第17話 その男

ティベリスは無言で答えた。


「トラヤヌス夫人にはもう話したのか?」


「まだだ。そも誰にも話す気などなかった」


ティベリスは諦めたような表情。


トラヤヌス夫人が目に見えて動揺している。今起きていることが解っていない様子であった。


大分きな臭い話になって来た。ある程度ドロドロした貴族社会は想像していたが、早速その沼に片足を突っ込んでしまったのだ。自分の運の無さにはびっくりする。


私は笑顔でユーリ嬢の方を向き話しかける。


シフォンケーキは全て食べられていた。話をしていた大人陣とは違うのであった。


「ユーリ嬢。デゼールのお味はいかがでしたか?少々大人の味であったと思うのですが」


自立を求める年齢だ。大人っぽい事に憧れて行動する年齢であるが故にこう言った。


自尊心を刺激する事で今後の取引をしやすくする。


「おいしかった。また作ってくれる?」


満足したらしい。万人受けする味なだけあった。


「ええ、勿論。ご注文いただければお作り致しますよ。ご婦人もお気に召したら是非ご注文ください」


先程の空気を霧散させるように明るく振舞う。全員がデゼールを食べ終え今回の晩餐はお開きになった。


私はユーリ嬢が部屋に帰ったのを確認した後、席を立とうとするティベリスとトラヤヌス夫人を呼び止める。


「失礼、ディジェスティフのホットワインが残っていますが如何いたしますか」


あの話の後だ。お前たちの話し合いに私は必要かと言外に尋ねた。


「……そうだな。此処で話す事では無いだろう。私の部屋に持ってきてくれ」


私の質問は正しく伝わったのだろう。少ない時間で思考し真意を汲み取る技術は流石、大貴族と言えた。


私は厨房に戻るとワインを小鍋で温め砂糖とオレンジピールを入れる。


彫刻が美しい金属で出来たワインゴブレットの7文目まで温めたワインを入れた。


「ティベリスの部屋だったな」


私は3つの杯を持ち、ティベリスの部屋に向かう。


敵について考えてみよう。


一般的に征伐後の人の倫理観は薄い。戦後は犯罪が多くなる傾向にあるのは、壮絶な戦中に於いて人間の倫理観が邪魔になるからであり、それらを捨てられない人間は須らく死ぬ傾向にあるからである。


言うまでも無しに現在、このアクィタニア帝国は征伐を完了し支配した国の技術を享受している状態であるが、人間の狂った感性は長い期間を以って修正していくものであり、詰りは征伐を指揮していた貴族でさえ、その倫理観と言う理性が薄れている状態であるという事が解る。


利益を目の前に吊るされ暗殺を企てた豚か、征伐による倫理観の喪失で損得でしか物事を考えることが出来なくなった狂人か。それともティベリスの誅殺か。


理由は幾らでもあるが、唯一許されない点がある。


「この私の利益に喰い込むような事をしてやがる」


別段、ティベリスが善人だとは思っていない。貴族なのだから利益の為に他人を貶める事など数えきれないほどあるのだろう。しかし、しかし。


私の。


この私の邪魔をしているのだ。


消えて貰わねば。


私は私に不利益を齎す人間を許したことは無い。そう在るべきとも考えている。


私の考えが変わらない以上、私の行動は変わらないのだ。


ティベリスの部屋に着くと軽くノックをし、中から返事を待つ。


入室の許可を貰い中に入るとティベリスとトラヤヌス夫人が座っていた。他の従者が居ない以上、機密性の高い会話になるのだろう。


「失礼する。して、ティベリス。詳細を」


挨拶など早々に席に着く。配膳し終えたホットワインを1口飲み込み、ティベリスに会話を促した。


ティベリスは神妙な顔で髭を擦り、ため息と共に言葉を吐き出した。


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