第9話 初仕事
真月がGMUにやってきてひと月が経とうとしていた。
ここでの生活にも訓練にも慣れてきた真月は昼食後、仕事から帰ってきた直政と遥に遭遇した。
「遥、直政、おかえ……り?」
部長の尾坂の元へ向かう途中だったという二人に声をかけると、不意に嫌な鼻についた。その臭いに気がついたのは、能力制御の訓練のため獣化した姿で過ごしていたからだった。
「ん?どうしたの真月君」
妙な反応を見せる真月に、遥は不信感を覚えた。
「…二人とも怪我してる?……血の匂い…いやちょっと違う?甘い…?」
二人からは血に似た匂いに混じって微かに甘い匂いがした。最初は怪我をしているのかと思ったが、近くでしっかり嗅いでみるとそうではないことに気がついた。それは残り香に近く、およそ怪我や返り血の匂いではない。
「「……」」
遥と直政は驚き、顔を見合わせた。真月が気づいたのは今日の調査で訪れた場所の匂いで、そこは微かに血のような臭いがしていたが、その匂いを嗅ぎ取ったのか…。
「みなさんこんな所で何してはるん?」
真月に詳しく話を聞こうとしたとき、日向が声をかけて来た。少し遅れて桜賀も一緒にやっきた。そんな二人からも微かに匂いがして、真月は仕事帰りの二人を見つめた。
「…??二人とも甘い匂いがする…」
その呟きはとても小さく、近くにいた遥と直政には聞こえていたが日向と桜賀にはきこえなかったようだ。
「真月は今日昼から竜胆先生とこで手伝いするって言ってなかったか?」
朝、桜賀と今日の予定について話したのでそのことを覚えていたのだろう。
「あ!そうだった。ありがと桜賀。俺行くね!」
真月は桜賀の言葉で自分が医務室に向かっていた事を思い出し、去っていく。その後ろ姿を見て、直政は自分たちも尾坂の元へ向かっていたことを思い出した。
「ま、とりあえず報告行くか」
真月の発言は気になるが、とにもかくにも先に報告を済ませなければならない。
「ああ、お二人も報告報告に行く途中でしたか。俺らも一緒にいかせてもらいますわ」
どうやら日向たちも仕事から帰ってきたばかりのようで、四人はまとまって調査部のフロアに移動することにした。
「そういえば、なんか変な顔してましたけど、どないしましたん?」
道すがら、日向はそうたずねて来た。どうやら目に見えて真月の発言に動揺してしまったらしい。
「真月君に血の匂いがするって言われてね」
「怪我しはったん?」
「いや、俺らが行ったとこは血まみれだったからその匂いだと思う」
「さすが獣化能力者。嗅覚鋭いな」
そうこうしている内に四人は調査部のフロアについてしまう。部屋の中には尾坂だけがいて、書類を読んでいるところだった。
「「「「ただいま帰りました」」」」
「ん?ああ、四人ともお帰り。何か収穫はあったかい?」
「俺とハルの方は空振りだった。血まみれで何かあったことはわかったが、証拠らしいものは残ってなかった」
直政たちが向かったのは郊外の廃屋で、乾いた血がこびりついていただけだった。
「俺らの方はこれや」
直政の報告が終わると、日向は懐からビニールの袋に入ったナニカを取りだした。
「これは…」
尾坂は袋を開け、匂いを確認すると眉をひそめた。
「ああ。恐らくイザナだと思うぜ」
桜賀の言葉に、遥と直政も眉をひそめた。イザナは薬草の一種ではあるが、複数の薬草と混ぜて特殊な加工を施すことで麻薬となる植物だ。イザナ単体で何かに使われることはほとんどなく、イザナがあるという事は誰かが麻薬を作ろうとしているとも考えられる。
「奴らはこれを大量に密輸していたようだ。現物はほとんど残っては無かったが置いてあった痕跡は見つけたぜ」
少量ならまだしも大量となるとやはり麻薬の精製を行っている可能性がある。その考えに至った尾坂は唸り声をあげて押し黙ってしまう。
尾坂がイザナの入った袋を机に置くと、そこから微かに甘い匂いが漂ってきた。
「そういえば…さっき真月が日向たちから甘い匂いがすると言っていたが、これのことか?」
ふと、直政は真月の言葉を思い出した。獣化した真月の嗅覚がとらえていたのはイザナの匂いだったのだろう。日向と桜賀の服に付着していたとしてもおかしくはない。
「……。それだと…確かに……って、あれ?真月君は僕たちにも『甘い』とかなんとか言ってたような…」
直政の言葉で遥もまた真月の言葉を思い出した。血の匂いだといていたが、違う問い言葉も発していた。
「もしかして、血には何か…?」
そうだとするならば、もう一度あの場所を調べる必要がある。
「尾坂部長。もう一度僕たちはあの廃屋に調査に行きたいのですが…」
遥と直政の言葉に、尾坂も何か感じることがあったのだろう。再調査をすることに賛成の意を示した。
「だが、その前に真月君が感じ取った匂いが本当にイザナかどうか確認しよう」
その一言で医務室で竜胆の手伝いをしていた真月が呼び出される。
「尾坂部長?俺に確認したい事って…?」
竜胆に連れられて、真月はすぐに調査部のフロアを訪れた。
「さっき、この四人に会ったとき何か匂いがすると言っていたそうだね?」
「はい。日向と桜賀からは甘い…リンゴみたいな匂いがして、遥と直政からは血のにおいに混じって甘い匂いがしてました」
「その匂いについて聞きたくてね。君が感じたのはこの匂いかい?」
尾坂は真月にイザナの入った袋を渡し、確認する様に促した。袋を受け取ると、真月は匂いを嗅ぐ。
「うん。そう。この匂い。でも遥と直政からしたのはもう少し違う…。この匂いが混じった別の甘いさのある匂いだったと思います」
自分たちにはわからない細かな臭いの違いを表す真月の嗅覚の鋭さに皆が驚いた。ただ、真月の様子を鋭く見つめていた尾坂だけは何か考え込むしぐさをしていた。
「よし。真月君も捜査に加えよう」
「え?」
「そろそろ初仕事をと思っていた所だ」
何が決め手になったのか尾坂はこの仕事に真月を加えることを決断した。念のため編成を変えて日向と直政と真月、桜賀と遥にわかれて調査を行うよう指示が下る。真月にも準備をする必要があるため、調査は明日から行うことになった。
五人は調査部のフロアを出て会議室に移動し、仕事の内容と確認事項について話し合いの場を持つことにした。
「まず、今回の仕事の内容について僕から説明させてもらうね」
それは主に真月のための説明だった。
それは、警察からの依頼で最近流行っている新興宗教についての調査依頼だった。その宗教の名は『
「僕たちが調べるのは天選教が行っている儀式について。この儀式は何かを呼び出すためか、生み出すためか、呪術の類かは分からないが、信徒の失踪や心神喪失や死亡はこの儀式が関係していると思われる。今回、日向君たちが持ち帰ったイザナについても奴らが何の目的で大量に入手したのかわかっていない。奴らが行う儀式がなんにせよ危険は付き物。調査は慎重にね」
遥は一端会議室をぐるりと見渡して確認を取る。宗教が行う儀式ほど危険なものはない。表向きの理由がなんであれ大体その裏に隠された意図、目的がある。それを暴こうとすれば戦闘に発展する可能性だってある。
「僕と桜賀君は今日、僕とナオが訪れた廃墟に再度調査に行く。ナオと日向君と真月君は別の場所に調査に向かってもらうよ」
そういって遥は地図を取りだして広げる。そこには調査する場所が書き込まれ、調査が終了している場所には日付と×印。遥が示した場所はGMUからそこそこ離れた場所だった。移動はGMU所有の車を直政と遥が運転して移動することに決まりそれぞれ準備に取り掛かるべく解散となった。
真月は会議室を出ると直政に連れられて装備部のフロアを訪れた。
「おーい。真月の装備できてるか?」
「おう!今持っていく!」
何度か訪れたことのある装備部で渡されたのは戦闘用の服と謎のポーチ。戦闘服は以前試着したことがある。丈夫な素材で作られたズボンやシャツ、ベルト、ブーツ、コートだ。謎のポーチの中には止血軟膏、包帯、消毒液、精製水、ガーゼ、痛み止めが入った簡易医療セットだった。何かあった時に応急処置が出来るようにという意図があるらしい。ポーチは軽くてコンパクトで、ベルトに付けられて外れにくくに作られているため邪魔にもならない。ほかにも聖水入り水鉄砲、清めの塩を渡される。水鉄砲は通常装備のようだ。
「悪いが武器の方はもう少し調整に時間がかかりそうだ」
「わかった。邪魔したな」
真月の注文した武器はまだできていないらしい。直政はそれを確認すると真月と共に装備部から立ち去った。
「真月、桃華は肌身離さず持っておけ。何が起こるかわからないからな」
直政はいつになく険しい顔で真月に忠告する。その姿に、この仕事に付きまとう危険について再度認識させられる真月だった。
五人が出て行った調査部のフロアでは竜胆が尾坂と話していた。
「僕が言うのも何だけど、良かったのかい?」
「ああ」
「あの子も調査員として仕事に出す頃合いだった」
「そうじゃなくて」
「なるほど。あれの事か?」
少し前、尾坂が竜胆に『真月が能力を使用した際、何の生物に変身しているのか』調査を依頼した。竜胆は真月の血液や体毛を採取し極秘に調査した。結果、人狼と不明な遺伝子が発見されたのだ。真月の獣化時の見た目は人狼に見える。しかし、真月が完全に獣化したこともなければ獣化の度合いをコントロールできたこともない。そこから、竜胆はある仮説を立てた。真月の行っている獣化は人狼に獣化しているのではなく、複数の獣の特徴や能力を併せ持つ
「場合によっては他の姿や能力が覚醒するかもしれない」
「そう。なら僕はもう何も言わないよ」
竜胆はそのまま尾坂に背を向け、調査部を後にした。
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