




逆なのだ。




人は利便性に金を払い、名声に寄ってくるのだから、金を稼ぎたいならその両方が必要になる。


私は小金を稼ぎたい訳では無い。


少額で事業を始めるのなら名声で人を集め、集まった人間に利便性を売りつける。


商いだけではなく、投資や起業の基本だった。



「面倒を擦り付けられたな?」



「私の贖罪だよ。親友を見捨てた私のな・・・。私は誠実であろうとし続けた。かつての親友の様に」



負い目からの行動か。



「まだ、死ぬなよ?死ぬなら何かを遺して逝け」



こういった手合いは自分の感情を優先する。


だからこそ、自分の思っている事を素直に伝える事にした。


感情を吐露している弱った人間に対しては、さり気無く目標や励ましの言葉を与えるのが良い。


人間は自分に都合の良い部分しか聞こうとしない。


知識人の場合、明らかに励ます言動をするよりも、さり気無い気遣いの言葉の方が良く響くのだ。


『死ぬなら何かを遺して逝け』つまりは『未だ、何も遺していない』。



死ぬ事を否定し、行動を促す言葉だった。


今後の付き合いに積極性を持たせたいが故の発言。ティベリスの目標は何か知らないが私の【目標】にすり替える事が出来るかもしれないのだ。


ティベリスが目を見開く。こう言った言葉を言われたことが無いのだろう。



「友の訓練法だろ?お前も何か生きた証を遺せ。人は死ぬが偉業は消えぬ」



ティベリスの心に火が灯るのを感じる。私を見つめるその眼が、まるで懺悔をするかのような弱者のそれでは無く、さかんな精力に燃え立つ人間の眼になったからである。



私はその為に存在する。


何も遺せず、路傍の石の様な人生を歩む人間が居る中で,荒野の中の1塊の黄金の様に光り輝く偉業が確かに存在する。


歴史に名を刻むのだ。


人類史は戦争で死んだ雑兵や何もしていない民草を記さない。


語られ、紡がれるのは何処の国でも偉人の人生だ。


未来永劫語り続かれるであろう偉業を遺す。私の生来の目標であった。


目標の無い人生は絵の描かれていないキャンバスの様に無価値だと知っているのだった。



「ヒロシ、私はお前が成す事を見てみたい。お前は技術の優れた国から来たに違いなく、的確で均整の取れた精神を持つその心性が、私に利するに違いないからだ。もう、やる事は決まっている。私も、お前も」



力ある目で私を睨む。少なくとも出会って僅かの人間に向けるような目では無いが、信念のある人間にしかできない眼差しであった。


私は笑い彼を見つめ返す。



「違いない。見物料は頂くが・・・特等席で見せてやろう。私の偉業を」


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