第10話 光の中毒性
◇
メアリ嬢にジャムと温かい紅茶にパンを持たせティベリスの部屋に向かう。ギボンにはお嬢様用に同じものを持たせたので勝手にやってくれるだろう。
メアリ嬢が入室するとティベリスの声が聞こえた。ティベリスは声に出しながら本を書く癖があるようだった。
「邪魔する。経過はどうかな?」
「ああヒロシか、特に問題はない。快調に向かっているのがはっきりとわかる」
鶏肉からの食中毒であったのでサルモネラ菌であると予測を着けたが正しかった様だった。これがボツリヌスによるものであったのなら祈る他無かった。
2,3日症状の経過を確認し十分な所まで回復した。この食事を無理なく食べる事ができるのならこれ以上の長居は不要になるだろう。
「それは良かった。簡単な間食を用意したので試して欲しい」
「ああ、食事ではないのか」
「急に普段の食事に戻すとまた吐く事になるからな。私が館から出た後も3日程かけて段々に普段の食事に戻していく様にしてくれ」
「ん?」
「うん?」
なにか問題があっただろうか。
「ヒロシ、お前はいつ館を出るつもりなのだ?」
「この間食が終わったら宿屋に戻る予定だが」
「・・・完治し正式に礼をするまでが治療である」
面倒だと思うが外の面子を保ためか。これ以上私がティベリスに出来ることなど無いが食事が無料になるのは魅力的だった。私の貧乏精神が唸る。
「では引き続き世話になる」
「ああ、我が館を存分に楽しんでいってくれ。万全になればまた語らおう」
予想外の宿泊になった。私はこの件の主因である2,3日で回復する筈の食中毒を重症にまで引き上げたあの医師の薬について気になっていたのだ。ティベリスの症状は回復に向かっている事ははっきりと判るので、私のここでの仕事は食事を作る事のみになった。ガスも水道も無いし肉は捌かなければならないので大変な手間があるが、時間はある。
「この館に資料室はあるか」
「有る。お前に付いている女中に聞くと良い」
以外にすんなりと許可が得られた。言うまでもないが信頼を得られたと言うわけではない。教えても問題がない資料しか閲覧は許されないのだろう。その部分は弁えなければ自分の首が飛ぶ。
「分かった、礼を言う」
知識は力である。それを閲覧する権利を得る事が出来たという事はそこそこの信頼を得る事が出来たに違いないだろう。重要な資料は自室に置いてあるだろうし存分にこの国の程度を測りたいと思う。
「では、メアリ嬢。案内をよろしく頼むよ」
「はい、わかりました。私の後についてきてくださいね」
ティベリスの食事を終えたのを確認し食器を厨房に下げる道すがらメアリ嬢に資料室への案内を頼む。
メアリ嬢にドアを開けられてティベリスの部屋から退室するときに声がかかった。
「そういえば、資料室に孫がいるかもしれん。もしも出会うことが有ったら相手をしてくれ」
「ああ、分かった、」
三代でこの館に住んでいるという事だろうか、私はティベリス以外には会ったことは無い。そもそもティベリスが苦しんで居る時に家族の気配を感じないとはどういう事か。死に瀕していたのであれば私が部屋に呼ばれた時点で出会っていても可笑しくないのではないだろうか。
しかし、余計な部分を突いて蛇が出たら困るので私はこれ以上考えるのを辞めた。
「先の水分は1時間に2,3口は飲むように。油断するとまた同じことを繰り返すからな」
◇
メアリ嬢の案内で資料室に到着した。目視で100㎡程度で図書館を想像していた私にとって思ったより規模は小さい。壁際と通路を作るように本棚が並び高さは大人の男性の背よりも3倍は高く可動式の階段が目に付いた。部屋の天井には彫刻が彫られ通路を作るように配置されている本棚の近くには人物像やピアノが置かれていて美しい彫刻と相まって調和された空間になっていた。美術館の様な重い静寂が資料室を包み、この部屋に粘性があるのではと錯覚する程の空気がゆっくりと私の頬を舐める。
「見事な空間だ」
歴史ある建造物の中に入ると膨大な時間に圧倒されるように、この資料室の空気は私の心を包んだ。
「ここは王都のティベリス様の屋敷の中でも特別に作られた部屋です。王宮に携わった優秀な建築家や彫刻家を呼んで金貨を惜しまずに作らせた場所ですから。資料室以外にも庭園も特別に作らせたみたいですよ」
ティベリスのこだわりの部屋らしい。考える専用の部屋だろうか実に贅沢な話である。
私はメアリ嬢の説明を聞きながら部屋を見渡す。部屋の中央に長机と複数の椅子が置かれていた。人の気配は無い。ティベリスの言っていた孫というのも見つからなかった。
つまり、人の目を気にせずに好き勝手読める。私に必要な知識はこの国の法律と医学知識等多岐に渡る。
3日の内食事を作る時間と睡眠時間を計算し、計画的に行動しても時間が足りないだろう。次も許可が出るとは限らないのだから時間が惜しい。
「さて、先ずは法律関係か」
メアリ嬢に法律に関しての本を一緒に探すように指示をする。メイドは資料室に入る機会は無いようで、資料の在りかは解らないとの事だった。管理人が居ると思ったのだが居ないらしい。情報漏洩のリスクを考えると当然かと思ったがそれでも管理人が居ないというのは盗難の可能性があるのでリスキーに思う。
後でティベリスに聞かなければならないだろう。
知らずに法を犯してしまう可能性がある以上、この件に関しては徹底的な理解が必要だった。貴族間の暗黙のルールは平民の異邦人だからという事でごまかすことも出来るだろうが、明文化されている法を持ち出されたら厄介である。王に権力を集中させる為に執行猶予は一切ないだろう。
「さて」
先ほどまでは人の気配は無かった。なかった筈なのだが私の目の端に水色の髪をした少女が見えた。
知らない人間が来て警戒しているのだろうが机の下に隠れるのはどうなのだろうか。
私は隠れている少女をのぞき込む。少女はびくりと反応しそのまま固まった。私は机の下に体を覗き入れ少女をつまみ抱き抱える。
「あ、うぅ」
少女が呻く。私はそのまま椅子に座り隣にに少女を座らせた。
私の中で子供の扱いとは動物を扱うようにという基本があるのだ。怒らず身体接触を多くして自身が無害であることを無言で教え、少し優しく扱ってやれば良い。子供は嫌いだがティベリスの言葉があったので必要な事と割り切る他無い。私は俯く少女に質問をする。
「私は医者としてこの館で厄介になっている、ナイハラ・ヒロシという。君の名前を教えてくれるかい?」
なるべく優しい声で。顔を見られる可能が無くても笑顔で。人を疑う事が出来るような年齢の場合はこの手は通じないが、子供が他人を評価をするときの判断材料は自身への好意か悪意のみだ。それ故にそういった感情に関して子供は特に敏感であると確信する。
「・・・ユーリ。アウグストゥス・アルカ・フォン・ユーリ」
私は子供を注意深く観察する。体躯はやや小さく肌は日に当たった事が無いかのように白い。貴族らしいと言えば良いのだろうか、髪には良く気を付けている様子で在ったが俯いているからだろう、前髪で眼が隠れている為顔に関して仔細な観察が出来ない。顔から性格を分析する人相学を使うことが出来ないという事であったので彼女自身の性格に合った会話は出来ないだろう。世話になっているティベリスの娘であるので扱いはなるべく丁寧に行う。
彼女がティベリスの言っていた孫に違いなかった。
「そうか、小さなアウグストゥス。君は何故資料室に?私が知る限り君ほどの年齢の貴族は家庭教師でも雇って勉学に励んでいる時間だと思うが」
「・・・7歳だから」
何歳から教師を付けられるのかは分からないが、まだ教育の段階にないのだろう。随分余裕のある事だ。
いや、そもそも女子に学は要らないという考えだろうか。男性しか政治や商いにかかわる事が出来なかった時代は確かにあった筈だ。
「ここに居るのは暇つぶしか?」
「そう」
そうらしい。正直、この国は物が溢れているとは言え成熟していない。貴族令嬢が城下町を自由に歩ける筈が無いし、この館に幽閉されている状態では確かにつまらないだろう。玩具でも与えて釣る事にする。
貴族への繋がりはなるべく持っておいてた方が良いのだ。
「では君にこれを貸そう。これで遊ぶと良いだろう」
私はスマートデバイスを開いた。様々なアプリケーションが入っているので興味を引くには十分だろうが単純で難易度の低いゲームアプリを選択する。世界的に人気を博し、永年愛されている『超おっさん兄弟』である。
「まずは私が手本を見せよう」
何かを教えるには説明しながら実際にやって見せ、その後にやらせる。基本的な教育方法であった。
ある程度のステージをクリアして彼女にスマートデバイスを渡した。
「わかった。やってみる」
彼女の操作を見ながら上手くいった所で適当に褒める。彼女がゲームに熱中するのに時間はかからなかった。残念ながら私の勉強は後回しになる。私が知る限り子供の前で泥臭い努力をするべきではないからだ。大人は結果を評価されるべきであり、他人に努力を見せて褒めて貰おうとするのは子供だけだという考えからである。
暫くの時間が経ち、夕日が窓から差し込む。
夕食を作り始める時間である。私はスマートデバイスに夢中になっているユーリの肩を叩いた。
「小さなアウグストゥス遊びは終わりだ。私はティベリスの夕食を作るので此処で失礼する」
「ん。返す」
ユーリはスマートデバイスを私に手渡した。わがままを言わないのは大変よろしい。
私は手を振りながら資料室を後にした。
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