第3話 正当性を持つ暴力
◇
私は宿屋の貸し出し用の調理場に居る。
市場での買い物は終わった。
燕麦を使っているであろう黒パンが一般に普及しているにも関わらず、白い小麦粉も安い値段で売っていた。
果物も豊富にあったし、蓋付きで水が1l程度入る容器も3つ手に入れた。
材料は揃ったので酵母作りだ。
煮沸消毒した容器にブドウの様な香りと味を持つ果物を入れて、沸騰水を冷まし、温くなった物を注ぎ入れ完了である。
その他にオレンジに似た果物とリンゴの様な果物にも別の容器に同じ処理をした。
後は、1週間様子を見るために宿屋で借りた部屋の机の上に並べて置いて毎日2回混ぜるだけだ。
作業時間は1時間もかかっていない。
別の果物を使用した理由は、どの果物が酵母作りに向いているのかを調べるためで、腐らずに成功したものを今後採用するためだ。
腕時計を見ると時間は10時を少し回った所。
朝である。金銭の価値観の擦り合わせが思いの外早く終わり、世に出回っている銭貨が実物貨幣と言うのが分かっていたので時間が掛かると思っていたのだが、帝国の銭貨は最も質が良いとされているらしく、要は、どの国の銭貨より価値がある訳で、一般に過ごすのにそれ以上の知識は必要ない。
宿屋の息子曰く、帝国金貨1枚で1ヶ月は十分な食事と1人部屋が保証されるらしいので、これ以上することもない。
冒険者と言う職業が気になっているが、命のやり取りを必要とする程飢えていないし、気になる程度で手を付けて怪我するのはゴメンだ。
大通りで売っている物はもう大体調べた。
あの広場にでも行って大道芸でも見るか。
今日は勉強の日なのに。と内心でぼやきつつ、哀しきかな暇になってしまった自身を慰めるべく広場へ足を運んだ。
広場では多くの露店が建ち並び、その商品は軽い食事からアクセサリー、野菜、肉などの食材、武器や奴隷など多岐に渡る。
広場では大道芸が行われているし、よくわからない黒いローブの集団が
「「「「「あい!あい!よぐそとーす!」」」」」
と何度も合唱している。
馬鹿のように立っているだけだと、スリに会う可能性も有るので周囲に気を配る必要があるが、賑やかで好ましい空間だ。
ちらほらと視界に入る二足歩行の動物達やエルフ?が動物園のふれあい広場を思い出させる。
撫でたい。
さて、少し腹も減ったし露店で朝食でも頼もうかと思い軽食を出す露店に向かう。
売られていたのは硬いビスケットに果汁と塩味のスープ。
まあ、味はお察しだった。
器を返却しなければならないらしく、露店の前で食べるように指示された。忙しい時には食器を洗わないらしく不衛生だ。
不味く不衛生。真面まともな物を食べなければ冗談抜きで病気になる。
この時私は自炊を決意した。
「あ゛〜」
食事を終えて、広場のベンチに座る。
この国は豊かだ。調理技術はともかく、食材はふんだんにあり、安価だ。浮浪者や孤児も少ないし、弱者に配給を行う教会があることからも宗教の力が強いと言う事が解る、配給を受け取る弱者の血色も良い事からそこそこの頻度で配給が有るのだろう。
「なんで俺よりもこいつの方がスープが多いんだよっ!」
汚らしい弱者が騒ぎ立てる。
配給を行っていた修道女は騒ぎを鎮めようと頭を下げているが、男が止まる気配が無い。周りの人々は彼女を遠巻きに見るばかりであった。
「大きな恩恵は感謝を生み出さない。か」
自身にも言えることだ。この発展していない世界にきて始めて自分の世界の恩恵がありがたく思った。
この男も配給を当然の事と思っているに違いない。修道女達が頻繁にコレを行うからこそ起きた問題である。
まぁ、宗教は違えども弱者救済の信念がある以上は私の信じるモノと同類であろうし、仲裁に入るか。
「もし、君よ。辞めないか」
私は男の肩を掴んだ。
「あぁん?何だてめぇ」
肩においた私の手を払い除け男は振り返った。顔を見ると至って普通の汚いおじさんだ。
「ナイハラ・ヒロシ。暇人である。君の行動は大人とは思えない程幼稚だ。成人しているなら少なくとも他人の迷惑を考えなさい」
「うるせぇ!てめぇには関係ないだろうが!」
あー。馬鹿か。一応ポケットの中に手を入れておく。
「この世に私に関係のない事は一つとてないよ。解らないのか?私の、前では、その喧しい口を閉じろと言っている」
「うるせぇ!黙れっ!」
汚い男が殴りかかってきた。まぁ、知ってた。頭の足りないものは暴力でそれを穴埋めしたがる傾向にあるし、後先考えない馬鹿な浮浪者が体裁など気にする筈もない。
私は右手で男の拳を受け、素早くポケットの中にある“激辛!熊撃退用スプレー”の噴出口を男の鼻の中に入れた。
「1ヶ月程苦しむが良い」
プシュッ
「うがああぁぁっぁあぁ」
150万スコビル(辛さの単位)のガスが男の嗅覚を一時的に奪い、男は防衛反応で涙と鼻水を垂れ流しながら崩れ落ちた。
ワンプッシュとはいえ直接鼻の中に突っ込んだのだ。対熊用の人間に優しくない基準で作られたスプレーの威力は成人が人目を気にせず泣き喚くほど痛い。
「えぐっ、いぐっ」
浮浪者はしゃくりを上げて泣いていた。
鼻の粘膜を直接犯されたのだから、私には想像できない痛みだろう。周囲を見回すと何もせずに周囲を囲っていた人々は引いていた。
「ちょっと!貴方、何やっているんですか!」
修道女が怒鳴り声をあげる。
「馬鹿に教育をした」
「何を彼に教えたというのですか!貴方はただ弱い者虐めをしただけでは無いですか!」
「お前は何を見ていたんだ?」
私は修道女を観察する。緩いウェーブのある金髪を肩まで垂らし、目は青色で歳は16か15。黒い修道服は繕った跡が良く目立った。
「あーなるほどな。お前孤児院出身だろ」
「だったらなんだと言うのですかっ!」
修道女が耳まで真っ赤に染めて噛み付いてくる。
多少のイラつきから言葉が荒んでまったが鬱陶しいのでそのまま続ける。
「基本的には、不当に殴られたら殴り返さないといけない。物理的、精神的、社会的、経済的とにかく何らかの形でな」
「貴方はやり過ぎです。組み付くだけでも良かったではありませんか!」
「組み付いた後に何をするんだ?いきなり殴りかかるのはダメな事だと諭すのか?殴り返すのは義務だ。社会そのもののために理性で以ってやらなければ不当を蔓延らせ害悪を長期に渡り呼び続ける事になる。はっきり言っておくが、不当を許すというのは寛容でなく悪徳だ。お前が、お前らがこの馬鹿を不当に許し続けた結果、この馬鹿を増長させたんだ。それに、お前は私が何をやったのかが説明できるのか?」
「何をしたのかは分かりませんが結果としてこの人は泣いています」
修道女は大声を張って少しは冷静になったのだろうか普通の会話位の声量に戻っていた。
「お前は俺が何をしたのかさえ解っていないのにどうやって俺が悪いと言い張るんだ」
「それは、」
「俺は自分のやった事がどの様な事であるかを知っている。お前は知らない。それだけだ」
私は泣いている浮浪者の元へ向かい耳元で、次は目にしますので、他人に迷惑を掛けないよう気を付けてくださいね。と囁きその場を後にした。
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