第6話 知識とは薬




聖書を読み耽っていると空腹を覚えた。時間は正午、外に出る気も無いので宿の食堂に降りた。宿屋の息子に注文をして席で待って居ると腹の具合がどうにも悪い。先日ティべリスと食べた鳥の血の所為だと直ぐに判断できた。


これだから鳥の生肉は嫌だったんだ。


私はオートミールとスープを運んできた宿屋の息子に飲料水を水桶に1杯汲んで貸し出し用の調理場の鍋に入れておく様に頼んだ。


用を伝える時に銅貨を数枚握らせれば大変喜んで仕事をしてくれる。


私は食事を終えてから近場にある牧置き場から一抱えの木材を調理場に運ぶ。火口にライターで火を付けた後牧を焚べて十分な火力を得た。


水を沸騰させた後塩と砂糖を投入し経口飲料水の完成だ。未知の食物の食中毒に対しては十分な対処を取らなければならない。


例え出来ることが水分補給だけだとしても。


私は鍋一杯の経口飲料水を自室に持ち込み、机の上に置いた。約10リットル程か十分な量である。早速コップに一杯分飲んでみると出来損ないのスポーツドリンク。普段飲んでいたスポーツドリンクの完成度の高さには到底及ばないが普通の水よりは良い筈だと信じ込む。


どの程度重症化するかわからない中で最悪を想定し備える事は重要だが難しい。


3日間症状が続くとした場合10リットルの水分は妥当であった。食中毒に罹ると筋肉量が落ちるので乾燥させた果物でも買ったほうが良かったかも知れないが、動く気にはなれなかった。


敵は脱水症状とそれに伴う筋力の低下。


それさえ対処出来れば重症化し難いのだ。


ふと、同じ食事をしたティベリスの姿が浮かんだ。奴は爺だったし体力的に考えて大丈夫なのだろうか。もしかしたら私の体がこの世界に対応していないだけで、彼らは鳥の生肉を食べても問題無のだろうか?あの年齢で食中毒なんかに罹って重症化したら最悪もあるかも知れないのだが。


いや、流石に専門医が付いているだろうから問題無いか。


先ずは自分。久々の食中毒なのだから楽しもうじゃないか。楽しもうとする心から自身の発展が望めるのだから。





3日経った。


激しい吐き気から始まり4時間で若干治おさまると今度は腹痛。吐いている内は水分が補給出来ないので最初の症状から6時間で水分補給をした。余りの痛みに立つ事も出来なかったので大きめの壺に用を足す事になったのは何とも言えない気分だった。


1日もすれば吐き気は殆ど無くなり、丸2日で腹痛も治まった。小まめな水分補給で鍋に一杯の経口飲料水は3日目の朝に無くなった。


若干足りなかったと思うべきか、丁度良かったと思うべきかは日記に書く事にした。


自身の食中毒の経過を日記に書き記し、最も良い治療を見つけ出す。医者では無いが家庭医学位は既に取得済みだ。自分で体験したのだから今後に活かせるだろう。


今も十分に力が入らない程度には弱っているが、1、2日もすれば回復するだろうし今の内に壺の処理と食事の調達をするかな。


壺の中身は裏手にあるトイレに流し壺自体はゴミ集積所に運ぶ。


良く手を洗い、体を清拭した後乾燥した適当な果物と大豆を買った。


とにかく吸収率が高く栄養価が高い物を口にしなければ空腹で倒れそうだった。


大豆をぽりぽりと齧りながら宿へ戻る。


部屋の換気にベッドや床の消毒が必要だったが塩素系の消毒液なんて売っているのだろうか?


なんて事を考えながら宿の中に入ると見覚えのある赤髪のメイドが食事処の椅子に座っていた。こんな所に何か用事が有るのか。私は入ってすぐの席に腰を下ろすと適当に買った果実を齧りながら彼女を観察する。落ち着きが無く呼吸が荒い。良いところの従者にも関わらず袖に土汚れが有るのは何故なのか。味の薄い果実を完食すると胃腸が動き出すのを感じた。途端に腹が鳴る。


腹の音は大きく響いたようで赤髪のメイドが勢い良く此方を見つめる。


私を見た瞬間彼女の目が見開いた。


「失礼、久々の食事でね。確か、」


メイドのギボンだったか。と続けようとしたが、彼女はすたすたと此方へ向かってくると私の目の前で止まり頭を下げた。


「ティベリス様がお呼びです。早急にとの事でしたのでお迎えに上がりました」


「早急とは穏やかじゃないな。 茶会では無いらしい」


彼女を落ち着かせるためのジョークはどうやら気に入らなかったらしく鋭い視線が私を射抜いた。


まあ、浮浪者に自分の主人を馬鹿にされた様な気分だろうし忠誠心の高い者なら誰でもそうするだろう。


「お早く」


ギボンは短く答えると私を急かす。


私は、わかったよと言って席を立と彼女の先導のもと宿を出た。


ティベリスの館まで歩きで約20分か。この距離なら馬車も出ないらしい。いや、私に馬車を出す価値が無いと言うことであるに違いないが。


早急と言う割には何とも準備の悪いと心の中で愚痴を言っているとギボンは私に振り返り「失礼します」と言って私の肩部と膝の裏の関節部を持ち上げた。所謂お姫様抱っこである。


前道の通行人の視線が痛い。


私が羞恥に震えていると、ギボンは私の肩を強く支え「行きますよ」と言った瞬間に勢い良く走り出した。


頬を叩く風が痛い。


「うわーい、サラマンダーより速〜い」


上手く息が出来ないほど速力。少なくとも人間が出せる速度では無い。


余裕がある様に見せかけているが、私は白目を剥いている。


「流石にサラマンダーよりは速くありませんが一人担いだ程度で有れば馬の3倍は速いですよ」


居るのかよ。サラマンダー居るのかよ。


と言うか馬より3倍は速いって150km/h超えかよ。


「すっごーい、君は走るのが得意なフレンズなんだね」


如何にも混乱と病み上がりでの体力の減少とで知能が低下している気がしなくでも無いが冷静に考える余裕など無い。ティベリスの館に着くまで私はギボンが転ばない事を唯々祈るだけであった。




結果から言うと無事にティベリスの館に到着した。


私自身の精力を多分に消費したが、途中から初めてバイクに乗った時のような高揚感が出てきたのはギボンが腕をサスペンションの様に使い振動を最小限にしてくれたからだろう。


彼女の一歩一歩は力強く、地面に沿って飛んでいるかのようだった。機会があれば今後も頼みたいものだ。


ギボンは私を地面に降ろすと小さい中庭を通り、正面玄関・・・・から私を館に通した。


詰まる所、ティベリスは公式な面会としたいらしい。私はギボンの先導に続いた。根無し草に急ぎの面会など面倒事に間違いはないし、下手したら拘束される可能性さえある。問答には気を付けなければ。


ギボンの先導のままティベリスの部屋に通されると私は驚いた。


天幕張ったベッドの側には知性溢れる丸メガネをかけた男が一人。呻き声を上げているのはティベリスか。私はギボンを押し退けティベリスの元へ走った。


ベッドにはティベリスが青い顔をしながら横たわっていた。額に浮かぶ脂汗が憐れみを誘った。


「随分と弱っているじゃないか、ティベリス。私を館に引っ張って行ったあの力強さは何処へ行った?」


「ヒロシかよく来た。私はもう駄目だ。市井で流行る食傷虫に罹ってしまった。医学を勤めぬお前には解らぬだろうが、此れは貧富問わずに体力の無い者を殺す。此処まで来たら生存は難しいと私の専属医に言われてしまったのだ。私の人生に先はないだろうから最期に約束を果たそうと思ってな」


「約束?」


「昨日の食事で後も語らおうと言ったではないか」


私はティベリスの言を聞いて呆れた。何とも義理堅い奴というか、自分に真っ直ぐな奴というか。此奴の根源を垣間見た気がした。


「せめて花が咲く庭で菓子でも摘みながら語らいたかったがな」


ティベリスは苦笑して見せたが苦痛は隠せていない。


「違いない。ヒロシ、私が死ぬ前に聴かねばならない。昨日の語らいで言っていたお前の未来視は当たった。何故私が腹を痛めると解ったのか」


昨日の食事を思い出す。お互い腹痛に気を付けた方が良いとかなんとか言った気がする。


「それは、お互いに万全になってから話すのが良かろう。ティベリス、今はお前の勘違いを正さなければならない」


ティベリスは少しむくれて言い返した。


可愛く無い。


「ヒロシよ何を言っているか?老いたとは言え3、4日程度で記憶違いを起こす程呆けてはいないぞ」


「私は腹痛に苦しむと言った筈だ。お前が死ぬとは言っていない」


ティベリスの目が見開いた。


「もし、もしヒロシの言が正しいとしたら、そこに居るバーベンハイル家の長男の診断は間違っていた事になるな」


私は鼻を鳴らした。自信など無い。先程私が助かったのは若く体力が有ったからだと知っている。老人の体力で更には初期の対処が正しく行われていない可能性すらあるティベリスが、私と同様に助かる可能性は薄い。だが、此処は患者に勇気を与える場面では無いか。


気力さえ持てば助かる場合も多いのだ。ティベリスにも死ぬ迄足掻いて貰わなければ。


「フン、ひよっ子と同じにしてくれるなよ。私は先駆者だぞ?私の後に道が造られるのだ」


ティベリスは笑った。


担当医に死を宣告されたのだ。元から無い命だと思っているのだろうか。


「では、私の命をお前に預けよう」


ティベリスは目を閉じた。


好きにやれと言う事だろう。


「ギボン。大鍋に水を汲みいれて湯を沸かせ。沸騰してから5分以上沸かし続けろ。沸騰する迄の間で身体を清めろ。念入りにな」


「え、あっ。はいっ」


ギボンは戸惑っていた様だが、私の指示に従った。


「ひよっ子。患者にした処置を1から教えろ」


「急に現れてひよっ子とは失礼なっ!医学の心得が有るのならバーベンハイル家の長男であるこのケルビン・バーベンハイルを知らぬとは言わせんぞ!」


医学会での有名人の様だが、知らない。


当たり前だ。


「現場で無駄口を叩くなよ。そもそも患者の前で大声を上げるなど論外だ」


「グッ」


此れは私の八つ当たりだった。


私の茶飲み友達を絶望させた人間への子供の様な反抗心。


私の溜飲が下がるまではお相手願う事にする。


「早くしろ。まさか、自分の処置を忘れた訳では無いだろうな?」


ケルビンは舌打ちをしながら答えた。


「先ず熱い風呂に入れて身体を強く擦った後にラピの草とワインと牛の胆汁を混ぜ合わせた物を飲ませた」


「・・・ラピの草とは何だ?」


「フンっ。そんな事も知らんのか?下痢止めだ」


この国ヤバイ。病気したら即終了のお知らせが貴族の専属医から直々に宣告された。いや、私の国も医療が成熟していない時代は眉唾な施術を真面目に行う医者は多く居た。フグの毒に罹ったら地面から首だけ出して埋まるとか間抜けた事をしていた記録さえある。


多くの人の命を使い医療は前進してきた。この国に来るまでの私は幸運だったと言う事だろう。


「そのラピの草を処方した後、ティベリスは嘔吐しなかったのか?」


「したに決まっているだろう。正常な反応・・・・・だ」


・・・お家帰りたい。


「相判った。邪魔だけはするなよ殴るからな」


私はケルビンに踵を返しティベリスのベッドに向かう。先ずは現状を知らなければ。と、歩き出した瞬間に肩を掴まれた。


「おい、待てお前の施術を見せろ」


私は振り向きざまにケルビンの顎にアッパーカットを入れた。偶然だが綺麗に入り、ケルビンは脳を揺らされて崩れ落ちた。


「・・・邪魔したら殴ると言っただろうに。お前は鶏か?」


いや、彼は3歩も歩いていなかった。寧ろ歩いてさえいなかった。


「いや、ひよっ子か」


邪魔者は消えた。私はケルビンをそのままにしてティベリスのベッドへ向かう。


「ヒロシ、お前の傍若無人な態度は今後お前を困らせるだろうな」


ティベリスは苦笑していた。先のやり取りを見ていたらしい。目を閉じてたんじゃ無いのかよ。


「物事には優先順位がある。何よりも優先するべき事はその通りに行わなければならないだろう?それに、あの場は丸くは収まらないよ。お飯事ままごとをする様なひよっ子が施術の邪魔をするだろうしな」


「ヒロシとバーベンハイル家の施術はそこまで違うか?」


やはりだが、未知の施術は少し心配らしい。


「施術自体は大して変わらないよ、液体を飲んで寝るだけだ。奴の施術は症状を止める事に終始していたが、私の施術は原因の排除に有ると言うだけさ。ただ、その違いは大きい」


「今は頭が回らん」


「後で話そう。私が起こすまで寝ていろ。なるべく体力を消耗する事を控えれば2、3日で良くなるさ」


「では、そうしよう」


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