第12話 第一印象の操作




準備?とギボンが呟く。流石に調理後の匂いの付いた体で向かう訳にもいかないし、少し情報を操作する必要も感じていたのだ。


「そういえば、その方は男性か女性のどちらかな」


「・・・名前で解るでしょうに。女性ですよ」


女性であるメアリ嬢とギボンが着付けの手伝いをするのだからある程度の予想は付いていたが、名前からの情報からは男性のイメージであった為に聞いたのであった。女中の着付けは業務である為、性別は考慮しなかったり、性の目覚めの為に異性の従者を着付けや浴槽での奉仕で使うというのは旧時代では普通に行われていた事であるが、この国ではそういった事は無いのだろうと予想できた。


「私には馴染みがないのだよ」


肩を竦めながら苦笑する。私自身こういった慣れ不慣れの問題には滅法弱い。


性別の如何に関しては男女で好かれやすい性格が違うので相手方の情報は少なからず必要で在った。


男性は力強さを好み女性は感情を好むのはどの世界でも共通である。


「さて、試食を早めに終わらせようか。ギボン、1切食べる位の時間はあるだろう?」


残念ながら焼きたてのピザを全て平らげる時間は無いだろうから残りはこの厨房に放置する他ないが仕方ないだろう。


メアリ嬢とギボンが仕事に向かうのを見送った後、私はピザを2,3枚食べた後に湯浴みをする為浴槽へ向かった。この世界の石鹸は質が悪いので自前のミョウバン石鹸を使う。ユーリの存在からトラヤヌスは夫人と言う事になるだろう。正直なところ、女性の年齢層の中で最も気を遣う年代だった。言うまでも無いが細心の注意を払う必要がある。


ミョウバン石鹸で体を念入りに洗い髪にも香り高いリンスを付けた。浴室から出ると水分をタオルでふき取り、手首と首元と顔面に香水をつける。相手が女性なので柑橘系の刺激的な香りにダージリンティーとネロリのフローラルな香りが特徴の香水を付けた。


髪は無臭のワックスで固め首元にゴールドクロスのネックレス。


腕時計はベルトがボルドー、ケースがゴールドのシンプルな物。塩水でうがいした後に強刺激のミントタブレットを3つ口に放り込んでシルバーの伊達メガネを掛けて準備は完了。


気分は3割増しで男前だ。


・・・気分だけだが。


口角を上げ下げして顔の表情筋に刺激を与えていると初めて見る年配の女中が私を呼び、ティベリスの部屋に案内された。


「ティベリス様、トラヤヌス様。お医者様をお連れ致しました」


ティベリスの私室には長い青髪の女性。部屋の端にはギボンとメアリ嬢が控えている。身形からこの人がトラヤヌスだろう。女中が先に挨拶をしたのがティベリスからで在った為、未だティベリスの力の方が強いであろうことは察する事が出来る。


ティベリスは恐らく茶を飲むためだけの白く丸い机の周囲にある芸術性の高い椅子に座っていた。


トラヤヌス夫人の帰宅を喜ぶ為の席であろう。


私はティベリスの近くに寄り言葉をかけた。


「ごきげんよう、ティベリス。調子はどうかね?」


「ヒロシか、良く来た。先ずは席に座ると良い」


ティベリスに促されてから席に座る。面接の基本である。


着席すると私の前に女中が茶を置いた。香りから紅茶である。


「して、何用かな?」


ここ数日の間、比較的出入りが多いティベリスの私室であるが、今までは利用するための『友人』として呼ばれ、今は貴族の命を預かる『医者』として入室している。貴・族・語・が必要であろうことは容易に考えられる事であった。


「私の娘を紹介しようと思ってな。このアウグストゥス・ティベリスの庇護下に入ったのだから最低限の顔合わせは必要であろう?」


ティベリスの娘であるトラヤヌスは庇護下に入ったという言葉に強く反応し、目を見開いた。


ティベリスがフルネームで名乗る事に意味があったのであろう。家名を出した以上、領主家として庇護下に入れると言う意味である事を強調した形になる。


「此れが娘のアウグストゥス・アルカ・トラヤヌス領主である」


トラヤヌス領主が軽く会釈し私に話しかける。


「アウグストゥス・アルカ・トラヤヌス領主です。初めましてですね異国のお医者様。父がお世話になっています」


座りながらの挨拶。お茶会か。


恐らくティベリスの気遣いだろう。私的な用事とすることで私の無礼な態度をトラヤヌスに前もって見せている。こう考えると公式の場での無礼は罰則がある可能性が高い。



「初めまして、ナイハラ・ヒロシです。今は医者をやっていますがこの度ティベリス前領主からのお声掛けで庇護下に入れていただくことになりました。恥ず事無きよう努めます」


微笑みながら会釈する。顔合わせと言う事なので第一印象を良いもの人する事を心がけた。


ティベリスが少し驚いた顔でこちらを向く。


「ヒロシ、お前はもう少し無作法な印象だったのだが」


「ご婦人の前なのだから格好を付けているだけだ。トラヤヌス夫人への顔合わせと言ったのはお前だろう?誰にでも無礼な態度を取る訳では無い」


まぁ。とトラヤヌス夫人の小声が聞こえた。彼女が私に注目している事を確認した後、私は苦笑する振りをした。


女性は感情的で自己中心的だ。仲が良いという所を見せつける事で今後の行動に対して口出しをさせないようにする。


庇護下に入ったのは利用し合う前提の友人であると印象付けをすることで、彼女の感情の矛先を私に向かせないようにする事が目的であった。


ティベリスの仲の良い友人。つまりは対等であるという事を印象付ける事で、庇護下に入ったのは部下になる為ではないという事を言外に悟らせる目的があるのだ。


「バーベンハイル家の長男を殴り飛ばしたのは?」


ギボンにも同じことを言われた。今回問題になってくるのは此れだという事は理解している。


つまりは弁解の機会を得ているのだ。ティベリスとしても主治医に対しての暴力となれば黙っているわけにもいかないのだろう。恐らく、トラヤヌス夫人への説明も含めている。


「簡単に説明しよう。人は水を飲まなければ死ぬと言う事は知っているな?」


「当たり前だ。3,4日程度の間に水を飲まなければならない」


「ワインには体外に水分を放出する働きがある。飲酒後に手洗いに行きたくなるのは此れが原因だ。熱い湯もいけない。発汗で水分が奪われる。つまり、唯でさえ水分が不足している中、体外に水分を排出していたのだから当然死ぬ。お前は頭が回らないと言っていたな?酷くなると意識がなくなり、痙攣が起こり最後に腎不全で眠るように死ぬ。バーベンハイル家の治療は客観的に見て殺人的だ。私は水分補給に徹した。重症になるようなら注射器での点滴を行う必要があったが、そこまで症状は進行しなかったな」


本音を言えば点滴はしたくない。輸液を作成したが、人体実験をしていると言っても被験者は1人で長期の経過報告も無い。点滴は滴下数と言う1時間当たりに輸液する量が決まっている。例えば今回の食中毒での脱水症状に対しては1000mlの点滴を腕か足に行うが1時間当たり500mlの輸液。つまりは2時間かけて輸液を行う。これは食事がとれずに脱水が進行し、麻酔掛った状態に対しての最終手段だ。人体実験の被験者が足りない以上、進んでやるわけにはいかなかった。


私は両腕を広げ余裕を見せつける様に笑みを作る。


少々芝居がかってはいるが説得には雰囲気が重要だ。確固たる自信を見せつける事と断言する事。今回はそこに重きを置く。


「私がしたことは正当だよ。貴族に毒を盛って殺害しようとした人間を殴って止めた。そして、ティベリスよ、お前は幸運だ。他ならぬ私が行った医療行為は極めて正しく論理立っている」


ティベリスは俯き顎髭を弄りながら何かを考えている。トラヤヌス夫人についても唇に左手の人差し指を当てて目を閉じていた。少なくともこの茶会の席に沈黙が訪れた事は確かである。


暫くするとティベリスは私に問いかけた。


「それを証明できるか?お前が話すことは確かに論理立ってはいる。このティベリスが認めよう。だが、バーベンハイル家はこのアクィタニア帝国が認めた貴族。それも医療行為のみで貴族位を得た名門だ。お前の言葉はアクィタニア帝国貴族の否定に他ならない」


つまり、同様の症状を同じ方法で対処し生存率を上げる事が出来るのかと言う問い。


逆に言うならばバーベンハイル家の治療行為を行い生存率を下げる事が出来るかと言う問いである。


私は考える。ティベリスの言葉の後に強烈に匂い立つこれは、金の匂いだ。


それも濃厚で、濃密で、上等な。


溢れる笑みが止まらない。要は宗教や根拠の無い医療を行う藪共に現代医療の革命を起こせと言う事だろう?


ティベリスを眼前に据え、溢れる笑みのまま問う。


「5年貰う。ティベリス、私に投資しろ。5年後にお前の名前を歴史に刻んでやる」





5年後、医学と呼ばれる新しい学問が生まれる。人は神が作り出したものと言う教会の主張を根底から覆すものであり、この学問は、生命の元があると断言しそれを進化論と呼んだ。


また、科学と医療を高度に融合させた学問であった。


その学問は、今までの魔術や精霊、根拠も効果も無い治療を完全に否定した。


この学問の基礎は症状を観察し実験を行い推論すると言う方法を提唱し、それは『論文』と呼ばれた。


現在隠居生活中の大貴族、アウグストゥス・ティベリスが提唱したものとされているが本人は否定している。


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